■石丸謙二郎(いしまる けんじろう)
□肩書き
俳優
□生年
1953(昭和28)11.01(蠍座/A型)
□出身地
大分県大分市
□出身校
日本大学芸術学部演劇学科
□略歴(満年齢)
82年(29歳)映画「蒲田行進曲」出演。
86年(33歳)朝ドラ「はね駒」出演。
05年(52歳)映画「春の雪」出演。
※他の主な出演:
舞台 「いつも心に太陽を」「タンゴ 冬の終わりに」
映画 「魔性の夏」「黒い雨」「ALWAYS 三丁目の夕日」
ドラマ「翔ぶが如く」「澪つくし」「水戸黄門」
テレビ「世界の車窓から」「ぶらり途中下車の旅」「スポーツマンNo.1決定戦」
□趣味
墨絵 花札 ジャズダンス キャンプ 釣り クライミング 登山
スキューバダイビング サップ スキー グライダー
□特技
体操 タップダンス ウィンドサーフィン
□資格
小型船舶2級
□サイズ
173㎝ 65㎏
■石丸謙二郎
□幼少時代〜
・父親は銀行員。
・兄と妹がいる。
・父親の転勤で高校卒業まで大分県内で22回引っ越し。
・人が住まないようなとても広い家を借りて住んでいた(父親の好み)。
・幼稚園時代に住んでいたのは元武家屋敷(大分県杵築市)。
現在は改築されて観光名所になっているらしい)。
・中3の時に住んでいたのは伊藤博文も泊まったと言われている元高級料亭(別府)。
・高3の時に住んでいたのは部屋数40の元国際旅館(別府)。
自分の部屋として使っていた百畳の宴会場は広すぎて落ち着いて勉強に集中できなかった。
妹が家の中で行方不明になった。
・クリスマスや誕生日には父親が得意のマンドリンを演奏をするのが恒例だった。
「それよりテレビを見たい」と言うと父親がテーブルをひっくり返して激怒した。
・小学校低学年の頃から父親と一緒に海でサバを釣っていた。
・小学校時代、通知表に「落ち着きがない」といつも書かれた。
・小学校時代、毎日野山を駆け回ってターザンごっこをして遊んだ。
お腹が空くと芋を掘って食べた。
・中学時代に心臓病で医者から一切の運動を禁じられた。
速く歩く事も禁止でひたすら家にこもっていた。
高校に入った頃、倒れる覚悟で普通に運動したら心臓病が自然治癒していた。
・高校時代、大分で上演されたミュージカルを見て演劇に興味を持ち始めた。
・高校時代、演劇部。
・高校は進学校。
・毎年通信簿に「落ち着きがない」と書かれた。
■石丸謙二郎
□私生活
・好物…グラタン(大好物)。サバ(大好物、毎日食べる)。
水まんじゅう。牛乳。
・得意料理…寿司。魚料理(鯛1匹から10品目作る)。
・自分で釣った魚をさばいて友人や近所の人に手料理をふるまう。
・好きな酒はビール。
・自分でトレーニングメニューを考案。
腕立て・腹筋・背筋・懸垂各100回。水泳2㎞。砂浜ランニング4㎞。
マウンテンバイク40〜80㎞。
40㎏のウェイトを背負って神社の階段を昇り降り。
・飛行機の中で呼吸困難になって到着後救急車で運ばれて入院した事がある。
・血液型を調べた事がない。
・モンペを愛用。たくさん持っている。
・好きな作家…東海林さだお。
・好きな映画俳優…フレッド・アステア(アステアに憧れてタップダンスをはじめた)。
・ときどき自分で「変なテーマ」を決めて生活する。
箸を使わず手で食事。裸足で生活。後ろ向きに歩く。など
1年間裸足で生活した時は電車に裸足で乗り、知人の家に行く時はぞうきんを持参した。
・バブル当初に購入したマンションを2年後に約2倍の値段で売って一軒家を購入した。
・別荘がある所…神奈川県・三浦海岸(オーシャンビュー=07.06現在)。
・いきつけ…居酒屋「百味ほのぼの」(三浦半島)。
・タップダンス、ジャズダンス、モダンダンス、クラシックダンスを習っていた。
習い事を始めるとすぐに身に付いてすぐに飽きる。
・65歳の時にピアノを習い始めて7ヵ月でドビュッシー「月光」をマスター。
・風貌から文化系と思われがちだが実は根っからの体育会系。
・撮影の待ち時間に現場を抜け出してクライミングをする。
全国各地にいきつけのクライミングジムがある(20以上)。
・アウトドアで遊ぶのが大好き。
・愛車のワンボックスカーで全国各地に遊びに行く。
遊び道具やキャンプ道具けを常に積んでいる。車中泊用のベッドを装備。
・どんなスポーツでも初回からある程度できる。
・わずかな空き時間に船を出して釣りをする。
・37歳からウィンドサーフィンをはじめた。年間100日以上やる。
アマチュアの大会で何度も優勝。プロが出場する大会に出場。
どこにいても風の動きが判るようになった。
主に三浦海岸でやる。いい風が吹いていると聞けば琵琶湖まで行く。
ウィンドサーフィンに必要な脚の筋肉を鍛える為の器具を自作した。
61歳の時に当時日本歴代2位のスピード記録を出した(73.71㎞/h)。
・洞窟、鍾乳洞が大好き。
観光用に整備されていない真っ暗な探検用に入るのが好き。
・兄は51歳で脱サラしてそば職人に転身、大分県で「そば処 響」を経営。
カリスマそば職人として何度かテレビ番組で紹介された。
・遊び仲間がたくさんいる。
・登山、フリークライミング、ウィンドサーフィンは夫婦共通の趣味。
■石丸謙二郎
□人間関係
・風間杜夫、平田満、根岸季衣
…友人。つかこうへい事務所時代からの仲。
風間杜夫は花札仲間。
平田満は同い年で誕生日が1日違い。
・見栄晴…時々間違えられて「欽ちゃん元気?」などと声をかけられる。
・つかこうへい…師匠的存在。
・妻…?年結婚。
■石丸謙二郎
□エピソードなど
・青春モノのドラマ出演を夢見て役者を志した。
・アメリカに行く為に3つのアルバイトをかけもちして200万円を貯金したが、
資金運用をまかせていた人に持ち逃げされた。
・アルバイト歴…
関根サーカスのピエロ(空中ブランコに乗っていた、きたろうとコンビ)。
ラブホテルの受付と夜警(ボイラー室横の2畳間で住み込み)。
お化け屋敷の管理人。サラ金の取り立て。築地の魚河岸。
カジノのディーラー。バーテン。ホスト。カットモデル。
和食のコック。飲み屋のお運び。並び屋。植木屋。
道路工事。高速道路の清掃。道路の石拾い。ビル清掃。
・ラブホテルで住み込みのアルバイトをしている時、
近所でケイコをしていたつかこうへいの所に遊びに行き、
どれだけ踊っても疲れない体力で役者として採用された。
・つかこうへい事務所に入る(=77年)。
・つかこうへいのダメ出しは異常に厳しかった。
稽古の途中で「お前は帰っていい」と何度も言われた。
・公演当日に「今日はご家族が来ているらしいな。じゃあ主役をやれ」
とつかこうへいに言われた事があった。
・82年につかこうへい事務所が解散後、全く仕事がない時期があった。
・プレッシャーがかかる状況じゃないと台本が覚えられないので、
クルマを運転しながら時々チラッと盗み読みして覚える。
・日本テレビ「ごちそうさま」にリポーターとして出演。
・「世界の車窓から」のナレーションを長年担当(=87年〜)。
・TBS「壮絶筋肉バトルスポーツマンナンバーワン決定戦」に初出場(=03年)。
・自らハガキを書いて応募してTBS「SASUKE」に一般枠で出場。
・別荘を「メレンゲの気持ち」で公開(=07年6月9日放送分)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在