江本孟紀

江本孟紀


■江本孟紀(えもと たけのり)

 

□肩書き

 プロ野球選手(81年引退)

 野球解説者 タレント 政治家

 

□所属チーム

 東映フライヤーズ(71年)

 南海ホークス(71年〜75年)

 阪神タイガース(75年〜81年)

 

□本名

 江本孟紀

 

□生年

 1947(昭和22)07.22(蟹座/A型)

 

□出身地

 高知県高知市

 

□出身校

 高知商業高校

 法政大学経営学部卒業

 

□略歴(満年齢)

 71年(24歳)ドラフト外で東映フライヤーズに入団。

 72年(25歳)トレードで南海ホークスに移籍。

 76年(29歳)トレードで阪神タイガースに移籍。

 ※入団、移籍は野球シーズン年度

 ※通算成績:

  395試合、113勝126敗19S、防御率3.52、1130奪三振

 ※主な出演:

  ドラマ「田中丸家御一同様」「ガキ大将がやってきた」

  テレビ「11PM」「なんてったって好奇心」「すぽると!」

  CM「武富士」「ツムラ ニューバスクリン」「日産自動車」

 

□趣味

 将棋 楽器演奏(ギター、ベース) ゴルフ

 

□特技

 スナック芸

 

□資格・免許

 将棋初段

 

□サイズ

 188㎝


■江本孟紀

 

□幼少時代〜

・父親は高知県警の刑事。

・小学校〜中学時代、父親の転勤で何度も転校した。

   当時は口下手・社交下手だったので親しい友人ができなかった。

・小学校〜中学時代、身体が大きくてスポーツ万能だったので一目置かれる存在だった。

 野球だけでなくドッジボールや相撲でも負け知らずだった。

・中学時代、ケンカに明け暮れた時期があった。

・中学時代、いくつかの相撲部屋から勧誘された。

・高校時代、エースで4番。

・高2の時、自らの4連続死球により、夏の甲子園の地方大会で敗退。

・高3の時、野球部員の暴力事件で春のセンバツ出場を辞退。

・高3の時、西鉄からドラフト4位指名を受けるが入団を拒否。

   チームメイトより評価が低かった事が理由らしい(チームの3番打者が1位指名)

・大学時代、2番手ピッチャーだった

 同期に六大学野球新記録の通算48勝をマークした山中正竹がいた。

・大学4年の秋、監督の厳しい選手管理に反抗して野球を辞めた。


■江本孟紀

 

□私生活

・好物…チーズケーキ。

・酒、タバコをやらない。

・健康法に興味関心がある。

・心臓に持病がある(小型の心電図を携帯=03.02現在)。

・スキルス胃がんの手術を受けた(=17年)。

・加齢黄斑変性を患っている(=19.07現在)。

・血糖値を抑える薬を服用(=19.07現在)。

・お風呂が嫌い。シャワーを愛用。

・ペット…犬(=04.08現在)。

・住んでいる所…東京都港区白金(建て売りの一軒家、エレベーターがある=04.08現在)。

・10回以上引っ越しをした。

・いきつけ…レストラン「とらのもん」(虎ノ門、約30年通っている=20.08現在)。

・愛車はBMW(=04.08現在)。

・義母と同居中(=04.08現在)。


■江本孟紀

 

□人間関係

・田淵幸一…友人。大学の1年先輩。

 バッテリーを組んでいた阪神時代によく一緒に遊んだ。

・宮崎美子…友人。

・野村克也…南海時代の監督(プレイングマネージャー)。

 野村の下で野球をしてカルチャーショックを受けて野球に対する考え方が変わった。

 野村に長髪を切るように言われて反発、球団側と交渉して年俸50万円アップを条件に切った。

・アントニオ猪木…猪木に口説かれてスポーツ平和党から参院選に立候補。

・藤浪晋太郎、原口文仁、梅野隆太郎、岩田稔、メッセンジャー、

 糸井嘉男、鳥谷敬、藤川球児、能見篤史、福留孝介、

 井川慶、赤星憲広、新庄剛志、金本知憲、

 岡田彰布、掛布雅之、バース、真弓明信、

 江夏豊、江本孟紀、星野仙一、田淵幸一、村山実、吉田義男

 …阪神タイガース所属(移籍・引退・監督を含む、年齢順)。

・長嶋茂雄…子供の頃に長嶋に憧れていた。

・妻…?年結婚。

・子供:

 長男…朋広。28歳(=04.08現在)。歯科技工士。

 長女…季代恵。26歳(=04.08現在)。


■江本孟紀

 

□エピソードなど

・大学卒業後、社会人野球の熊谷組を経てプロ入り。

・シーズン10ボーク、1試合3ボークという日本記録をマーク(=73年)。

・12勝してパリーグ優勝に貢献、日本シリーズ第1戦で完投勝利(=73年)。

・江夏豊ほかとの超大型トレードで阪神に移籍。

・72年から79年まで8年連続で2ケタ勝利。

・試合後に「ベンチがアホやから野球ができん」という首脳陣批判をして現役を引退(=81年)。

 監督は中西太。実際は「アホ」としか言ってないのを記者が脚色したという説がある。

・南海4年間で52勝、阪神6年間で61勝。

・入江マチ子とのデュエット曲「恋する御堂筋」がヒット(=79年)。

 ※他のシングルに「霜降り橋まで」「アカシヤの面影」などがある

・来生たかお、野口五郎を作曲陣に迎えたアルバムをリリース(=87年)。

・ミュージカル「くたばれ! ヤンキース」に出演(=87年)。

・参院選比例代表区にスポーツ平和党から立候補して当選(=92年)。

・スポーツ平和党を離党して自由連合に参加(=95年)。

・参院選比例代表区に民主党から立候補して当選(=98年)。

・初代参議院内閣委員長を務める(=01年)。

・議員バッジをなくした事がある。

・国会本会議場の椅子は大正時代にデザインしたモノでとてもサイズが小さかった。

・国会議員を10年以上務めたが、持論のスポーツ振興策は国会で相手にされず、

 民主党のマニフェストにも採用されなかった。

・日本プロ野球OBクラブの創設に尽力した。

・議員宿舎の室内を「情報ツウ」で公開(=03年)。

・妻が「情報ツウ」にVTR出演(=03年)。

・参議院議員を辞職して大阪府知事選に立候補、現職・太田房江に次点で破れて落選(= 04年)。

・カルガリー・フォース(アメリカ独立リーグの新球団)のスペシャルアドバイザーに就任(=04年)。

・桐蔭横浜大学先端医用工学センター教授に就任(=04年)。

・野球のクラブチーム「京都ファイアーバーズ」の監督に就任(=05年)。

・主な著書:

 「プロ野球を10倍楽しく見る方法」(200万部のベストセラー)

 「総理大臣 長嶋茂雄」

凡例:20.01現在=2020年1月現在