■赤木春恵(あかぎ はるえ)
□肩書き
女優
□本名
小田章子(おだ あやこ)
□生年
1924(大正13)03.14(魚座/B型)
□没年
2018(平成30)11.29(享年94)心不全
□出身地
旧満州・新京→京都府京都市
□出身校
京都洛陽高等女学校
□略歴(満年齢)
83年(59歳)朝ドラ「おしん」出演。
90年(66歳)ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」出演。
13年(91歳)映画「ペコロスの母に会いに行く」主演。
※他の主な出演:
舞台 「幸福」「棟方志功物語」「忠臣蔵」
映画 「五番町夕霧楼」「二百三高地」
ドラマ「藍より青く」「おんな太閤記」「3年B組金八先生」
CM 「養命酒」「フジカラー」「サンヨー食品 幸楽ラーメン」
□趣味
大相撲観戦 ショッピング
□サイズ
152㎝ B106W90H108 靴のサイズ23.5㎝
■赤木春恵
□幼少時代〜
・父親は医者。
赤木が誕生した時は満州鉄道病院に勤務していた。
・兄が2人いる(11歳年上、9歳年上)。
・3歳の時、父親が病死。
・9歳の時、親戚を頼って京都(母親の郷里)に引っ越した。
母親が仕立屋の内職や保険の外交で生計を支えてくれた。
・女学校時代、大叔母の家に2年間行儀見習いに出された。
■赤木春恵
□私生活
・好物…白米。すき焼き。ステーキ。ホットドッグ。ちりめんじゃこ。
・嫌いな食べ物…フォアグラ。うなぎ。キャビア。
・得意料理…高菜と豚肉の炒め物。
・タバコが好き(時期不詳)。
・健康法…エアロバイク(森光子からのクリスマスプレゼント)。
・大腿部頚部骨折で寝たきり生活(=17.06現在)。
・パーキンソン病を患っている(=17.06現在)。
・乳がんを患って左乳房の切除手術を受けた(=07年)。
・50歳の頃に舞台の初日に右足アキレス腱を断裂、
テーピングと副木で固定して1ヵ月舞台に出演して千秋楽の翌日に手術。
以降、右足が不自由になった。※[左足]とする媒体もある
・88歳の頃に「骨密度は20代」と診断された。
・機械に弱い。ビデオの録画、ファックスの送信、携帯のメールができない。
・料理、掃除、片付けなど家事が大好き。体が自然に動く。
家事を全て片付けてからでないと台本に取りかかれない。
・好きなドラマ…「冬のソナタ」。
・サスペンスドラマが好き(犯人当てをする)。
・毎朝、仏壇にご飯をついで水を替えて花を添えロウソクに火をつけてお参りする。
・大事なモノを確かめもせずに捨ててしまう癖がある。
小切手を破って捨ててしまった事もある。
・好きな花…トルコ桔梗。
・ペット…犬(ビションフリーゼ2匹、名前はレディーとナナ=06.12現在)。
・住んでいる所…東京都府中市(一軒家=90.03現在)。
・娘夫婦、孫2人と同居中(=03.03現在)。
・いきつけ…
喫茶「タボーラ」(東京都府中市、家族ぐるみのつきあい)。
洋食屋「ブラームス」(自由が丘)。
・手帳に日本全国のおいしい店の情報を書き込んでいる。
・スーパーやショッピングセンターでの買物が大好き。
・自由が丘・ひかり街によく行く。
・のんびり屋で物事にこだわらない性格。
人のせいにするとストレスがたまるので何でも自分のせいにする。
・兄が歯科医から映画の助監督に転身した。
・長女の夫は赤木の個人事務所の代表、
長女は事務所の金銭管理などを担当(=90.03現在)。
・孫が悪い事をした時は部屋に呼んでなぜ悪いかをじっくり説明する。
■赤木春恵
□人間関係
・森光子…親友。
戦時中に軍需工場や航空隊を慰問していた時に知り合った。
家を建てる時に森からお金を借りた。
・泉ピン子…友人。長電話をする仲。
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で共演(赤木は泉をいじめる姑役)。
・池内淳子、大空眞弓…友人。
・里見浩太朗…東映の後輩。息子のようにかわいがっていた。
赤木の自宅によく遊びに来た。里見から「お母さん」と呼ばれた。
赤木の夫は芸名「里見」の名付け親。
・片岡千恵蔵…片岡主演の映画に数多く出演。
若い頃に片岡のマネージャー兼付き人のような仕事をしていた。
・森繁久彌…森繁主宰の劇団に参加した事がきっかけで現代劇に出演。
森繁を頼って一家で京都から東京に引っ越した。
・えなりかずき、角野卓造、前田吟、赤木春恵、泉ピン子、京唄子、
中田喜子、長山藍子、野村真美、藤田朋子
…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの主な出演者。
・橋田寿賀子…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズの脚本家。
「やせると意地悪な役の迫力がなくなるのであまり痩せないように」と注意される。
・石井ふく子…ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズのプロデューサー。
・中山省吾(ポカスカジャン)…赤木のモノマネをする。
・小田賢五郎…47年結婚。映画プロデューサー。9歳年上。※がんで他界
・子供:
長女…泉。
長男。
※孫が4人いる(=90.03現在)
■赤木春恵
□エピソードなど
・松竹にニューフェースとして入社 (=40年)。
・親が決めた相手と結婚したくなかったので、
映画の助監督をしていた兄の紹介で映画会社に入った。
・松竹、大映、東映を経て森繁劇団参加と同時にフリーになった。
・映画会社に入った当時、内務省の試験を受けて登録する必要があり、
台本の読み方から演技の基礎を徹底的に教え込まれた。
・終戦間際、満州に渡って次兄が創設した慰問演劇団・銀星座に参加。
兄が召集された後に団長を引き継いだ。
ソ連侵攻後はハルピンのダンスホールでダンサーをしていた。
戦後にソ連の強制収容所に入れられた。
・「40歳になった時に味のある女優と言われるようになりたい」
と10代の頃から思っていた。
・20歳の頃からフケ役をやっていた。
20代後半で60歳の役を演じた。
同年代の女優の母親役を何度も演じた。
・森繁久彌主宰の劇団(自由劇団)の旗揚げに参加(=59年)。
・自分の台詞だけを紙に書いて覚える。
・ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は極端な長台詞が多い。
・ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の脚本にどうしても言いたくない台詞があり、
その台詞だけ本番になると出てこなくなるんでカメラの横に書いて貰って演じた。
・楽屋に炊飯器など調理器具一切を持ち込んで共演者に食事をふるまう。
・キツい性格の役柄を演じる事が多い。
・菊田一夫演劇賞を受賞(=88年)。
・秋の紫綬褒章を受章(=93年)。
・長女・泉が「素顔が一番」に出演(=02年)。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=04年11月29日放送分)。
・主な著書:
「おばあちゃんの家事秘伝」(小学館)
「わたしの遅咲き人生」(講談社)
凡例:19.01現在=2019年1月現在