浜田剛史

浜田剛史


■浜田剛史(はまだ つよし)

 

□肩書き

 プロボクサー(88年引退)

 

□本名

 浜田剛史

 

□生年

 1960(昭和35)11.29(射手座/O型)

 

□出身地

 沖縄県中頭郡中城村

 

□出身校

 沖縄県立沖縄水産高校

 

□略歴(満年齢)

 79年(19歳)プロデビュー。

 86年(26歳)WBC世界スーパーライト級獲得。

   ※通算成績:

      24戦21勝(19KO)2敗1無効試合

 ※主な出演:

  テレビ「ダイナミックグローブ」「エキサイトマッチ」


■浜田剛史

 

□幼少時代〜

・父親は自動車教習所経営→健康食品クロレラの培養工場経営。

 太平洋戦争の沖縄戦をかろうじて生き延び、

 戦後に米軍キャンプで働いて運送事業を学んで独立。

・浜田一族はかつては謝名堂性を名乗って琉球国王に仕える士族だった。

・7人兄弟の末っ子。

・父親に「男は泣き言は言うな」と言われて育った。

・小学校時代、6歳年上の兄がボクシングをやっているのを見てボクシングに興味を持った。

 「俺も将来ボクシングをやって必ず世界チャンピオンになる」と広言。

・高校時代、ボクシング部。

 試合に負けると夜中にひとりで歩き続けて悔しさをはらした。

 高3の時にインターハイでフェザー級チャンピオン。

 高校時代の通算成績は43戦37勝(28KO・RSC)6敗。


■浜田剛史  

 

□私生活

・酒、タバコはやらない。

・健康法…クロレラ(父親の影響で小4から愛飲)。

・体毛が濃い。

・生活のペースを乱されるのが嫌なので自宅に電話を引いていない(=90年現在)。

■浜田剛史

 

□人間関係

・レネ・アルレドンド…WBC世界スーパーライト級タイトルマッチで2回対戦。

 最初の対戦で1RでKO勝利、

 戦前の予想はアルレドンドが断然有利で大番狂わせと報じられた。

 2回目の対戦(防衛戦)で1Rにサミング気味のパンチを被弾、

 右目が見えない状態で戦ってTKO負け。

・ジョー小泉…ボクシング解説者。WOWOWのボクシング中継で共演。

・関根勤…浜田剛史のモノマネができる。

・あべ静江…憧れている芸能人(学生時代から大ファン)。


■浜田剛史

 

□エピソードなど

・高校卒業後、上京して名門・帝拳ジムに入門。

・左ファイター。

・出版社の倉庫で働きながらボクシングを続けた。

・日本ライト級タイトルを獲得(=84年)。

・OPBF東洋太平洋ライト級タイトルを獲得(=85年)。

・パンチ力が強すぎる為に試合中に左拳を骨折、

 治りかけた時に 練習中に3回骨折して、復帰までに2年かかった(=81〜83年)。

・15試合連続KO勝利(日本記録=84年)。

・練習のやりすぎで、左拳の持病に加え、

 右膝半月板損傷、腰痛などの故障を抱えていた。

・右膝半月板損傷で自分が理想とする右足の踏み込みができなくなった為、

 リングに上がるだけで手に入るファイトマネー1500万円を貰う事を潔しとせず、

 既に決まっていた試合をキャンセルして現役引退。

・浜田産業株式会社を設立(=91年)。

・渋谷ゼミナール教務本部生活指導主事に就任(=88年)。

・帝拳ジムで選手育成を担当。

 現役選手と一緒にスパーリング以外は殆ど同じメニューで汗を流す。※91年現在

・減量中のボクサーの栄養補給に最適と考えてクロレラ濃縮エキスを製品化。

 「チャンプクロレラ」(清涼飲料水)の商品名で年間6万本を生産して直接販売。

凡例:20.01現在=2020年1月現在