高峰秀子

高峰秀子

関連項目:物故者 2010年他界


■高峰秀子(たかみね ひでこ)

 

□肩書き

 俳優 作家

 

□所属

 松竹→東宝→新東宝

 

□本名(旧姓)

 平山秀子

 

□愛称

 デコちゃん

 

□生年

 1924(大正13)03.27(牡羊座)

 

□没年

 2010(平成22)12.28(享年86)肺がん

 

□出身地

 北海道函館市→東京都大田区蒲田

 

□出身校

 文化学院中退

 

□略歴(満年齢)

 51年(27歳)映画「カルメン故郷に帰る」主演。

 54年(30歳)映画「二十四の瞳」主演。

 55年(31歳)映画「浮雲」主演。

 ※他の主な出演など:

  映画「女の園」「宗方姉妹」「乱れる」

 

□特記事項

・夫は松山善三


■高峰秀子

 

□幼少時代〜

・4歳の時、実母が結核で他界。実父の妹夫婦の養子になった。

・養父は滅多に家に帰って来なかった。

・養母は「高峰秀子」の芸名で女活弁士をしていた。

・子供の頃は病弱だった。

・7歳の時、中耳炎で片耳の聴力を失った。

 

□私生活

・食べるのが好き。

・酒が好き。

・神経性胃腸炎を患って仕事を休養(35歳頃)。

・粉薬を飲むのが苦手。

・27歳の頃、フランス・パリに半年間滞在。

・パーティーが大の苦手。


■高峰秀子

 

□人間関係

・谷崎潤一郎…友人。よく一緒に食事。

 谷崎の自宅に数回遊びに行った。

・東海林太郎…子役時代に東海林のショーで共演。

 養女に求められて母親と一緒に東海林の家で約2年間同居(10歳前後)。

 東海林の子供ふたり(同年代の男の子)と仲良しだった。

・田中絹代…映画「新道」で姉妹役で共演(田中27歳、高峰12歳の頃)。

 撮影中にほぼ毎晩田中に自宅に泊めて貰って一緒に食事。

 田中から衣装をたくさん貰った。

・木下恵介、川口松太郎…仲人。

・市川崑…高峰の家に下宿していた。

・杉村春子…16歳の時に映画「小島の春」の杉村を見て強いショックを受けて、

 自分の演技に関して真剣に考え始めた。

・成瀬巳喜男…成瀬が監督した映画17本に出演。

・黒澤明…17歳の頃に黒澤に対して淡い恋心を抱いていた。

・松山善三…映画監督、脚本家。55.03.26結婚。


■高峰秀子

 

□エピソードなど

・見学に訪れた松竹蒲田撮影所で偶然開催されていたオーディションを受けて合格。

 ※映画「母」のオーディション

・子役の仕事を始めた当初の月給は35円。

 ※当時の大卒初任給は50円程度

・人気子役として年間10本以上の映画に出演。

 午前は半ズボンで男の子、午後は別の作品でスカートで女の子を演じた。

・子役時代の主な出演作品:

 映画「母」「マダムと女房」「新道」

・12歳の頃、母方の親族9人の生活費を負担していたので、

 自分が自由に使えるお金は殆どなかった。

・映画「馬」は撮影に3年かかった(41年公開)。

・17歳の頃、一流の先生について発声を基礎から勉強。

・映画「カルメン故郷に帰る」は国産初のカラー映画。

・自然体の演技に定評があった。

・ナショナルのCMにのべ17年間出演。

・副業…骨董品店「ピッコロモンド」(有楽町=69年開店)。

・俳優引退後は作家としてエッセイや脚本を執筆。

・2時間ドラマ「忍ばずの女」脚本(=94年)。

・主な著書:

 エッセイ「巴里ひとりある記」

 エッセイ「わたしの渡世日記」

※凡例 20.01現在=2020年1月現在

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