浅田次郎
■浅田次郎(あさだ じろう)
□肩書き
作家
□生年
1951(昭和26)12.13(射手座)
□出身地
東京都中野区
□出身校
中央大学杉並高校卒業
□略歴
91年(40歳)初の単行本「とられてたまるか」を出版。
95年(44歳)「地下鉄に乗って」で吉川英治文学新人賞。
97年(46歳)「鉄道員(ぽっぽや)」直木賞。
※他の主な作品:
「蒼穹の昂」「壬生義士伝」「終わらざる夏」
※主な出演:
テレビ「スタジオパークからこんにちは」「徹子の部屋」
□趣味
読書 ガーデニング 歌舞伎鑑賞 プロ野球観戦 競馬 ギャンブル
■浅田次郎
□幼少時代〜
・先祖は千葉の関宿藩の侍(普代大名、廃藩置県で失業)。
・祖父は二の腕に彫り物を入れた博打打ちだった。
・祖母は深川の鉄火芸者だった。
・父親はカメラの卸し問屋を経営(闇市で財をなした)。
・兄が1人いる。
・父親は普段は妾宅を渡り歩いていて正月だけ家に帰って来た。
・子供の頃は裕福だった。お坊っちゃまとして育てられた。
私立のミッション系の小学校に女中付き添いの自動車で通った。
自宅に当時は珍しかったテレビがあった(見学者がたくさん来た)。
・小学校低学年の頃、祖母に連れられて平日に学校を休んで毎月歌舞伎座で芝居を観た。
・小説を読むと怒られたので押入れに閉じこもって読んだ。
・9歳の時に父親が事業に失敗して両親が失踪して一家離散。
兄と一緒に親戚宅を転々とした。
・国語の作文に「祖父が死んだ話」を書いて問題になった(実際は死んでいない)。
・中学時代、小説家を志して川端康成や三島由紀夫の作品を写本した。
・中2の時、雑誌「小説ジュニア」に毎月作品を投稿。
・中3の時、神田で喫茶店を開店した父親に引き取られたが、
若い内縁の妻との同居が居心地悪かったので家出してひとり暮らしをはじめた。
・高校時代、ブラスバンド部のキャプテン。
・高校時代、アルバイトで生活費を稼いでいた。
・高校時代、トイレ共同・炊事場共同の4畳半のアパートに住んでいた。
家具は煎餅布団と座机と本棚だけだった。
・高校時代、青臭い文学青年に見られるのが嫌で放蕩の限りを尽くしていた。
・高2の時、90枚の小説を書いて出版社に持ち込み、
編集者に「川端康成のエピゴーネンだな」と言われた。
■浅田次郎
□私生活
・好物…チョコレート。お茶。
・酒は飲めない。
・健康法…サウナ(週3ペースで行く)。
・昼型。22:00前に寝て日の出と同時に起きる(夏は5:00頃、冬は6:30頃)。
・寝付き、寝起きが良い。
・起床後15分後に原稿執筆を始めて遅くとも14:00には終える。
・お風呂が大好き。
・気になった本を大量に買う。
・好きな本…中国文学。
・週3冊ペースで本を読む。
月に1回神田の古本屋を1日まわって本を買いだめする。
・1日4時間はテレビを見る。
・星を見ながら口笛を吹く癖がある。
・迷った時は昔からの伝統にしたがう。
・興味を持つととことんのめりこむ。
・花が大好き。常に自宅に花を飾る。
食費に事欠いていた若い頃も花だけは常に買っていた。
・猫が大好き。最盛期は13匹飼っていた。
猫が嫌いな編集者とはたいていソリがあわない。
・家では着物(着流し)や作務衣で過ごす事が多い。
・外出する時は常にきちんとした服を着てネクタイを締める。
・軽井沢に別荘がある(=14年現在)。
・いきつけ…クラブ「早苗」(銀座)。
・白い柄の透明なビニール傘が好き。
・アンチ巨人ファン。
・学生時代から競馬が大好き。
馬券を買いたくて仕事を頑張ってきた。
競争馬を所有(マジカルデイズ、ロードウエスト=08年現在)。
・温泉宿でひたすら読書と風呂を繰り返すのが大好き。一番好きな温泉は草津温泉。
・鉄道の旅が大好き。昼間は車窓の景色を楽しみ、日が暮れると読書をする。
・取材をかねて頻繁に海外に行く。
・フランス・パリが好き。毎年凱旋門賞の時期にパリに行く。
・アメリカ・ラスベガスでショッピングをするのが好き。
・30歳頃まで毎年冬にスキーをしていた。
・座右の銘…「自然(フィジス)はあらゆる善美と調和を生み
反自然(アンチ・フィジス)はあらゆる破綻を生じめる」(モリエールの言葉)。
・茶道が好きな妻の為に自宅に茶室を作った。
・高校の同窓会を毎月開催(浅田が幹事)。
・ガーデニングは夫婦共通の趣味。
・妻の洋服を見たてる。
■浅田次郎
□人間関係
・村上龍…村上が20歳そこそこで華々しくデビューした時にショックを受けた。
・高倉健…憧れている芸能人。
同席したカラオケで高倉の「唐獅子牡丹」を聞いた時に感激で胸が張り裂けそうになった。
・妻…?年結婚。同い年。
・子供:長女。
■浅田次郎
□エピソードなど
・三島由紀夫の死を理解したいと思って陸上自衛隊に入隊した。
・自衛隊時代、手榴弾訓練で相棒がピン抜いた瞬間緊張で固まってしまった事があった。
指を1本1本離させて落とした瞬間に拾って投げて間一髪で命拾いした。
・アパレル会社を経営していた。
・マルチ商法で大儲けした経験がある。
・プロの作家になったつもりで申込期限を「締切り」と思って書いて多数の新人賞に応募した。
・30歳を過ぎてから少しづつ原稿の依頼が来るようになった。
・作家としてデビューした後もしばらくの間ブティック経営を続けていた。
・極道系の作品を書いていた過去からスポーツ新聞に「極道作家に直木賞」と紹介された
・着物を着て座敷でモンブランの万年筆で原稿用紙に手書きで書く。
・外国のホテルのロビーで原稿を書いているのを外国人にパフォーマンスだと思われた。
・早朝から18:00まで執筆。18:00以降は一切仕事をしない。
・1日の執筆量は原稿用紙で15枚までと決めている。
・現地取材をする時にメモを取らない。
・基本的に依頼された仕事は断わらない。
仕事がたてこんでくると仕事場の座卓にもたれて仮眠する。
原稿を書いている時はテンションがあがっているのでどの程度疲れているのか判らない。
原稿を渡した瞬間に倒れて救急車のお世話になった事がある。
・対談、サイン会など人に会う仕事が好き。
・紫禁城をツアーガイドするイベントを数回開催。
・「蒼穹の昂」の中の科挙の試験は問題と答案を自分で考えた。
・ドラマ「壬生義士伝 新撰組でいちばん強かった男」にゲスト出演(=02年)。
・紫綬褒章を授章(=15年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在