■いとうせいこう
□肩書き
演出家 作家
□本名
伊藤正幸
□生年
1961(昭和36)03.19(魚座/AB型)
□出身地
東京都葛飾区
□出身校
東邦大学附属東邦高校
早稲田大学法学部卒業
□略歴(満年齢)
84年(33歳)講談社に入社(→86年退社)。
85年(34歳)演劇ユニット・ラジカルガジベリビンバシステムを結成。
88年(37歳)小説「ノーライフキング」を上梓。
※主な出演:
映画 「帝都物語」「ノーライフキング」「無能の人」
ドラマ「I'mアイアンテーチャー 鋼鉄の教師」
テレビ「土曜倶楽部」「虎ノ門」「熱血! スペシャ中学」
□趣味
ガーデニング インターネット
□サイズ
170㎝
■いとうせいこう
□幼少時代〜
・東京の下町に住んでいた。
・子供の頃、本を読むのが大好きだった。
横断歩道の途中でも座りこんで読む事があった。
※自分では覚えていない(親から聞いた話)
・小学校時代、昆虫が大好きだった。
将来昆虫博士になるつもりだった。
ヤゴを育ててトンボに羽化させた。
キャベツ畑でモンシロチョウの幼虫を観察した。
夏休みに神社の周囲の木でクワガタを捕った。
・小学校時代、遊びのルールを考えるのが好きだった。
・小学校低学年の頃、よく担任の先生に作文をほめられた。
・中学受験で中高一貫の進学校に進学。
・医者を志して進学した理系の進学校で落ちこぼれた。
テストで理数系科目全てがほぼ0点だった事があった。
・中学〜高校時代、応援団(副団長)。
・中学〜高校時代、スティーヴィー・ワンダーのレコードを擦りきれるほど聴いた。
・弁護士を志して早稲田大学法学部に進学。
・大学入学直後の数ヵ月はうつ病気味だった。
公園で朝から晩までボンゴを叩いていた。
■いとうせいこう
□私生活
・好物…豆寒。煎酒(調味料)。
・パイプを愛用。
・健康法…鍼。筋トレマシーン。
・持病…肩凝り。腰痛(02年に椎間板ヘルニアを患った)。
・体重の増減が激しい。
・たくさん汗をかく。
・ふんどしを愛用。
・浴衣で寝る(冬はネルの浴衣)。
・真夏でもクーラーはほとんど使わない。
短パンに上半身裸でタオルを首から下げてうちわをあおいで過ごす。
・自宅マンションのベランダで様々な植物を栽培(約80鉢=07.06現在)。
イチジク、カクテルローズ、カリン、ししとう、ニッキ、ボケ、藤、ライムなど。
・ペット…メダカ。
・住んでいる所…東京都台東区浅草(=11.08現在)。
・小唄、謡を習っている(=19.10現在)。
・浄瑠璃を習った事がある。
・忘れっぽい。
・孤独に弱い。ひとり旅ができない。
■いとうせいこう
□人間関係
・みうらじゅん…親友。
一緒にお互いのどちらかの両親を連れて4人で一緒に旅行に行く
(両親不在の方が司会を担当して親の前でほめまくる)。
一緒に日本とアジアの仏像を見る旅行に行く(共著「見仏記」出版)。
みうらが撮った変な写真にいとうがコメントするイベント「ザ・スライドショー」を開催。
・安西肇…友人。
・佐藤江梨子…メール友達。
・大竹まこと、斉木しげる、きたろう、竹中直人、中村有志
…ラジカル・ガジベリビンバ・システムのメンバー。
・片桐はいり…顔が似ていると良く言われる。
・小池栄子…いとうのファン。
・ナンシー関…ナンシーが初めて書いた記事の編集を担当。
「ナンシー関」というペンネームをいとう命名。
・元妻…?年結婚、?年離婚。
・妻…99年4月入籍。
■いとうせいこう
□エピソードなど
・講談社時代、雑誌「ホットドックプレス」の編集を担当。
・講談社時代、担当した連載マンガ「業界くん物語」が話題になった。
・プロデュースしたアルバム「業界くん物語」の中の1曲「夜霧のハウスマヌカン」がヒット。
・湾岸戦争への日本加担に反対する声明に参加(=91年)。
・舞台「ゴドーは待たれながら」を演出(=92年)。
・児童文学「難解な絵本」出版(=93年)。
・映画「ぜんじろうの怒りのZEN」製作・出演(=94年)。
・シティボーイズライブに中村有志と共に客演(=95年)。
・エッセイ集「ポタニカル・ライフ」で講談社エッセイ賞(=99年)。
※自分のホームページに勝手に書いていたものをまとめたもの、
売文目的でなかったので適当に書いて推敲もせずにアップしていた文章がほめられた
・恋愛バラエティ「未来日記」をプロデュース。
・バラエティ「虎ノ門」で「うんちく王争奪戦」「しりとり竜王」などのコーナー司会を担当。
・文章執筆、映像、音楽、舞台など幅広い表現活動を展開。
・スランプで16年間長い小説を書けなかい時期があった。
・他の主な著書:
小説「ワールズ・エンド・ガーデン」「岩だらけの懐かしい星」
エッセイ集「からっぽ男の休暇」「見仏記」「ワールドアトラス」「スキヤキ」