藤波辰爾
■藤波辰爾(ふじなみ たつみ)
□肩書き
プロレスラー
□本名
藤波辰巳
□愛称
辰っつぁん
□生年
1953(昭和28)12.28(山羊座/O型)
□出身地
大分県国東市
□出身校
武蔵中学校
□略歴(満年齢)
70年(17歳)日本プロレスに入門。
88年(35歳)IWGPヘビー級タイトルを獲得。
06年(53歳)新団体「無我ワールドプロレスリング」を旗揚げ。
※主な出演:
映画 「新宿少年探偵団」
ドラマ「毎度おさわがせします」「ウルトラマンをつくった男たち」「ひまわり」
テレビ「世界ウルルン滞在記」「生活ほっとモーニング」「タモリ倶楽部」
CM 「キリンビール キリンのどごし生」「ニッセン すっぽんしじみ粒」
□趣味
書道 ゴルフ
□サイズ
185㎝105㎏
□特筆事項
・長男はLEONA
■藤波辰爾
□幼少時代〜
・実家は農家。
・6人兄弟の末っ子。兄が3人、姉が2人いる。
・小1の時、病気(ジフテリア)で何日も学校を欠席した。
・小3の時、兄と一緒にプロレスを生観戦してプロレス好きになった。
・小学校時代、よく魚採りをして遊んだ。
・中学時代、ひとりで自転車で大分市までプロレス観戦に行って父親に怒られた。
・中学時代、陸上部(短距離走)。
・中学時代、内気な性格で好きな女の子に話しかけるのが苦手だった。
・中学時代、争い事が嫌いでケンカをした事がなかった。
・中学時代、プロレスラーに憧れて身体を鍛える為に、畑仕事を手伝う時に牛のかわりに鋤きを引っ張った。
稲刈りが終わった後の田んぼで受け身の練習をした。
・家の畑の片隅でにんにくを作っていたので母親が作る料理によくにんにくが入っていた。
ダンゴ汁(土地の代表的な料理)には丸ごとたくさん入っていた。
■藤波辰爾
□私生活
・好物…パスタ(ペペロンチーノ)。マグロ。にんにく(毎日食べる)。
チーズ(はちみつをかけて食べる)。
・得意料理…やせうま(大分の郷土料理)。
・ワインが大好き。自宅にワインセラーがある。酒はほとんどワインしか飲まない。
・健康法…水中トレーニング。
・胆石を手術(=04年)。
・好きな音楽…クラシック。
・風水に興味関心がある。風水で別荘の玄関を二重にした。
・自宅の玄関の掃除は自分でする。
・モノをよく壊す。
・歴史が好き。城の研究や史跡めぐりをする。一番好きな城は姫路城。
・収集…ディズニーグッズ。
・ペット…犬9匹(=10.02現在)。
・住んでいる所…千葉県大網市白里(敷地160坪、5LDKの豪邸、パティオがある、
新聞広告を見て即決した、隣はゴルフ場=15.05現在)。
・いきつけ…
「パスタ・パスタ」(東京都渋谷区神宮前、にんにくの量が通常の数倍のペペロンチーノ)。
・滑舌が悪い。スマホの音声識別が正しく反応してくれない。
・家族仲が良い。23歳の長女と一緒にお風呂に入る(=10.02現在)。
・妻(フードコーディネーター)の得意料理…
バトルロイヤルチャーハン(納豆、キムチ、ニンニク、めざしを必ず入れる)。
イワシのパスタ(オリジナル料理)。イワシバーガー(オリジナル料理)。
■藤波辰爾
□人間関係
・山口いづみ…家が近所。家族ぐるみのつきあい。子供同士も仲良し。
・KONISHIKI…友人。
・アントニオ猪木…猪木に憧れて日本プロレスに入門。入門当時付き人をしていた。
夜逃げ同然で日本プロレスを出て猪木の新日本プロレス旗揚げに参加した。
・長州力…ライバル。80年代に何度も対決した。
藤波に対して「おれはお前の噛ませ犬じゃない」と発言(=82年)。
・アントニオ猪木、坂口征二、藤原喜明、藤波辰爾、長州力、小林邦昭、
佐山聡、アニマル浜口、マサ斉藤、前田日明、高田延彦、桜庭和志、
蝶野正洋、橋本真也、佐々木健介、船木誠勝、武藤敬司、藤田和之、
真壁刀義、飯伏幸太、棚橋弘至、オカダ・カズチカ
…新日本プロレス出身(現所属を含む)。
・北沢幹之…怪我の治療で別府温泉に滞在していた北沢を訪ねてプロレス入門を直訴した。
・田村潔司…藤波に憧れてプロレスラーを志した。
・長州小力…藤波のファンだった。
・伽織…元モデル。81年結婚。元々藤波のファンだった。
・子供:
長女…美有。23歳、プロゴルファー志望(=10.02現在)。
長男…LEONA(藤浪怜於南)。93.07.07誕生。プロレスラー。
■藤波辰爾
□エピソードなど
・中学卒業後、日本プロレスに願書を出すが返事が来なかったので、
職業訓練校に通って松本自動車整備工場(別府市)に就職。
プロレス入門は諦められず、仕事帰りにボディビルに通って身体を鍛えた。
・日本プロレスの下関大会に父親と兄と一緒に行って、
そのまま巡業に帯同して入門した。
・入門後デビューまでの約1年間、雑用係として先輩の食事の準備や洗濯をした。
・入門当時は175㎝62㎏。
・新人時代、食事をたくさん食べないと先輩に竹刀で叩かれた。
・デビュー当時のギャラは1試合8000円。
・初の海外遠征で西ドイツ、アメリカ、メキシコを約2年半転戦(=75年〜)。
アメリカでカール・ゴッチ宅に8ヵ月泊まり込んで朝から晩まで猛練習。
・正統派のベビーフェースとして活躍。
・「炎の飛龍」と呼ばれた。
・得意技…
ドラゴンロケット(トペ・スイシーダ)。
ドラゴン・スープレックス・ホールド。
・身長を10㎝以上サバを読んでいると噂された。
・NWAジュニアヘビー級タイトルを獲得(=80年)。
・80年代前半にヘビー級に転向。
・シングル「マッチョ・ドラゴン」をリリース(=85年)。
・自らの髪を切って猪木に対して新日本プロレスの改革を訴えた(=88年)。
・ドラマ「ウルトラマンを作った男たち」に出演(=89年)。
・椎間板ヘルニアを患って1年以上リングから遠ざかった(=89年頃)。
・プロレスの原点にもどるという理想を掲げた興行「無我」をプロデュース。
・青少年を相手にしたトレーニング教室をボランティアで開催。
・鳥居ユキコレクションのファッションショーモデル(=96年)。
・NHK朝の連続テレビ小説「ひまわり」に出演(=96年)。
・藤波の青少年育成活動に対して法務大臣から感謝状を授与(=97年)。
・通算6度目のIWGPヘビー級王座に就く(=98年)。
・映画「新宿少年探偵団」に出演(=98年)。
・新日本プロレス社長を務めた(=99年〜04年)。
・好きな言葉は「ネバー・ギブアップ」。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=10年2月28日放送分)。
・自宅を「火曜サプライズ」で公開(=15年5月5日放送分)。
・著書…半生記「無我」。
凡例:20.01現在=2020年1月現在