■鈴木明子(すずき あきこ)
□肩書き
フィギュアスケート選手 プロフィギュアスケーター
□生年
1985(昭和60)03.28(牡羊座)
□出身地
愛知県豊橋市
□出身校
東北福祉大学卒業
□略歴(満年齢)
10年(25歳)バンクーバー五輪に出場(8位)。
12年(27歳)世界選手権3位。
14年(29歳)ソチ五輪に出場(団体5位、個人8位)。
※主な出演:
テレビ「ヒルナンデス」「ウチくる!?」「ダウンタウンDX」
□趣味
読書 ヨガ
□特技
料理 書道
□サイズ
161㎝ 48㎏
□特記事項
・五輪2大会連続入賞
■鈴木明子
□幼少時代〜
・両親はレストランを経営。
・スケートをはじめる前は太っていた。
・6歳の時、近所のリンクでスケートを始めた。
・運動神経が良い方ではなかった。
逆上がりや縄跳びの二重跳びができるようになるまで何度も練習を重ねた。
・小4の時、ピアノ、水泳などの習い事をやめてスケート1本に絞った。
・毎日ひとりで電車に乗って名古屋のスケートリンクに通った。
・スケートリンクにいるのが大好きだった。
自分の練習がない時もスケートリンクで長時間を過ごすのが楽しかった。
・高校時代、1歳年上のフィギュアスケート選手と交際。
同じリンクで練習していた。練習終了後にコンビニで待ち合わせて一緒に帰った。
・大学入学直後から約半年間摂食障害を患った。
体重が48㎏から32㎏まで落ちて普通に歩く事もできなくなった。
体力低下でぐっすり眠れなかった。実家に戻って療養した。
1年ぶりにスケートを再開した当初は子供でもできる技ができなかった。
食事に対する恐怖心が完全に消えるまでに約3年かかった。
・大学4年の時、ユニバーシアード優勝。た。
□私生活
・好物…もち(大好物、1年中お雑煮を食べる)。しゃぶしゃぶ。温野菜。
・筋肉がつきやすい体質。
・スケート以外のスポーツは苦手。
・いきつけ…「御料理処 青木」(名古屋=14.09現在)。
・ブログをやっている(=15.04現在)。
■鈴木明子
□人間関係
・浅田真央、村上佳菜子…友人。姉妹のように仲が良い。
・高橋大輔…友人。「大ちゃん」と呼ぶ。
10代の頃から支え合った同志のような存在。よく悩み事を相談した。
酒に酔った高橋を介抱してあげた事が何度もある。
・小塚崇彦…友人。よく一緒に食事・カラオケに行く。
・織田信成…友人。フィギュアスケート仲間。アイスショーで共演。
・羽生結弦、町田樹、浅田真央…ソチ五輪フィギュアスケート団体戦のチームメイト。
羽生は小学生の頃から鈴木と同じスケートリンクで練習していた。
・荒川静香、安藤美姫、恩田美栄、中野友加里、村主章枝
…同時期に活動していたフィギュアスケート選手。
・本郷理華…振付を担当。
・長久保裕…担当コーチ。10代の頃から10年以上師事。
お互いにストレートに言いたい事を言い合える関係だった。
・Metis…友人。誕生日が同じ。MetisのアルバムのPVに出演。
・貫地谷しほり、春香クリスティーン、笛木優子、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ
…フィギュアスケート好きの芸能人。
貫地谷は全ての大会を録画して見る。ミッツはかなりのフィギュアスケート通。
・今くるよ…顔が似ているとよく言われる。
・足木俊介(俳優)…小学校の同級生。
・市村正親…憧れている芸能人。
・元夫…17.02.01入籍、18.10.12離婚発表。小学校の同級生。
■鈴木明子
□エピソードなど
・10代の頃は休暇を取らずに毎日練習した。
当時は2日以上休むと次の練習で体の始動が遅くなった。
・摂食障害を患う前は「できないのに完璧主義」だった。
自分で勝手に上げたハードルをクリアできない事に自己嫌悪を感じていた。
病気克服後は「まあ、いいか」という部分を残すようにした。
・大学卒業後、東邦不動産(邦和スポーツランド)に所属。
邦和スポーツランドが所有するスケートリンクをホームリンクとした。
・人の数倍練習しないと新しい技術を習得できなかった。
・シーズン中は6日間練習して1日休みのスケジュールで1日4時間〜4時間半練習した。
リンクに出る直前にすべての動きをイメージトレーニングした。
練習をiPadで録画して自分のミスを全て細かくチェックした。
・マリア・パヘス(フラメンコダンサー)の踊りを振付の参考にした。
・バンクーバー五輪の演技終了後に感極まって泣いた。
・女性の精神分析医に自分自身とスケートについて話をした事が成績向上につながった。
・27歳での世界選手権で初メダルは日本フィギュアスケート史上最年長記録。
・12-13シーズンの年末年始に初めて長期休暇を取った。
・ソチ五輪挑戦を決意したのはソチ五輪の1年前だった。
・ソチ五輪のフィギュアスケート団体戦で日本代表チームのキャプテンを務めた。
・前年12月に痛めた足が悪化してソチ五輪で理想の滑りが出来なかった。
スニーカーを履いていても痛くて仕方がない状態だったが精神力で演じきった。
・うまく滑れている時は観客の歓声がはっきりと聞こえて最前列の人と視線が合う。
・初の著書「ひとつひとつ。少しずつ。」を出版(=14年)。
・プロ転向後、アイスショーとテレビの仕事で競技選手時代に比べて数倍忙しくなった。
・慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究所研究員としてキャリアについて講演。
・競技選手引退後も毎年夏にアメリカ・デトロイトのリンクで1ヵ月スケートを練習。
現役時代からの練習拠点。同じホテルに滞在(スタッフが「おかえり」と言ってくれる)。
・アイスショーの仕事が大好き。
・仲が良い日本代表選手と年齢が離れていていてもニックネームで呼び合って敬語なしで話す。
・プロスケーターとして長く滑り、その後は世界で活躍する振付師になりたいと思っている。
凡例:17.01現在=2017年1月現在