武蔵丸光洋
■武蔵丸光洋(むさしまる こうよう)
□肩書き
大相撲力士(第67代横綱)※03年引退
大相撲年寄
□本名
フィヤマル・ペニタニ
□愛称
マル
□年寄名
振分→大島→武蔵川
□生年
1971(昭和46)05.02(牡牛座/A型)
□出身地
アメリカ ハワイ州
□出身校
ワイアナエ高校(ハワイ)
□略歴(満年齢)
89年(18歳)9月場所で初土俵。
94年(23歳)1月場所後に大関に昇進。7月場所で初優勝(全勝優勝)。
99年(28歳)3月場所と5月場所で連続優勝して第67代横綱に昇進。
03年(32歳)11月場所途中で現役引退。
※通算成績:
779勝294敗115休、優勝12回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回
※主な出演:
テレビ「徹子の部屋」「メレンゲの気持ち」「鉄腕DASH」
CM 「アサヒビール」「ソフトバンクモバイル」「アートネイチャー」
□趣味
音楽観賞 アメリカンフットボール観戦 ラグビー観戦 格闘技観戦
フラダンス 卓球
□サイズ
192㎝
□特記事項
・ハワイ出身
・第67代横綱
・55場所連続勝ち越し
■武蔵丸光洋
□幼少時代〜
・8人兄弟の4番目(兄2人、姉1人、弟2人、妹2人)。
・生まれた時の体重は約3800グラム。
・子供の頃、海で溺れて死にかけた。
兄弟の泣き叫ぶ声を聞いて駆けつけた父親が間一髪で助けてくれた。
・6歳の時、サモア島からオアフ島に引っ越した。
・家は貧しかった。
・子供の頃、いつも兄弟と遊んでいた。
・父親は厳しかった。
中学時代までは学校が終わったらすぐに家に帰ってくるように言われていた。
家に友人を呼ぶのは禁止、友人に電話をかけるのも禁止だった。
・高校時代、アメリカンフットボール部。
ディフェンスの要として2年連続優勝に貢献。
ヤシの木を押して弓なりにそらせるトレーニングを毎日やっていた。
・高校時代、レスリング部。
毎回厳しい減量に失敗(2〜3㎏オーバー)で1度も試合に出られなかった。
※高校のレスリングはヘビー級で130㎏以内(当時既に体重が150㎏近くあった)
・高校時代、トレーニングの為に毎朝学校まで5マイル走った。
・高校時代、公園でよくビーチバレー、バスケットボール、テニスをした。
■武蔵丸光洋
□私生活
・好物…かつ丼。ざるそば。納豆。しめさば。レンコン。
・嫌いな食べ物…梅干し。キノコ類。
・若い頃は毎晩飲んでいた。一晩でヘネシーを16本空けた事がある。
どれだけ飲んでも酔わないらしい。横綱昇進の願掛けで禁酒した。
・末期の腎不全を患って妻から腎臓移植手術を受けた(=17年)。
・後遺症の恐れがあるので麻酔をかけずに胆石の手術を受けた。
・盲腸の手術を受けた。
・犬が苦手。
・音楽観賞が大好き。ジャズ以外は何でも聞く。音楽CDを1000枚以上所有。
好きな音楽はラップ、レゲエ、ハワイアン、演歌、歌謡曲。
・好きな歌手…ブリトニー・スピアーズ。浜崎あゆみ(ライブに行った事がある)。
・インドア派。
・いきつけ…
レストラン「ペーパームーン」(両国、来日当初から通っている、マスターと話をする)。
・PRIDEを生観戦した事がある。
・生まれ故郷のファガトンゴがサモア地震で被災した(=09年)。
・人見知り。あがり性。照れ屋。
照れ隠しにジョークを言う。女性と話すのが苦手。
馴れるとおしゃべりになるがそれまでにかなり時間がかかる。
・関西弁を使う。
・父親が57歳で他界(=95年)。一度も日本で相撲を観て貰えなかった。
・兄は身長197㎝。
■武蔵丸光洋
□人間関係
・あびる優…家族ぐるみのつきあい。あびるが小学生の頃からの仲。
・KONISHIKI…親友。ハワイ勢の先輩力士。ハワイの同じ地域出身でともにサモア系。
六本木のカラオケボックスで朝まで話した事がある。
・哀川翔…友人。
・ホラニ(ラグビー日本代表)…友人。
・ギャル曽根…大食い企画に一緒に挑戦、ギャル曽根の半分しか食べられなかった。
・はなわ…武蔵丸のモノマネをする。
・元関脇高見山…ハワイ出身の関取第1号。64年初土俵、84年引退。
・曙太郎…元横綱。ハワイ勢の先輩力士。88年初土俵、01年引退。
・貴乃花…ライバル的存在だった。
・舞の海…武蔵丸と対戦する時は「これで相撲人生が終わるかも」と覚悟して挑んでいた。
・貴ノ浪…同時に新入幕、同時に大関昇進したライバル。同い年。
現役時代に58回対戦した(幕内最多、37勝21敗)。
・土佐ノ海…現役最後の対戦相手。
・雅山…弟弟子。武蔵丸引退土俵入りでは露払を務めた。
・大鳴戸親方(元大関出島)…弟弟子。
・武蔵川親方(元横綱三重の海)…師匠。
・高尾良英…藤沢湘南病院のスポーツ医師。
高尾のダイエット指導(10㎏減量)で連続優勝して横綱に昇進。
・伊達治一郎…モントリオール五輪レスリングの金メダリスト。
高校のレスリング部の臨時コーチ。武蔵丸に大相撲入りを勧めた。
・間瀬誠吾…荒川区立荒川大八中学校の体育教師。武蔵丸に大相撲入りを勧めた。
・榎本雅美…フラダンス教室経営。08.08.23ハワイで挙式。約8年交際して結婚。
・子供:
長男…ジョーイ。14.06.28誕生。
■武蔵丸光洋
□熱戦譜
・vs旭道山(時期不詳)
旭道山の強烈な張り手をあごに貰って脳しんとうでKOされた。
・vs千代大海(99年3月場所)
武蔵丸の顔面がモロに当たって千代大海が鼻骨を複雑骨折。
・vs曙(99年5月場所千秋楽)
曙を押し倒しで破って2場所連続5回目の優勝。
・vs貴乃花(01年5月場所千秋楽)
14日目の武双山戦で右膝半月板損傷の大怪我を負った貴乃花に決定戦で敗れた。
貴乃花の現役最後の優勝。
表彰式で小泉首相が「痛みに耐えて良く頑張った。感動した。おめでとう」と絶叫した。
・vs貴乃花(02年9月場所千秋楽)
8場所ぶりに復帰した貴乃花を千秋楽で破って12回目の優勝。
■武蔵丸光洋
□エピソードなど
・前年にハワイから入門した武蔵坊が4ヵ月で脱走した為、
入門前に親方が2ヵ月の研修期間を設けてくれた。
その間に相撲部屋の習慣や日本語を覚えた)。
・入門当初にホームシックに苦しんだ。
・稽古中に折れて竹刀が他の力士の背中に刺さって血が吹き出たのを見て失神した。
・無給の幕下時代から場所手当を貯金して実家に送金していた。
・優しくおおらかで争い事を好まない性格でプレッシャーに弱かった。
「格闘技に向かない」と言われた。
・初土俵から所要27場所での大関昇進は曙に次ぐ当時史上2位のスピード出世。
・大関在位32場所での横綱昇進は琴桜とならんで史上1位タイのスロー昇進。
・横綱昇進伝達式で「横綱の名を汚さないよう、心技体に精進致します」と言うべき所を
緊張のあまり「ショウ…ジン…タイします」と言ってしまった。
・横綱昇進後も引退するまで武蔵川部屋の12畳の部屋に住み続けた。
・軽量力士に対しては相手の身体を考えて本気の張り手は使わなかった。
・最重量時の体重235㎏は歴代横綱最重量タイ。
・史上1位の55場所連続勝ち越しを記録。
・引退した03年は6場所中4場所を全休、7月場所を途中休場した。
・02年九州場所でフットボール選手時代の古傷の左手首靱帯を断裂した。
手術したが完治に至らなくて引退を決意した。左手首に何本もボルトが入っている。
・優勝回数12回は外国出身力士最多。
・幕内通算706勝は当時歴代4位。
・武蔵丸の引退でハワイ出身の現役力士はひとりもいなくなった。
・上野公園の西郷隆盛像に似ていると言われた。
・日本国籍を取得して帰化(=96年)。
・自宅を「ディスカバ! 99」で公開(=04年2月11日放送分)。
・テレビ「今田ハウジング」の企画で引っ越しをした
(新居を番組がコーディネート=07年6月13日放送分)。
・年寄「振分」を襲名(=08年)。
・CM「ソフトバンクモバイル」に出演(=09年)。
・餃子店「67餃子(ロクナナギョウザ)」(広尾)をプロデュース。
凡例:18.01現在=2018年1月現在