長嶋茂雄
■長嶋茂雄(ながしま しげお)
□肩書き
野球選手(74年引退)
野球指導者
□所属
読売ジャイアンツ(58年〜74年)※現役
読売ジャイアンツ(75年〜80年,93年〜01年)※監督
□本名
長嶋茂雄
□愛称
チョーさん
ミスター
□生年
1936(昭和11)02.20(魚座/B型)
□出身地
千葉県佐倉市
□出身校
佐倉中学校
千葉県立佐倉第一高校
立教大学経済学部経営学科
□略歴(満年齢)
58年(22歳)読売ジャイアンツに入団。本塁打王、打点王。
75年(39歳)読売ジャイアンツの監督に就任。
02年(66歳)日本代表監督に就任。
※入団、就任は野球シーズン年度
※通算成績:
2186試合、2471安打、.305、444本、1522打点
※主なタイトル・表彰:
新人王、首位打者6回、ホームラン王2回、打点王5回、最多安打10回
※主な出演:
映画 「ミスタージャイアンツ 勝利の旗」「燃える男 長島茂雄 栄光の背番号3」
テレビ「24時間テレビ」「情熱大陸」「独占!長嶋茂雄の真実 父と娘の40年物語」
CM 「三陽商会 バーバリー」「資生堂 ヴィンテージ」「セコム」
□趣味
絵画収集 陶器観賞 盆栽 園芸 スポーツ観戦 ジョギング
□特技
将棋5段
□サイズ
179㎝78㎏
□特記事項
・長男は長嶋一茂
・次女は長嶋三奈
・ON砲(王、長嶋)
・ミスタージャイアンツ
■長嶋茂雄
□幼少時代〜
・父親は公務員(臼井町収入役)。並行して農業も営んでいた。
・4人きょうだいの末っ子。兄が1人、姉が2人いる。
・母親に溺愛されて育った。
・小学校時代、身長は一番小さかったがクラスのリーダーだった。
・小5の時、野球を始めた。
・中学時代、1年からショートでレギュラー。
・中学時代、1学年先輩の女の子(愛称クロちゃん)に初恋。試合の前に千羽鶴を貰った。
・高2の時、身長が急速に伸び始めた。
・高3の時、ショートからサードにコンバート。
・高3の時、父親が初めて球場に来た試合で人生初のスタンドに入るホームランを打った。
父親は1年後に他界、試合を見たのはそれが最初で最後だった。
・父親の臨終の時に「日本一のプロ野球選手になる」と誓いを立てた。
・大学時代、学食でよくカツ丼やカレーライスを食べた。
・大学時代、「" I live in tokyo."を過去形にしなさい」という英語のテスト問題に
「「I live in edo」と解答した。
・大学4年の時、六大学リーグ戦で春秋連続優勝。
チームメイトから借りたバットで8号ホームラン(当時の新記録)を打った。
■長嶋茂雄
□私生活
・好物…じゃがいも入りのおでん。フカヒレ。
ふぐ刺し(大好物、はしに巻つけてパスタのように食べる)。
・タバコが嫌い。自分の前では吸わせない。
・胆石で入院(=18年7月)。
・脳梗塞で倒れて緊急入院(=04年)。
ランニングできる状態を目指してリハビリ中(=17.03現在)。
・好きな作家…五木寛之。
・安岡正篤(漢学者)の著書を愛読。
氏の説く「陰徳」(徳は人の見ていない所で積んでこそ本物という考え)という言葉が好き。
・オーストラリアの原住民モジリアニに関する本をたくさん読んだ。
・好きな音楽…クラシック。
・好きな曲…「野球小僧」。
・時代劇が好き。黒沢明監督の映画が好き。
・絵画を多数所蔵。家全体が一種の美術館。
梅原龍三郎、ヒロ・ヤマガタ、ラッセン、平山郁夫、林武、モジリアニ、マチス、など。
・仏教(般若波羅密多心経)に興味関心がある。
・住んでいる所…東京都大田区田園調布(=98.11現在)。
・いきつけ…
焼鳥「鳥鍈」(田園調布、先代の主人の葬儀委員長を務めた)。
・合気道の道場「天心悟所」に通った事がある。
・サウナが大好き。
サウナでは常に3番の下駄箱、右から3番目の洗い場を使う。
・浅間神社(田園調布)、芦屋神社(大阪)によくお参りする。
・飛行機が好き。東京ー大阪の移動にも新幹線でなく飛行機を使う。
・上野駅まで自分のクルマで行って地方の試合に出場、
帰ってきた時にクルマで来た事を忘れてタクシーで帰ってしまい、
翌日車庫を見て「車を盗まれた!」と警察に通報した。
・長男・一茂を後楽園球場に連れて行った事を忘れて置いて帰ってきてしまった事がある。
・カラオケの十八番…「さざんかの宿」。
・京都のクラブ「おそめ」のホステスとの婚約不履行を噂された(独身時代)。
■長嶋茂雄
□人間関係
・石原慎太郎…友人。一緒にアメリカ旅行に行った。
・北大路欣也…友人。毎年一緒に成田山新勝寺に初詣に行く。
・黒沢久雄…友人。ゴルフ仲間。
・せんだみつお…友人。よく一緒に食事する。
・北島三郎、宮沢りえ…友人。
・元木大介&大神いずみ…長嶋が仲人を務めた。
・高倉健…友人。毎年一緒に成田山新勝寺に初詣に行った。
・池内淳子…友人。飲み仲間。
・渡哲也…同じゴルフ練習場を使っている。
・鳳蘭…焼鳥「鳥鍈」(田園調布)の常連仲間。
・松井秀喜…ドラフト会議で松井の交渉権をひきあてた。
入団当初に毎晩マンツーマンで長島からバッティングに関してアドバイスした。
遠征先の宿舎や長嶋の自宅で頻繁にマンツーマン指導。
松井が誕生した74年は長島が現役を引退した年。
国民栄誉賞を同時受賞(=13年)。
・王貞治…巨人のチームメイト。現役時代「ON砲」として活躍。
・板東英二…現役時代に何度も対戦。
坂東が投じたショートバウンドしそうな球を打って本塁打。
・金田正一…1年目の開幕戦で対戦して4打席4三振。
・村山実…ライバル的存在。天覧試合で村山からサヨナラ本塁打(=59年)。
・野村克也…同期生。ライバル的存在。
・仰木彬…同期生。
・杉浦忠…立教大学の同期生。
・大沢啓二…大学の2年先輩。
・野際陽子…立教大学の同期生。
長嶋が神宮で六大学新記録の8号本塁打を打った試合を生観戦。
・岡本和真、菅野智之、丸佳浩、坂本勇人、亀井義行、阿部慎之助、
上原浩治、高橋由伸、松井秀喜、桑田真澄、原辰徳、中畑清、
定岡正二、江川卓、堀内恒夫、高田繁、王貞治、城之内邦雄、
長嶋茂雄、別所毅彦、川上哲治、千葉茂、藤本英雄、
沢村栄治、スタルヒン、水原茂、藤本定義
…読売ジャイアンツ所属(移籍・引退・監督を含む)。
・白鵬翔、北島康介、塙宣之、山本高広、松本幸四郎(10代目)、
中居正広、西田ひかる、田辺誠一、中山秀征、柳葉敏郎、
野口五郎、奥田瑛二、糸井重里、福留功男、徳光和夫
…読売ジャイアンツのファン。
・関根勤、プリティ長嶋、コージー富田…長嶋のモノマネをする。
・ショー・コスギ…エキストラ時代にセイコーのCMに長嶋の代役として出演。
・アントニオ猪木、志村けん…誕生日が同じ(2月20日)。
・阿藤快…長嶋の大ファン。学生時代に長島茂雄に憧れて野球をやっていた。
引退試合のコメントを収録したレコードを所有。
・井上順…現役時代から長嶋の大ファン。
同じ洋服屋を利用(偶然会った時に長嶋にプレゼントして貰ったスーツは家宝)。
引退記念のスプーンセットを棺桶に入れて貰うつもりで大切に保存。
・沢田研二…昔から長嶋の大ファン。
阪神ファンだが長嶋が監督の時は巨人優勝を祝して飲んだ。
・高田延彦…長嶋のファン。子供の頃、長嶋に憧れて野球をやっていた。
・テリ−伊藤…現役時代から長嶋の大ファン。引退試合を球場で生観戦。
長嶋から貰った使用済みのスタジアムジャンパーは家宝。
著書「君は長島茂雄と死ねるか!」を出版。
・徳光和夫…長嶋の大ファン。
高2の時、六大学野球の長嶋のホームラン新記録を神宮球場で見て感動、
「あの人に一生ついて行こう」と決意。
後輩になるために立教大学の全学部を受験して社会学部に補欠入学。
巨人優勝の賭けに負けて坊主になった時に長嶋から貰った帽子は家宝。
・みのもんた…長嶋のファン。長島に憧れて中学〜大学と立教に進学。
・浅香光代…長嶋の大ファン。同じ誕生日。
・明石家さんま、大和田伸也、大和田獏、加藤茶、ガダルカナル・タカ、
北村総一朗、京本政樹、田村正和、つかこうへい、寺脇康文、
中村勘三郎、林家こん平、美木良介、峰竜太、
西山喜久恵、原田悠里、冨士眞奈美
…長嶋のファン。
・藤木直人…高校の後輩。
・中畑清…長嶋に憧れて野球を始めた。
現役時代は長嶋を意識して常に観客にアピールするプレイをこころがけた。
アテネ五輪ヘッドコーチとして長嶋の代役として日本代表チームの指揮を取った。
・定岡正二…巨人の監督に就任して初めてのドラフトで定岡を1位指名。
・江川卓、落合博満…子供の頃から長嶋の大ファン。
・清原和博…長嶋の大ファン。
長嶋茂雄グッズコレクションは球界一と言われている。
長嶋から西武入団時に貰った万年筆は使わずに飾ってある。
・砂押邦信…立教大学野球部監督。大学時代の猛特訓で技量が上達。
プロ入り後もスランプの時に密かに指導を受けた。
・亜希子…東京五輪コンパニオン。65.01.26東京・渋谷のカトリック教会で挙式。
新聞社主催の座談会で知り合って一目ぼれして1ヵ月で婚約、3ヵ月で結婚。※07年他界
・子供:
長男…長嶋一茂。66.01.26誕生。野球選手。
93年に巨人に移籍して96年に現役を引退するまで4年間親子で巨人に在籍。
長女…有希。
次女…長嶋三奈。68.06.03誕生。スポーツキャスター。
次男…正興。カーレーサー。
■長嶋茂雄
□エピソードなど
・1年目、1塁ベースを踏み忘れで幻のホームラン(=58.09.19広島戦)。
このミスがなければトリプルスリー(3割30本30盗塁)だった。
・1年目、本塁打王、打点王、ベストナイン、新人王。
・前を走るランナーを追い越し(=60年)。
・ルーキーシーズンの開幕戦から連続220試合フルイニング出場。
※18年に源田壮亮に破られるまでプロ野球記録
・プロ入り当初は「ハリケーン」と呼ばれる俊足だった。
・プロ野球初の天覧試合で阪神・村山からプロ入り初のサヨナラ本塁打(=59年)。
・わざと小さいヘルメットをかぶり、空振りした時に美しく飛ぶように鏡の前で何度も練習した。
・インサイドにボール2個分外れた球を引っ張ってレフトのフェアゾーンに入れる練習をした。
・超ファインプレイもあれば何でもないイージーゴロをトンネルする事もあった。
・開幕戦で通算10本塁打(最多記録)。
63年は2本塁打。5年連続本塁打(=70年〜74年)。
・チャンスに滅法強かったので「燃える男」と呼ばれた。
・敬遠に抗議してバットを持たずに打席に入った(=71年6月広島戦)。
・現役最後の試合で本塁打。
・現役最後の試合後のセレモニーで名台詞「巨人軍は永遠に不滅です」を残した。
・監督1年目はジャイアンツ史上初の最下位。
・負け試合にカッカして、王を代打にだすのを忘れてしまい、
王の連続出場記録を途切れさせてしまった(王出し忘れ事件=75年)。。
・監督就任時のジャイアンツはV9戦士の力が落ちてきて世代交代の時期だった。
新浦、西本、角、山倉、中畑、篠塚、松本などを育てた。
79年秋に伊東で開催した秋季キャンプで若手を徹底的に鍛えた。
その時のメンバーは「伊東会」として毎年集まっている。
・セオリー無視の戦法を度々取って「カンピューター野球」と言われた。
・代打で起用した選手に「ここは、打つと見せかけてヒッティングだ!」と耳打ちした事があったらしい。
・監督浪人中にスポーツイベントのリポーターとして活躍。
ゴルフ全英オープン、世界陸上などをレポート。
世界陸上で100mを勝ったカール・ルイスにスタンドから「ヘイ、カール!」と声をかけた。
・解説者として緊迫した試合に関してコメントを求められて
「この試合は1点でも多く取った方が勝つでしょうね」と話した事があるらしい。
・ここ一番ではげんかつぎでシルクのパンツをはく。
・英語を交えた独特の話し方をよくモノマネされる。
口癖は「いわゆるひとつの…」「そうですね〜」「…ですか」。
・NFLの体験取材でタックルを受けて肋骨を骨折した。
・人の名前を無意識によく呼び間違える。
・同率最終戦で中日に勝利してセリーグ優勝(=94.19.08)。
・11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝(=96年)。
キャッチフレーズ「メークドラマ」が流行語大賞を受賞。
・ガルベスが審判にボールを投げつけた事件のけじめのために頭を丸刈りにした(=98年)。
・監督としてリーグ優勝5回、日本シリーズ優勝2回。
・読売ジャイアンツの終身名誉監督に就任(=01年)。
・対談集「人生の知恵袋 ミスターと7人の水先案内人」を出版(出版記念サイン会を開催=04年)。
・アテネ五輪アジア予選の大一番の韓国戦の試合前に韓国の選手にバッティング指導をしたらしい。
・東京五輪開会式聖火ランナーを王貞治、松井秀喜と共に務めた(=21年)。
長嶋は松井に脇を抱えられて歩を進めた。
・野球界初の文化勲章(=21年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在