みうらじゅん
■みうらじゅん
□肩書き
漫画家 イラストレーター 作家
□本名
三浦純
□生年
1958(昭和33)02.01(水瓶座/AB型)
□出身地
京都府京都市
□出身校
京都市立大将軍小学校
東山中学校
東山高校
武蔵野美術大学視覚デザイン科卒業
□略歴(満年齢)
80年(22歳)雑誌「ガロ」で漫画家デビュー。
89年(31歳)大島渚バンドでテレビ「イカ天」出演。
97年(39歳)「マイブーム」が流行語大賞に選出。
※主な出演:
テレビ「タモリ倶楽部」「天才てれびくん」
□趣味
仏像観賞 収集
□特技
絵画(仏画)
□サイズ
169㎝
■みうらじゅん
□幼少時代〜
・父親は呉服問屋のサラリーマン。
・母親は自宅で洋裁教室をやっていた。
・ひとりっ子。
・頼まなくても親がなんでも買ってくれた。
景品目当てにマグマ大使のガムを買っていると父親が箱ごと買ってくれた。
・母親に「純は何でもできる」と言われて育った。
・小1から6年間、同級生の節子さんに初恋。卒業時にラブレターを出した。
・小学校低学年の頃、怪獣が大好きだった。
怪獣に関する雑誌記事を大量にスクラップ。
親友の池山くんと一緒にオリジナルの怪獣のイラストをのせた壁新聞を毎週発行。
・小4の頃から母方の祖母の影響で仏像にハマった。
仏像の写真をスクラップ。ひとりで京都・奈良に仏像を見に行った。
小4のクリスマスプレゼントに土門拳の仏像写真集を買って貰った。
・中1の時、大阪万博のワコール館に行った。
・中学校・高校は仏教系の学校。
般若心経を唱えながら登校した(=ネタか?)。
・中学〜高校時代、京都芸大の家庭教師から人生に関して学んだ。
家庭教師の影響で横尾忠則を好きになり、美術研究所に通った。
・学生時代、オナニーしているのをよく親に見つかった。
・学生時代、「悲しい人生」というテーマでエッセイを書いて製本した。
・中3から大学2年までフォークソングにハマっていた。多い日は1日に4曲作曲。
・「家出します」と書き置きを残して家出してみたが、
書き置きに家族が誰も気付いていなかったのでバカバカしくなってすぐに帰った。
・2浪して大学に入学。
■みうらじゅん
□私生活
・好物…ひつまぶし。京風たぬきうどん。手羽先唐揚げ。
・酒の味は嫌いだが酒の席は好き。
・持病…肋間神経痛(疲れると前立線がはれる)。十二指腸潰瘍。
・好きな俳優…チャールズ・ブロンソン。
・電動自転車を愛用。
・収集…
ヒョウタンの人形。カスハガ(悪趣味な絵葉書)。
ロブスターグッズ。ゆるキャラ。エロ写真。
※エロ写真のスクラップは子供の頃から続けている(100冊以上)
※世間が注目する前からゆるキャラの情報を集めていた
・コクヨ「ラ−40」のスクラップブックを愛用。
■みうらじゅん
□人間関係
・いとうせいこう…友人。仏像仲間。
日本とアジアの仏像に関する共著「見仏記」を出版。
イベント「ザ・スライドショー」を共催、
みうらが撮った変な写真にいとうがコメント。
どちらかの両親を連れて4人で一緒に旅行に行く「親孝行プレイ」を実践
(いとうの両親が同行する時はみうらが司会でいとうをひたすらほめる)。
・田口トモロヲ…友人。
みうらの自伝的コミック「アイデン&ティティ」を映画化。
ユニット・ブロンソンズとしてCD「マンダム 男の世界」をリリース。
共著「ブロンソンならこう言うね」を出版。
・安齋肇…友人。ふたりで旅行に行った事が何度もある。
ポルノ映画「変態」を一緒に制作(みうらが原作・脚本、安齋が監督=16年)。
47都道府県の御当地ソングを現地で作詞作曲録音(勝手に観光協会)。
・デーモン閣下…友人。デーモンが大学生の頃からの知り合い。
デーモンが骨折で入院中に母親に甘えていた事を番組で暴露した。
・はな…友人。仏像仲間。
・清水ミチコ…友人。
・泉麻人…仕事場が同じマンションだった時によく行き来していた。
泉の歌手デビューをみうらがプロデュース(=98年)。
・伊集院光…共著「D.T.」を出版。
・吉田照美…みうらが勝手に制定した「みうらじゅん賞」を受賞。
・糸井重里…勝手に師と仰いでいる。
友人が糸井の事務所にいたので大学時代によく糸井の事務所に顔を出していた。
・奥村チヨ…小2の頃から大ファン。
奥村のアルバム「チヨ! コケティッシュ爆弾」をプロデュース(=94年)。
・大木こだま・ひびき…東京公演をプロデュース。
・假屋崎省吾…假屋崎に間違えられて1時間インタビューを受けた事がある。
・吉田拓郎…中3の頃から吉田のファン。
・谷ナオミ…憧れている芸能人。私設ファンクラブ「深い谷の会」会長。
・横尾忠則…高校時代から憧れていた。
・ボブ・ディラン…大好きな歌手。
来日コンサートを全公演追っかけた事がある。
・妻…?年結婚。
・子供:
長女…15歳(=02.07現在)。
■みうらじゅん
□エピソードなど
・大学時代、1年間毎月「ガロ」に原稿の持ち込みを続けた。
・雑誌「ヤングマガジン」でちばてつや賞を受賞(=82年)。
・20代半ばの頃、髪型をテクノカットにして仕事場を原宿に移したら仕事が増えた。
・女装に凝っていた時期に女装して街を歩き、女装バンド「ヴァキナーズ」を結成。
・自分が持っている多数の連載に同時に同じネタを書いてブームをあおる。
・自分の仕事は「ひとり電通」だと思っている。
・ビデオ「吉本ギャグ100連発」をプロデュース。
・監督した映画「お笑い虎の穴」がゆうばりファンタスティック映画祭で金のメロン賞を受賞。
・吉祥寺パルコで開催した「仏画展」がパルコ史上2位の動員を記録(=95年)。
・密かに気にいっているモノを「マイブーム」と呼んでテレビや雑誌で繰り返し発表した。
奥村チヨ、吉本新喜劇、仏像、ボブ・ディラン、牛、埴輪など。
「マイブーム」が流行語大賞を受賞(=97年)。
・新幹線貸し切りによる見仏ツアー「京都・奈良」をプロデュース(=97年)。
新幹線車内DJ、京都会館でスライドショー。
・ビデオ「漫才の殿堂」シリーズ全12巻をプロデュース。
・一時CSにレギュラーを7本持っていた。
凡例:20.01現在=2020年1月現在