■渡部陽一(わたなべ よういち)
□肩書き
カメラマン
□本名
渡部陽一
□生年
1972(昭和47)09.01(乙女座/A型)
□出身地
静岡県富士市
□出身校
静岡県富士市立田子浦中学校
静岡県立富士高校
明治学院大学法学部卒業
□略歴
大学時代から戦場カメラマンとして活躍。
※主な出演:
テレビ「踊る!さんま御殿!!」「笑っていいとも!」「ダウンタウンDX」
CM 「桃太郎電鉄WORLD」「日産自動車 キューブ」
□趣味
映画鑑賞
□特技
海釣り
□免許・資格
普通自動車免許 剣道初段
□サイズ
180㎝ 靴のサイズ26.5㎝
■渡部陽一
□幼少時代〜
・父親は旭化成の工場で働いていた。
・母親は港近くのシラスの直売所でパートで働いていた。※現在も勤務中(=11.08現在)
・3人きょうだいの長男。弟と妹がいる。
・海のそばに住んでいた。
・3Kの社宅アパートに住んでいた。
・父方の祖父が同居していた。
・父親は写真と釣りが好きだった。マニュアルの一眼レフカメラを持っていた。
父親の影響で釣りが大好きだった。将来「さかな博士」になりたいと思っていた。
釣った魚を三枚におろしていた。
・子供の頃、薬が効かない腹痛が母親の手ざすりで治った。
・父親の転勤でホンジュラスに住んでいた。
・習いごと…剣道(小1〜)。
・小学校時代、父親に言われて剣道道場に通っていた。
・小学校時代、クラスメイトの女の子に「うま、うま」と馬面をからかわれた。
・中学時代、剣道部。
・中学時代、「エスパー伊東」と呼ばれていた。
・中学時代、クラスメイトの女の子に片思いしていた。
・高校時代、自転車通学(片道40分)。
・高校時代、成績は良くなかった。
・高校時代、バドミントン部。
・高校時代、「ダンディー渡部」と呼ばれていた。
・高2の時、落合信彦が出演したCMを見て国際ジャーナリストに憧れた。
現国の宿題の「将来の夢」という作文に「国際ジャーナリストになりたい」と書いた。
・高3の時、バレンタインにチョコと手紙をくれた女の子と映画「ゴースト」を観に行った。
・高校の卒業式の日に初めてカラオケに行った。
・高校の修学旅行で規則を破ったのがバレて先生にビンタされて朝まで正座させられた。
・早稲田大学の受験に3年連続失敗。
1年目は横浜、2年目は大阪府八尾市の全寮制の予備校で浪人生活を送った。
仕送りは家賃分だけ、生活費はアルバイトでまかなっていた。
・大学時代、海外取材の資金を稼ぐ為に飲食店や写真撮影のアルバイトをした。
・大学時代、5対5の合コンに参加した。
・戦場取材で学業が疎かになって大学を2年留年した。
・好きな科目は国語。
■渡部陽一
□私生活
・好物…坦々麺(妻の得意料理)。サンドイッチ。サバサンド。
ダル(インドの豆カレー、ソウルフード)。
とんかつ(帰国するとまず最初に食べる)。
バンバンジー。イワシ明太。アジ。麻婆豆腐。
フライドポテト(一番好きな食べ物)。
にんにく(大好物)。アイスクリーム。
レーション(ミリタリーフード)。
フンモス(中東料理)。コーヒー(ブラック派)。
甘いもの(大好物)。
・嫌いな食べ物…ポップコーン。
・酒が大好き。好きな酒はビール。
・髪の毛がどんどん薄くなりつつある(=15.09現在)。
※パスポートの写真は長髪なので入管で別人に見られてよく調べられる
・好きな曲…エミネム「Lose Yourself」(聴くと仕事のスイッチが入る)。
・好きな映画…「ゴースト」「フラッシュダンス」「トップガン」。
・好きなテレビ番組…「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」。
・10年以上手書きの日記を付けている(=11.09現在)。
継ぎ足し継ぎ足しで電話帳のように分厚い。
破損しないように表紙にレンガを張り付けてある。
戦場に持っていく。
・青色が好き。
・住んでいる所…神奈川県横浜市(2LDK=11.08現在)。
・大学時代から16年間横浜の6畳のワンルームに住んでいた(家賃57000円)。
・いきつけ…とんかつ「和幸 ポルタ横浜店」。
・魚が大好き。子供の頃のあだなは「魚博士」だった。
・絶叫マシンが苦手。
・カラオケの十八番…SPEED「White Love」。
・座右の銘…「死して屍(しかばね)拾うものなし」。
・世界各地に友人がいる。
・「声が良い」とよく言われる。
※テレビ「笑撃!ワンフレーズ」で「究極の癒しボイス」と称された
・ゆっくりとした話し方は子供の頃から。英語を話す時もゆっくり話す。
・妻は早口で話す。
・妻に子供に「赤ちゃん言葉」で話しかけるのを禁止された。
・海外滞在中に毎日妻に電話かメールをする。
・妻から「ヨッシー」と呼ばれる。
■渡部陽一
□人間関係
・麻木久仁子…同じ事務所。
・なすび…顔が似ているとよく言われる。
・古市幸子(日本テレビアナウンサー)…明治学院大学法学部の同級生。
在校時の面識はない。
・鳥居聡、望月一宏、薮下健…高校のバドミントン部の仲間。
※「ウチくる!?」に出演(=10年10月24日放送分)
・山本皓一…カメラマンの師匠的存在。
※「ウチくる!?」に出演(=10年10月24日放送分)
・山崎邦正…好きなお笑いタレント。
・西田ひかる…子供の頃から憧れている芸能人。
テレビ番組の企画でカラオケを一緒に歌った。
・水嶋ヒロ…渡部のファン。
・妻…元美容師。09年結婚。知人の紹介で知り合った。
・子供:
長男…世海(せかい)。10.06.09誕生。
■渡部陽一
□エピソードなど
・大学時代から戦場カメラマンとして活躍。
・大学1年の時にアフリカ・コンゴのジャングルの奥地で少年ゲリラに銃撃された。
死の恐怖に襲われてトラックから転げ落ちて失禁、銃尻で撲られて荷物を略奪された。
自分から現金を差し出したので殺されずにすんだ。
ピグミー族に会う為に旅行者としてヒッチハイクで移動中のできごとだった。
この事件の衝撃を伝えたいと思った事が戦場カメラマンになったきっかけ。
・取材費を稼ぐ為に港でバナナを積み込む日雇いのアルバイトをした
(日給8000円、1日20時間の長時間のキツい作業だった)。
・愛機はCanon EOS。
戦場では光の反射で銃と間違えられないようにレンズ以外の部分に黒いテープを巻く。
・戦場の検問でカメラを没収された事や盗まれたが何度もある(合計10台以上)。
盗まれたカメラが現地のマーケットで売られているのを見つけた事がある。
・130以上の国と地域の紛争地域を取材した。
イラク戦争、ルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、
アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、ダルフール紛争、
パレスティナ紛争、チベット暴動など。
イラク戦争で日本人初の米軍従軍取材(EMBED)をした。
・銃撃戦に遭遇して撮影を放棄して逃げた事が何度もある。
・猿の薫製を食べた事がある。
・コンゴで体長10㎝の毛虫の揚げ物を食べた(焼き鳥のような味でおいしかった=93年)。
・アフリカで熱帯性マラリアに感染して死にかけた(=95年)。
現地の医者に「ここには薬がないから万が一の事を覚悟しておきなさい」と言われた。
39度を超える高熱が出て幻覚を見た。
・アフリカで乗った飛行機が乱気流に巻き込まれてジェットコースターのように回転、
機内で嘔吐し続けて体中汚物まみれになった(=00年)。
・イスラエルの入国審査で裸にされて8時間拘束された(=01年)。
・チベット暴動の取材で標高5000mの村を目指している途中で高山病になった(=08年)。
・チベットの山奥で約30匹の野犬の群れに襲われた(=08年)。
・アフガニスタンで米軍の同行取材を行った時に乗っていたヘリが銃撃を受けた(=11年)。
・何かあった時にすぐに飛び出せるようにテントの中で座ったまま寝る事がある。
・取材リスクを減らす為に変装して国籍・身分を偽証する事がある。
・「戦場での笑顔」をテーマに写真を撮り続けている。
・戦場カメラマン仲間でビールの飲み比べをして最下位になった事がある。
・イスラム圏での取材の為に口髭を蓄えている。
・警戒して近寄って来てくれない子供に「アイアムブルースリー」と話しかける。
・兵士と仲良くる為に矢沢永吉の「Somebody's Night」を歌う。
「日本語と英語が混ざった変な歌」という事で興味を持ってくれる。
・戦争被害者の避難生活に入り込んで寝食を共にしながら取材をするスタンスを取っている。
現地の人たちと同じ食事を摂るのでよくお腹を壊す。
・「戦場取材とは生きて帰る事」と心がけている。鉄板入りの防弾チョッキを愛用。
・長期取材の時は日本の食材や調味料を大量に持って行く。
・ベレー帽と口ひげがトレードマーク。
ベレー帽は妹からの貰い物(女物らしい)。
・著書「世界は危険で面白い」を上梓(産經新聞出版=08年)。
・北朝鮮で喜び組と4vs4の「合コン」をした事がある。
・バラエティ「笑撃!ワンフレーズ」の企画で作った着ボイスがTBS携帯サイトで
ダウンロード1位をマーク(=10年)。
・バラエティでエピソードを話す時に「ひとつあります」と切り出す。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=10年7月31日放送分)。
・戦場の検問所で何度も金品を支払わされた(総額約120万円)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在