矢野謙次
■矢野謙次(やの けんじ)
□肩書き
プロ野球選手(18年引退)
□所属
読売ジャイアンツ(03年〜15年)
日本ハムファイターズ(15年〜18年)
□本名
矢野謙次
□生年
1980(昭和55)09.21(乙女座/O型)
□出身地
東京都三鷹市
□出身校
三鷹市立第六中学校
国学院久我山高校
国学院大學
□略歴(野球年度)
03年(23歳)ドラフト6巡目で読売ジャイアンツに入団。
15年(35歳)トレードで日本ハムファイターズに移籍。
※通算成績:
759試合、374安打、 .262、29本、153打点
□サイズ
178㎝ 85㎏
■矢野謙次
□幼少時代〜
・6歳年上の兄、4歳年上の姉がいる。
・近所で有名なやんちゃな子供だった。
おもちゃを鼻に詰めて救急病院に行った。
2歳の頃から朝8:00から三輪車で外を走り廻って遊んでいた。
よく近所で悪さをして親が謝りに行った。
・小2の頃、野球をはじめた。
兄と姉が入っていたサッカーチームは4年生からだったので、
サッカーをはじめるまでのつなぎのつもりで野球をはじめた。
・阪神ファンだった兄の影響で子供の頃から野球に興味を持っていた。
・よく姉と激しい殴り合い蹴り合いのきょうだいげんかをした。
・松井稼頭央が「速く走れるようになる為に嫌いなトマトを食べる」
と言っていたので嫌いだったトマトを食べるようになった。
・小学校〜中学時代、成績は悪くなかった。
小学校時代、6年生を送る会で児童代表で挨拶をした。
小学校と中学校で生徒会役員を務めた。
・中学時代に反抗期があった。
・高校時代、室内で父親が投げるバドミントンのシャトルを打った(バッティング練習)。
・高3の夏の、地方予選準決勝で逆転サヨナラ負けで甲子園に行けなかった。
・大学時代、毎年沖縄でキャンプをした。
・大学1年の秋、野球を辞めるつもりで実家に戻って来て、
親と一晩話しあって続けるように説得された。
・大学時代、風呂場でバリカンを使って自分で髪の毛を刈っていた。
・大学時代、普段の練習からプロ野球選手になる事を意識した。
■矢野謙次
□私生活
・好物…イクラの握り(子供の頃から大好物)。うなぎ。
・怖がり。
・「仮面ライダーブラック」「仮面ライダーブラックRX」が好き。
・プロ入り2年目頃から毎日日記をつけている(=07.02現在)。
・ストリート系のファッションが好き。
・愛車…プリウス(=10.05現在)。
・夏が大好き。
・ノリやすく落ち込みやすい性格。
一度落ち込むと引きずる。
・飲み会を盛り上げるのが好き。
カラオケに行くと真っ先に曲を入れる。
・お風呂、おむつ替えなどの子育てをした。
■矢野謙次
□人間関係
・久保裕也…同期入団。同い年。
・渡辺俊介…大学の先輩。一緒に自主トレをする。
・井口資仁…高校の先輩。
・新庄剛志…子供の頃に憧れていた。
新庄のバッティングフォームを真似して同じリストバンドを使っていた。
・竹田利秋…国学院大学野球部監督。野球の恩師。
野球への取り組み方、考え方を徹底して教えて込まれた。
プロ入り後もアドバイスをして貰った。
・嘉子…?年結婚。
・子供:
長男…丈太朗。06.08.27誕生。
長女…陽菜子。10.06.28誕生。
■矢野謙次
□エピソードなど
・プロ入り2年目になんでもないライトフライを落球(タイムリーエラー)、
それをきっかけにメンタルを鍛え始めた。
大学のメンタルトレーニング講座を受講。
メンタルに関する本をたくさん読んだ。
・左足小指を骨折(=06年)。
・代打逆転満塁ホームラン(vsホークス=07.05.31)。
・12球団トップの代打成功率.524(=10年)。
・右肘を疲労骨折(=08年)。
・フェニックスリーグで左膝のじん帯を断裂して手術を受けた(=08年)。
・山本モナと遭遇した新宿のゲイバーで全裸で岩崎良美「タッチ」を歌い、
悪乗りした二岡智宏に陰毛を焼かれた、と女性誌に報じられた(=08年)。
・シーズン1号が代打満塁ホームラン(=12.09.30戦)。
・シーズン最終戦延長10回裏に代打サヨナラホームラン(vsベイスターズ=12.10.30)。
・右の代打の切り札的な存在として活躍。
・殊勲打を打つと派手なガッツポーズで喜びを表現する。
・試合後のヒーローインタビューで「ファイターズ サイコー!」と絶叫。
・現役最後の打席でレフト前ヒット(vsマリーンズ=18.10.10)。
・MLBテキサス・レンジャーズにコーチ留学(=19年)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在