桑田佳祐

桑田佳祐


■桑田佳祐(くわた けいすけ)

 

□肩書き

 歌手 作曲家 作詞家 

 

□所属グループ

 サザンオールスターズ

 

□本名

 桑田佳祐

 

□別名

 夷撫悶汰 嘉門雄三

 

□生年

 1956(昭和31)02.26(魚座/A型)

 

□出身地

 神奈川県茅ヶ崎市

 

□出身校

 鎌倉学園高校

 青山学院大学経営学部中退

 

□略歴(満年齢)

 78年(22歳)サザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でデビュー。

 87年(31歳)「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビュー。

 00年(45歳)サザンオールスターズとして「TSUNAMI」で日本レコード大賞。

 ※主な出演など:

  テレビ「桑田佳祐の音楽寅さん」

  ラジオ「オールナイトニッポン」「ミュージックスクエア」

  楽曲「真夜中のダンディー」「月」「白い恋人達」

 *楽曲はソロ

 

□趣味

 落語鑑賞 プロレス観戦 格闘技観戦 ビリヤード 

 クルマ 草野球 サーフィン

■桑田佳祐

 

□幼少時代〜

・父親はインテリアデザイナー、映画館支配人。

・母親はクラブのママ。

・4歳年上の姉がいる。

・両親はともにポップミュージックのファン。

 姉はビートルズの熱狂的ファンだった。

・家に常にいろいろな種類の音楽が流れていた。

 覚えた歌を入浴中に父親のリクエストに答えて歌った(2回聴いた曲はだいたい覚えた)。

 藤圭子、クール・ファイブが好きだった(藤圭子のプロマイドを持っていた)。

・子供の頃、近所の商店で万引きをした。

・お祭りで買ったヒヨコが鶏になって卵を産むようになった。

・中学時代、野球部(投手)。

・中学時代、修学旅行でマイクをひとりじめして歌いまくった。

・中学時代、パシフィックホテルのボウリング場の早朝割引をよく利用。

・中3の時、修学旅行で大阪万博に行った。

 イタリア館で食べたパスタの味に衝撃を受けた。

・中3の時、最初のギターを1万円で購入。

 ビートルズの曲をほとんどマスター。

・高校時代、プロレスラーとプロボウラーのモノマネが得意だった。

・高校時代、プロボウラーの岩上太郎の指導を受けた。

 ハイスコア298点をマーク。

 将来プロボウラーになりたいと思っていた。

・高校時代、バンドを結成して文化祭のステージに立った。

・中学〜高校時代、成績は常にビリに近かった。

・大学時代、音楽サークルBetter Daysに所属。

 ライブの度に違うバンド名を考案(その中のひとつがサザンオールスターズ)。

 ライブでバレリーナの扮装でボブ・ディランを演奏。

・大学時代、何の目的もなく山手線に座って何周もした。

・大学時代、ボウリング場でアルバイト。

・スケベだったので(?)名前をもじって「ケイスケベー」と呼ばれた。

 

■桑田佳祐

 

□私生活

・好物…鍋料理。きのこ。

・顎関節症を患った(20代後半の頃)。

・食道がんの手術をきっかけに禁酒(=10年)。

・初期の食道がんの手術を受けた(手術時間10時間、治療の為にツアーを中止=10年)。

 手術を受ける前に二度と歌えなくなる事を覚悟した。

・パソコンを使えない(=22.05現在)。

・好きな歌手…ビートルズ。エリック・クラプトン。

・レコード、CDをジャケ買いする。

・好きな映画…「男はつらいよ」シリーズ。

・プロレス雑誌を毎号愛読。

・寝る前に古典落語を聞く。

・Tシャツ、ジーパンが好き。

・ペット…犬(ミニチュアシュナイザー、2歳=21.05現在)。

・ボウリングが得意。

 週2〜3回ボウリング場で10ゲーム投げる(=18.12現在)。

 パーフェクトスコアを出した事がある。

 279をマークしたゲームの動画を公式サイトで公開(=17年)。

 ※日本ボウリング史上最大規模の大会「KUWATA CUP」をプロデュース

・父親は04年に他界。

・姉・えり子は膵臓がんで他界(享年56=08年)。

 

■桑田佳祐

 

□人間関係

・中村雅俊…家族ぐるみのつきあい。

 中村のヒット曲「恋人も濡れる街角」を作詞作曲。

・高橋幸宏…家族ぐるみのつきあい。家が近所。

 よく桑田の自宅に遊びに来て酒を飲んで一緒にギターを彈いてビートルズを歌った。

・大友康平…友人。デビュー当時からの仲。

・嘉門達夫…友人。

 アミューズ大阪支社で有線放送まわりのアルバイトをしていた。

 芸名「嘉門達夫」を桑田が命名(桑田の別名「嘉門雄三」から姓をあげた)。

・矢島純一(プロボウラー)…友人。

 矢島から還暦祝にマイボウルとマイシューズを貰った。

・渡辺真知子…幼馴染み。歌手デビュー同期。

・尾崎紀世彦…小学校、中学校の先輩。

・前田亘輝、南原清隆…家が近所(=98.01現在)。

・桑田佳祐、関口和之、野沢秀行、松田弘、原由子

 …サザンオールスターズのメンバー。

 桑田、原、関口は大学のサークル仲間。

・大森隆志…サザンオールスターズの元メンバー。01年脱退。

・松任谷由実…紅白歌合戦で並んで歌唱、松任谷が桑田の頬にキス(=18年)。

   デュエット曲「Kissin’ Christmas」発表(=23年)。

・小倉久寛…同じ事務所。

・三宅裕司…同じ事務所。テレビ「あっ! う○こついてる!」で共演(=84年)。

・明石家さんま…明石家の「アミダばばあの唄」を作曲。

・ユースケ・サンタマリア…テレビ「桑田佳祐の音楽寅さん」で共演(=00年)。

・山下久美子…山下のデビュー20周年アルバムに参加。

・佐野元春、世良公則、野口五郎、Char

 …チャリティソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」にゲスト参加(=22年)。

   桑田を含めて5人全員1955年度誕生の同学年。

・長門裕之…顔が似ているとよく言われる。

・あっち幾三…桑田のモノマネをする。

・パパイヤ鈴木…サザンの振付けを担当。

 サザン結成20周年アルバムのCMにおやじダンサーズが出演。

・五木ひろし、八代亜紀、西城秀樹、レイ・チャールズ…「いとしのエリー」をカバー。

・さとう宗幸、渋谷哲平、原田真二、石川ひとみ、石野真子、大場久美子、

 中原理恵、渡辺真知子、ツイスト…デビュー同期生。

・ファキンー加藤…桑田圭佑、サザンの大ファン。サザンのコピーバンドを結成。

・遠藤章造(ココリコ)…昔からサザンの大ファン。コンサートに行く。

・角田信朗…デビュー当時からサザンの大ファン。年越しライブに何度も行った。

 ライブで角田をステージに上げた事がある。

 サザンの「マンピーのG★SPOT」を入場テーマ曲に使用。

・平井堅…サザンの大ファン。ファンクラブに入っていた。

 高校時代にクラスメイトとサザンのコピーバンドを結成。

 18歳の頃、桑田の自宅に「コーラスに雇って下さい」と書いた手紙とデモテープを投函。

 青山学院大学(桑田の母校)に変装して潜入した事がある。

・ミスターちん…サザンのファン。カラオケではサザンしか歌わない。

 年越しライブに行った事がある。

・森末慎二…サザンの大ファン。オリンピックの時も合間に聞いていた。

・阿部美穂子…サザンの大ファン。

・井ノ原快彦、太田光、斉藤祥太、宅麻伸、田中裕二、中川昭一、ベンガル、

 槙原寛己、松井秀喜、水沼貴史、恵俊彰、ラモス瑠偉

 大空眞弓、高橋ひとみ、高橋由美子、ちはる、友近、萬田久子…サザンのファン。

・明石家さんま、乙武洋匡、小野伸二、風間杜夫、葛山信吾、城彰二、笑福亭笑瓶、

 竹中平蔵、ベンガル、松尾雄治、村田雄浩、中越典子…カラオケでサザンの曲を歌う。

・加山雄三…桑田の母親が加山の大ファン。

 子供の頃に近所のパシフィックホテル(加山が経営参加)のロビーで握手して貰った。

・浜崎あゆみ…桑田の大ファン。

・赤坂晃、坂口憲二、大空眞弓、岡本麗、斎藤由貴、野口みずき…桑田のファン。

・天地真理…天地の大ファンだった。

・アントニオ猪木…憧れている人。大好きなプロレスラー。

 猪木の試合をYouTubeで頻繁に見る。

・ディック・マードック…一番好きな外国人プロレスラー。

・レイ・セフォー…好きな格闘家。

・常盤貴子…交際を噂された。

 

■桑田佳祐

 

□エピソードなど

・サザンのデビュー曲のタイトル「勝手にシンドバッド」は志村けんのネタを無断拝借。

・CM「アンネット(生理用品)」に出演(=81年)。

・1年間限定でKUWATA BANDを結成(=86年)。

・デビュー10年目で長者番付歌手部門1位(=87年)。

・映画「稲村ジェーン」監督(=90年)。

・SUPER CHIMPANZEEとしてシングル「クリといつまでも」をリリース(=90年)。

・CM「日本生命」で越路吹雪のヒット曲「愛の讃歌」をでアカペラでカバー(=90年)。

・桑田佳祐&Mr.Childrenでチャリティーシングル「奇跡の地球」をリリース、

 収益2億4000万円を寄付(=95年)。

・毎年世界エイズデー(12月1日)に趣向を凝らしたライブを開催。

・「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」を開催(=08年)

 往年の歌謡曲から近年のJ-POP楽曲まで全61曲を熱唱。

 原由子、松田弘がゲスト出演。

・曲を最初に作ってその音にしっくり来る言葉(言霊)を探す。

 何気なく浮かんだ短い一部分からふくらませて曲を作る事が多い。

 サザンのメンバーやスタッフの鼻歌や雑談が曲を膨らませるアイディアになる事がある。

・ライブでステージに出るとまず非常口のマークを見て緊張をほぐす。

・ライブでシモネタをガンガン話す。

・歌詞を忘れた時はスタッフを睨む。

・シングル「レッツゴーボウリング」がオリコン初登場1位(=19年)。

 62歳11ヵ月のシングル1位は歴代最年長。

 史上初の30代〜60代の4年代連続シングル1位。

・映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」に出演して主題歌を歌った(=19年)。

・東京五輪の応援ソング「SMILE 晴れ渡る空のように」をリリース(=20年)。

・新型コロナウイルス感染拡大防止をテーマにした曲「ステイホーム ブルース」を発表(=20年)。

・アルバム「ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼きfeat.梅干し」がオリコンチャート初登場1位(=21年)。

 80年代、90年代、00年代、10年代、20年代の5年代連続でアルバムチャート1位。

 5年代連続は松任谷由実に次いで史上2人目、男性アーティスト初。

 

■桑田佳祐

 

□サザンオールスターズのエピソードなど

・青山学院大学の音楽サークルBetter Daysで結成されたバンドが母体。

 「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」

 「ピストン桑田と脳卒中」「桑田佳祐とヒッチコック劇場」

 など、様々なバンド名で活動していた。

・「桑田佳祐&サザンオールスターズ」として活動していた時期があった。

・ヤマハ・イーストウエストコンテストに入賞(=77年)。

・デビューに際してふたつのレコード会社と二重契約して大問題になった。

・デビュー当時、テレビに出演する時は毎回コミックバンド的に大騒ぎした。

 「いかりや長介が桑田をドリフにスカウトする」と噂された。

・「いとしのエリー」のエリーのモデルは桑田の姉・えり子。

・原の出産・育児で活動を休止して各メンバーがソロ活動(=85年〜88年)。

・中国・北京の天安門広場でストリートライブを敢行(=91年)。

・日本レコード大賞(00年「TSUNAMI」)。

・「TSUNAMI」が高校の音楽の教科書に採用される(=02年)。

・再リリースしたデビュー曲「勝手にシンドバット」が初登場1位(=03年)。

・再リリースした44枚のシングルが全作オリコン100以内に入った(=05年)。

・22年ぶりに野外フェスティバルに出演(=05年)。

・オリコンシングルチャート10位以内累計240週を達成(歴代1位=06年)。

   シングル「DIRTY OLD MAN さらば夏よ」で達成、以前の1位は山口百恵。

・メンバーのスキルアップなどを目標として活動を休止(=09年〜13年)。

・54thシングル「ピースとハイライト」がオリコン初登場1位(=13年)。

 4ディケイド(80年代、90年代、00年代、10年代)でオリコン1位獲得は

 グループとして日本初、中島みゆきについで史上2組目。

・大晦日にカウントダウンライブをほぼ毎年開催。

・紅白歌合戦に特別枠で出場して平成最後の究極の大トリとして歌唱(=18年)。

 桑田圭佑と松任谷由実が並んで一緒に歌い、松任谷が桑田の頬にキス。

・無観客配信ライブを開催(推定視聴者数50万人以上=20.06.25)。