■貴景勝光信(たかけいしょう みつのぶ)
□肩書き
大相撲力士
□所属
貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋
□本名
佐藤貴信
□生年
1996(平成08)08.05(獅子座/O型)
□出身地
兵庫県芦屋市
□出身校
芦屋大学付属幼稚園
仁川学院小学校
報徳学園中学校
埼玉栄高校
□略歴(満年齢)
14年(18歳)9月場所で初土俵。
18年(22歳)1月場所で新小結。11月場所で初優勝。
19年(23歳)3月場所後に大関昇進。
※主な出演:
テレビ「櫻井有吉アブナイ夜会」
□趣味
サッカー観戦
□サイズ
175㎝ 169㎏
■貴景勝光信
□幼少時代〜
・父親は幅広く手がける実業家。
不動産業、カラオケ店経営、保育園経営など。
・父親は極真空手をやっていた。
・生まれた時の体重は2800グラム。
・家は裕福だった。
・子供の頃、食が細く、体が小さかった。
・母親に「勉強しなさい」とよく言われた。
・4歳から極真空手をやっていた。
父親の厳しい指導の元で毎日1時間以上サンドバッグを突いた。
週2〜3回空手道場に通い、子供の部と大人の部に連続参加(計4時間)。
小3の時に全国大会決勝で反則負けで準優勝、「判定がある競技はやりたくない」と思った。
・サッカーを習った時期があった。
周囲を無視してひとりでドリブルを繰り返してGKに転向させられてやめた。
・走るのが速かった。小1から小4まで毎年リレーの選手に選ばれた。
・小学校低学年の頃、3つの塾、サッカー、空手、柔道、相撲、体操、水泳を習っていた。
・小3の時、相撲を始めた。
小4〜小6の時、相撲の全国大会で3年連続上位入賞。
毎日自宅で四股を踏み、廊下でぶつかり稽古をした。
※テレビ「学校へ行こう!」に天才相撲少年として出演(=07年)
・約4年間で父親の指導で約50㎏増量(小3の時30㎏→卒業時80㎏)。
450グラムのハンバーグ定食を3人前、牛丼特盛り3杯などを食べた。
毎日牛乳を最低2ℓ飲んだ。
・小学校の卒業文集に「将来横綱になりたい」「お客様に喜ばれる相撲を取りたい」と書いた。
・中学時代、1回の食事で肉を1㎏食べた。
当時の食費は月30万円。
・中学時代、中学横綱。
強すぎて稽古相手がいなかったので関西学院大学に出稽古。
・中2の時、腰を疲労骨折して稽古ができない間によくケンカをした。
・埼玉栄高校は相撲の強豪校。
・高校時代、寮生活。
・高校時代、校則で恋愛禁止、携帯電話禁止だった。
・高校時代、全国大会7冠。
・高3の時、世界ジュニア選手権無差別級優勝。
■貴景勝光信
□人間関係
・阿武咲奎也…親友。同い年。ライバル的存在。
子供の頃から何度も全国大会で対戦。全中決勝で対戦。
・、琴勝峰吉成、琴ノ若傑太、貴景勝光信、
大栄翔勇人、翔猿正也、豪栄道豪太郎
…埼玉栄高校相撲部出身。
・宇良和輝…関西学院大学での出稽古で対戦。
当時宇良は大学1年、貴景勝は中学3年。
・貴景勝光信、貴ノ岩義司、舛乃山大晴、隆の勝伸明、
貴源治賢、貴公俊剛
…千賀ノ浦部屋所属(引退・廃業を含む)。
・王鵬幸之介…貴景勝の付け人(19年5月場所)。埼玉栄高校の3年後輩。
・隆三杉太一…師匠。
・貴乃花光司…元師匠。貴景勝の父親は貴乃花のファンだった。
・山田道紀…恩師。埼玉栄高校相撲部監督。
・目加田剛佑(一般人)…親友。小学校の同級生。
・堀田茜…憧れている芸能人(鼻の形が好き)。
・クロちゃん…好きな芸人。
・千葉有希奈…20年秋結婚。元大関・北天佑の次女。
・子供:長男。
■貴景勝光信
□人間関係
・阿武咲…親友。同い年。ライバル的存在。
子供の頃から何度も全国大会で対戦。全中決勝で対戦。
・王鵬、琴勝峰、琴ノ若、貴景勝、大栄翔、翔猿、豪栄道
…埼玉栄高校相撲部出身。
・宇良…関西学院大学での出稽古で対戦。
当時宇良は大学1年、貴景勝は中学3年。
・貴景勝、貴ノ岩、舛乃山、隆の勝、貴源治、貴公俊
…千賀ノ浦部屋所属(引退・廃業を含む)。
・王鵬…貴景勝の付け人(19年5月場所)。埼玉栄高校の3年後輩。
・琴勝峰…千秋楽相星決戦で対戦して破れた(=23年1月場所)。
・隆三杉…師匠。
・貴乃花…元師匠。貴景勝の父親は貴乃花のファンだった。
・山田道紀…恩師。埼玉栄高校相撲部監督。
・目加田剛佑(一般人)…親友。小学校の同級生。
・堀田茜…憧れている芸能人(鼻の形が好き)。
・クロちゃん…好きな芸人。
・千葉有希奈…20年秋結婚。元大関・北天佑の次女。
・子供:長男。
■貴景勝光信
□エピソードなど
・突き、押し、いなしが得意。
・10代の新十両力士として史上初の初日から8連勝(=16年)。
・1月場所で新入幕(=17年)。
・師匠・貴乃花親方の退職で貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移籍(=18年)。
・3横綱1大関休場した場所で13勝2敗で初優勝(=18年11月場所)。
00年魁皇以来18年ぶりの小結優勝。
初土俵から26場所で初優勝は史上4位タイ(年6場所制以降、幕下付け出しを除く)。
・基本的にテーピングやサポーターを付けずに土俵に上がる。
・常に「勝っておごらず、負けて腐らず」を心がけている。
・栃ノ心との<入替戦>を制して大関昇進を決定的にする10勝目(=19年3月場所千秋楽)。
栃ノ心はこの敗戦で2場所連続負け越しが決定(大関陥落)。
・大関昇進伝達式の口上の「感謝と思いやりの気持ち」は埼玉栄高校相撲部の教えから。
・芦屋市のPR大使就任(=19年)。
・新大関の19年5月場所4日目御嶽海戦で右膝靭帯を痛めて5日目から休場。
8日目に再出場して敗戦、9日目から再休場。7月場所を全休。
母校・埼玉栄高校に約1ヵ月半住み込みでリハビリをした。
・19年11月場所優勝決定戦の御嶽海戦で左大胸筋肉離れ(全治6週間)。
怪我した瞬間に心が折れる程の痛みがあった。
内出血が始まるまでの数日間は寝返りできない痛みだった。
広範囲に内出血している状態を報じられた。
・横綱昇進に挑戦した21年1月場所で初日から4連敗、
2勝7敗で10日目から休場。
凡例:20.01現在=2020年1月現在