■欧陽菲菲(おうやん ふぃふぃ)
□肩書き
歌手
□本名
式場欧陽菲菲
□生年
1949(昭和24)09.10(乙女座/O型)※[B型]とする媒体もある
□出身地
台湾・台北市
□略歴(満年齢)
71年(22歳)「雨の御堂筋」をリリース。日本レコード大賞新人賞。
72年(23歳)紅白歌合戦初出場。
80年(31歳)「ラヴ・イズ・オーヴァー」がヒット。
※他の主なシングル:
「雨のエアポート」「恋の追跡」
□趣味
音楽観賞
□サイズ
155㎝ B83W53H83
■欧陽菲菲
□幼少時代〜
・父親はパイロット。
・「菲菲」は「空を飛ぶ」という意味。
・妹と弟がいる。
・父親の躾が厳かった。
22:00の門限を破ると家族の前で叩かれた。
□私生活
・好物…あんパン。
・得意料理…台湾家庭料理。
・デビュー当時と体型がほとんど変わっていない(=95年現在)。
・太らない秘訣は食べる量をほどほどにするだけ。
・好きなミュージシャン…マライア・キャリー。ホイットニー・ヒューストン。
・体にフィットした服が好き。
・靴が大好き。
・買物が大好き。コンビニで大量に買物する。
・いきつけ…
広東料理と飲茶のレストラン「美味飲茶酒樓」(代官山、妹が経営、週1ペースで行く、
「歐陽家の食卓」という裏メニューがある=10.08現在)。
■欧陽菲菲
□人間関係
・野口五郎、小柳ルミ子、天地真理、研ナオコ、南沙織…歌手デビュー同期生。
・ザ・ベンチャーズ…デビュー曲「雨の御堂筋」を作曲。
・夏木マリ、金井克子、山本リンダ…デビュー当時に人気があった成熟路線の歌手。
・天地真理、南沙織、小柳ルミ子…デビュー当時に人気があった清純路線の歌手。
・奥村チヨ…ユニット・CHIYO&FEI FEIを結成して「TOKIO天使」をリリース(=01年)。
・鈴木雅之、つるの剛士、徳永英明、森進一、やしきたかじん、
青山テルマ、倖田來未、内藤やす子、misono…「ラヴ・イズ・オーヴァー」をカバー。
※「ラヴ・イズ・オーヴァー」は30人以上の歌手にカバーされている
※やしきたかじん、内藤やす子は「競作」とする媒体もある
・河本準一、藤原竜也、KCO(globe)…カラオケで「ラヴ・イズ・オーヴァー」を歌う。
・江夏豊…欧陽菲菲のファン。
ゴルフ&麻雀仲間の会の名称を「フィフィ会」と命名。
・大西ユカリ…欧陽菲菲のファン。
・山田邦子…欧陽菲菲のモノマネが得意。
・式場壮吉…元レーシングドライバー。78年に東京国際基督教教会で挙式、16.05.16他界。
■欧陽菲菲
□エピソードなど
・台湾のトップスター歌手だった。
台北のレストランシアター「中央酒店」で歌っていた。
・スカウトが1年間に10回以上台湾に来て口説かれて来日を決意した。
・来日した時に知っていた日本語は「見る」「聞く」「(お腹が)ぺこぺこ」だけだった。
・日本に馴染めずにすぐに台湾に帰り、
日本側に諦めて貰う為に倍のギャラをふっかけたが、
それでもOKと返答されて日本でやっていく覚悟を決めた。
・台湾では自分で仕事を取ってギャラを自分で決めるのが当たり前だった。
・レコードデビューに際して「菲」という活字がないので名前を変えるように言われたが断った。
・「雨の御堂筋」は発売後すぐにチャート1位を獲得。
特に大阪で爆発的なヒット(1日に1万枚売れた)。
・「雨の御堂筋」は他の人が歌う筈の曲だった(キーが高すぎた)。
・「雨の御堂筋」をレコーディングした頃は歌詞の意味をよく判っていなかった。
・デビュー当時、「セクシー」と呼ばれる事に反発した。
台湾では「セクシー」は水商売の女性の呼称。
・香港のリー劇場で中国人歌手として初のワンマンショーを開催(=75年)。
・結婚後一時芸能活動を休止していた。
・台湾の国民栄誉賞を受賞(=81年)。
・台湾でリリースしたアルバム「擁抱」がヒット(=93年)。
・ヒッポホップのシングル「抱擁」が台湾でヒット(=94年)。
日本から呼んだダンスチームを従えて歌った。
台湾でバックダンサーを従えて歌ったのは欧陽菲菲が初。
・「カルチェが最も似合う女性」に選ばれた(カルチェ主催のコンサートを開催=94年)。
・台湾で94年度最優秀歌唱賞を受賞(日本のレコード大賞にあたる賞)。
・台湾中部大地震の被害者救済コンサートを開催(=99年)。
・「菲菲」の発音は台湾では「フェイフェイ」に近い。
凡例:19.01現在=2019年1月現在