■蝶野正洋(ちょうの まさひろ)
□肩書き
プロレスラー
□本名
蝶野正洋
□生年
1963(昭和38)09.17(乙女座/O型)
□出身地
東京都渋谷区→東京都三鷹市
□出身校
渋谷区立猿楽小学校→三鷹市立北野小学校
三鷹五中→三鷹六中
都立永山高校
□略歴(満年齢)
84年(21歳)新日本プロレスに入門(→10年退団)。
92年(29歳)第75代NWA世界ヘビー級タイトルを獲得。
96年(33歳)nWo JAPANを設立。
※他の主な獲得タイトル:
IWGPヘビー級、IWGPタッグ、G1クライマックス
※主な出演:
テレビ「めちゃ×2イケてるッ!」「ガキの使いやあらへんで!!」「行列のできる法律相談所」
□趣味
サッカー観戦 麻雀 クルマ
□サイズ
188㎝
□特記事項
・妻はドイツ人
・G1クライマックス5回優勝
■蝶野正洋
□幼少時代〜
・父親は山陽国策パルプのサラリーマン。海外勤務が多かった。
・アメリカ・シアトルで生まれた。
・6歳年上の兄、4歳年上の姉がいる。
・2歳の時に日本で引っ越した。
※シアトル時代の事は全く覚えていない
・2歳半の時、近所のワルガキ兄弟を相手に人生初のケンカ、2歳年上の兄を泣かせて完全勝利した。
※その兄は衛星放送でプロレス番組の司会をしている(=03.05現在)
・父親は教育熱心だった。
小4から学習塾に通わされた。
日曜日は父親が1日家庭教師。
・小学校時代は成績優秀だった。
・小4の時、イジメをする同級生を髪の毛をつかんでコンクリートの校庭をひきずりまわして成敗した。
・小5の時、東京都三鷹市に引っ越した。
・中学受験に失敗した。
・小学校〜高校時代、サッカー部。
小学校と中学で中心になってサッカー部を創設。
中学時代にサッカーでブラジルに留学する事を考えた。
・中学〜高校時代、不良だった。
暴走族の集会に参加。
中3の時にケンカ相手に内臓破裂の怪我を負わせて新聞に載った。
ケンカで高校を4回停学。「三鷹に蝶野あり」と言われていた。
蝶野が隣の学校の生徒に手を出した時に全面戦争を避ける為に両校が「ケンカ禁止令」を出した。
パンチパーマで特攻服だったが家では良い子だった。
■蝶野正洋
□私生活
・好物…寿司。親子丼。冷麺。ラザニア。
キムチ鍋。ロールキャベツ。焼肉。牛タン。
切り干し大根。チョコレート。韓国料理。甘いもの。
・嫌いな食べ物…レバ刺し。焼き魚(小骨を取るのが面倒)。貝。
・酒は誘われないと飲まない。
テキーラのボトルを空けた事がある。
・腰椎の狭窄症の手術を受けた(=21年)。
・花粉症。
・夜型。
・アニメ「フランダースの犬」を見て泣いた事がある。
・ペット…
犬(イングリッシュブルドッグ、名前はローズマリー、牝0歳=14.01現在)。
・猫を飼っていた。
・住んでいる所…東京都世田谷区(一戸建て=03.05現在)。
・子供部屋の広さは約20畳。
・7歳の長男は147㎝67㎏(=14.01現在)。
・時間にルーズ。
待ち合わせや打ち合わせによく遅刻する。
・ホームパーティーで酔って倒れた時に介抱して貰って妻と知り合った。
・94年のロサンゼルス地震の時に妻と現地のホテルに泊まっていた。
ビルが倒れるかと思う程の激しい揺れでホテルは大パニックになった。
・恐妻家。
・日本語・英語・ドイツ語をミックスした言葉で妻と会話する。
・妻との待ち合わせで遅刻すると罰金を取られる。
■蝶野正洋
□人間関係
・鈴木尚典、三浦大輔…友人。3人で合同自主トレ。
鈴木と三浦が蝶野のセコンドをつとめた(=98年)。
・蝶野正洋、橋本真也、武藤敬司…新日本プロレスの同期生(同じ日に入門)。
蝶野と武藤はデビュー戦で対戦。「闘魂三銃士」として売り出された。
蝶野・武藤組が第12代IWGPタッグ王座を獲得(=90年)。
武藤は蝶野の紹介で妻と知り会った(蝶野の中学時代の同級生)。
橋本は05年に他界。
・マサ斉藤…新日の先輩。アメリカへ行ってnWo軍団に入るようアドバイスされた。
・ハルク・ホーガン…nWo軍団の創始者。
・アントニオ猪木…元新日本プロレス社長。新人時代に2年間付き人をしていた。
・天山広吉、小島聡、ヒロ斉藤、吉田秀彦、戸高秀樹、大仁田厚、
ドン・フライ…TEAM2000のメンバー。
・ブラザー・コーン…蝶野のファン。
・大友康平…大友がリリースしたスポーツを応援するCD「DO IT」に蝶野がコーラスで参加(=99年)。
・マルティーナ…91年結婚。ドイツ人。ドイツでの遠征中に知り合った。
※[90年結婚]とする媒体もある
・子供:
長男…正独(なおとく)ジャメイン。06.07.04誕生。帝王切開。出産に立ち会った。
長女…正欧美(なおみ)。09年8月誕生。
■蝶野正洋
□エピソードなど
・プロレスラーになる事を親に大反対された。
・新日本プロレス入団と同時に神奈川大学に合格。
母親は通っていない大学に8年間学費を払い続けてくれた。
・ヤングライオン杯優勝(=87年)。
・ドイツ、オーストリア、カナダ、アメリカで武者修行(=87年〜89年)。
当初は英語も話せなかったので意思疎通に苦労した。
東洋人という事でひどい人種差別を受けた。
自分でプロモーターに出場交渉をした。
1試合のギャラは20〜30ドル程度。
日本食レストランでアルバイトした。
・日本人レスラーとしてnWoに初参加、帰国後にnWo JAPANを設立(=96年)。
・TEAM2000を結成(=00年)。
・新日本プロレスの取締役に就任(=02年)。
・試合前に「怪我のない、いい試合になりますように」と毎回祈る。
・得意技…STF。ダイビング・ショルダータックル。ケンカキック。
・3度目のG1 CLIMAX優勝をきっかけにヒールに転向(=94年)。
それまでは白だったリングコスチュームを黒に変更。
・激しい下痢がとまらなかったので紙おむつをしてリングに上がった事がある。
・首を痛めて足の方までしびれがある状態で1週間リングにあがり続けた事がある(=98年)。
休場を決めた時には脊椎も損傷して自然に小便が出てきて自分で止められなかった
・黒づくめのコスチュームとサングラスがトレードマーク。
・リングコスチューム、ガウン、普段着る服などを妻がデザイン。
・副業…ショップ「ARISTTRIST」(代々木上原、妻が社長・デザイ ン担当=14.01現在)。
・妻と一緒に「はなまるマーケット」に出演(=04年12月8日放送分)。
・一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立(=14年)。
AED普及の啓発や地域防災に取り組んでいる。
凡例:17.01現在=2017年1月現在
関連項目:新日本プロレス