■笠原和夫(かさはら かずお)
□肩書き
脚本家
□生年
1927(昭和02)05.08(牡牛座)
□没年
2002(平成14)12.12(享年75)
□出身
東京・日本橋
□出身校
私立高千穂中学校→長岡中学校
日本大学法学部新聞学科中退
□略歴(満年齢)
64年(37歳)映画「日本侠客伝」脚本。
73年(46歳)映画「仁義なき戦い」脚本。
80年(53歳)映画「二百三高地」脚本。
※他の脚本担当作品:
映画「大日本帝国」「226」「浪人街」
■笠原和夫
□幼少時代〜
・父親はイリス貿易商会のサラリーマン。
・毋親は元カフェの女給。
・異母姉が2人、同腹妹が1人いる。
・私生児として生まれ、父親の再婚時に庶子として認知された。
・小学校時代、喘息で半分欠席。
・小学校時代、杉並、幡ヶ谷、吉祥寺と引っ越した。
・中学時代、学徒勤労動員で爆撃機の車軸生産に携わった。
・戦時中、広島の大竹海兵団所属(練習生)。
・名古屋空襲で長岡中学校の学生寮が焼失。
・大学時代、アルバイトが忙しかったので殆ど授業に出なかった。
□私生活
・持病…喘息。
・腎臓結石を患って右腎臓を切除。
・悪性腫瘍で胃を全摘する手術を受けた(9ヵ月入院=80年)。
・妖怪の世界に興味がある。
□人間関係
・笠原良三…脚本の師匠。
□エピソードなど
・銀座の街娼用ホテル「グリーンハウス」でマネージャーとして働いていた。
ボーイ、コック、通訳、ポン引きの仕事も兼務。月給4000円。
・東映の宣伝部で約4年間プレシシート執筆を担当。
年間約100本シナリオを読んで1作品ペラ10枚(2000文字)にまとめた。
この仕事で脚本のポイントを押さえる能力が自然に身についた。
・映画館で同じ映画を10回見て全シーンをノートに書いて脚本を勉強。
・戦前のキネマ旬報で外国のギャング映画のストーリーを読んでパターンをノートにまとめた。
・エフェドリンを大量に摂取して朦朧とした意識で脚本を書いた(若い頃)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在