蜷川幸雄
関連人物:蜷川実花
2016/05/12更新
■蜷川幸雄(にながわ ゆきお)
□肩書き
演出家 映画監督 俳優
□本名
蜷川幸雄
□生年
1935(昭和10)10.15(天秤座/A型)
□没年
2016(平成28)05.12(享年80)肺炎による多臓器不全
□出身地
埼玉県川口市
□出身校
開成中学校 開成高校
□略歴(満年齢)
69年(34歳)舞台「真情あふるる軽薄さ」を演出。
74年(39歳)舞台「ロミオとジュリエット」を演出。
80年(45歳)舞台「NINAGAWAマクベス」を演出。
※他の主な舞台演出作品:
「盲導犬」「三文オペラ」「王女メディア」
※主な映画監督作品
「青の炎」「蛇にピアス」「嗤う伊右衛門」
□趣味
音楽観賞 テレビ観賞 歌舞伎鑑賞
□特技
裁縫 料理
□特記事項
・妻は真山知子(蜷川宏子)
・長女は蜷川実花
・姪は蜷川有紀
・姪は蜷川みほ
有名人データベース PASONICA JPN
■蜷川幸雄
□幼少時代〜
・実家は洋服屋。
・5人兄弟の末っ子。
・高校時代、野球部。
・高1の時、授業をサボって文学散歩にいそしんで留年。
・画家を志して東京芸大油絵科を受験するが不合格だった。
□私生活
・禁煙に成功した。
・虫、小動物が苦手。
・洗い物が好き。
・音楽はクラシックから歌謡曲まで幅広く何でも聴く。
・几帳面。子供の頃からほとんど遅刻をした事がない。
・根は人見知り。
・人とつるむのが大嫌い。
・妻が女優として多忙だったので長女が5歳になる頃まで家事と育児を主に自分がやった。
有名人データベース PASONICA JPN
■蜷川幸雄
□人間関係
・松本幸四郎、藤原竜也、大竹しのぶ、白石加代子…好きな俳優。
・松浦亜弥…5分話しただけで映画「青の炎」に起用する事を決めた。
・真山知子…女優。劇団の後輩。?年結婚。
・子供:
長女…蜷川実花(みか)。写真家、映画監督。
次女…麻実(まみ)。
□エピソードなど
・高校卒業後、劇団・青俳の研究生になる。
・20歳の頃、芝居は下手なのに超生意気で「貴族俳優」と呼ばれていた。
・自意識過剰過ぎて俳優としてはダメだった。
・俳優としてドラマ「水戸黄門」にゲスト出演。
・客席が機動隊員に包囲される演出を観客が本物と思って大騒ぎになった。
※舞台「真情あふるる軽薄さ」
・演出に転向した当初はギャラが安く、知子夫人の稼ぎで食べていた。
知子夫人が忙しかったのでふたりの子供の育児をした。
・スランプで舞台演出の仕事が年間1〜2本しかなかった時期があった。
・若い頃は、稽古中によく灰皿を投げつけた。ちゃんと狙って当てないよう投げた。
タバコをやめてからは灰皿をやめて靴を投げていた。
椅子、幕の内弁当を投げた事があった。机を投げようとしたが持ち上がらなかった。
・50歳を過ぎる頃まで、あえて睡眠時間を削って頭を朦朧とした状態にする事で
イメージの霊感が訪れるのを待った。
・50代半ばの頃、胃潰瘍が悪化して胃に穴が開き、腹膜炎になって吐血、
65㎏の体重が47㎏に減って死を覚悟した。
・舞台「王女メディア」で海外公演(=83年)。
・シアターコクーンの舞台監督に就任(=99年)。
・ロイヤル・シェークスピア・カンパニーで演出家を務めた(=99年〜00年)。
・舞台「タイタス・アンドロニカス」で役者が設定と違う動きをしたので、
本番中に途中で止めて観客に謝罪して最初からやり直した。
・綺麗なだけで芸を磨く努力しない女優は季節野菜のようなものだと思っている。
・シェークスピア「十二夜」をリメイクした舞台で歌舞伎を初演出(=05年)。
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