■桂文珍(かつら ぶんちん)
□肩書き
落語家 タレント
□本名
西田勤
□生年
1948(昭和23)12.10(射手座/A型)
□出身地
兵庫県篠山市
□出身校
篠山町立大芋小学校
大阪産業大学経営学部卒業
□略歴(満年齢)
70年(22歳)テレビ「ヤングおー!おー!」出演。
82年(34歳)テレビ「笑っていいとも!」出演。
91年(43歳)テレビ「ウェークアップ!」出演。
※他の主な出演:
映画 「パンツの穴 花柄畑でインプット」「ゴルフ夜明け前」「夢見通りの人々」
ドラマ「風のハルカ」「居酒屋もへじ」「桜ほうさら」
テレビ「クイズMr.ロンリー」「地球まるかじり」「ザ・サンデー」
CM 「大日本除虫菊」「ロート製薬 新パンシロン」「マルサンアイ 調整豆乳」
著書 「落語的学問のすすめ」「日本の大学」「日本のサラリーマン」
□趣味
パソコン ゴルフ クルマ バイク 乗馬
□特技
小型飛行機操縦
□資格・免許
大型二輪免許 自家用航空機操縦士免許 特殊無線 計器飛行証明飛行資格
□サイズ
168㎝
■桂文珍
□幼少時代〜
・生家は元地主。
戦後の農地改革で没落した。
・山に囲まれた所で生まれ育った。初めて海を見た時にとても感動した。
・中学時代、ガガーリンの人類初の宇宙旅行に触発されて宇宙飛行士に憧れた。
・高校時代、合唱部(部長)。テノール担当。
・高校時代、学校で一番面白い人と評判だったらしい。
・高校時代、秀才とも不良とも対等に交際した。
・高3の時、応援団長を務めた。
・大学時代、父親が事故で働けなくなって仕送りを貰えなくなり、
奨学金とアルバイトで学費・生活費をまかなった。
ガソリンスタンドで住み込みのアルバイトをした(部屋は1畳半、バイト代は時給50円)。
・大学時代、ニシタニ君に勧められて落語を始め、一緒に落語研究会を創設。
高座名は美憂亭さろん(びゅーていさろん)。
関西学生落語連盟の理事として全国の学園祭で落語をやった。
■桂文珍
□私生活
・好物…なまこと大根おろしをかけたごはん。
うどん(自家用飛行機で高松に食べに行った事がある)。
・酒が好き。酔うとすぐに裸になる。
・健康法…落語の稽古をしながら散歩。
・高所恐怖症(飛行機は飛ぶ理由が理論的に判っているので平気)。
・義母手製の越中ふんどしを愛用。
・ロットワイラー(軍用犬)を飼った事がある。
・メダカを飼った事がある。
・住んでいる所…兵庫県神戸市(=99.04現在)。
・別荘がある所…石川県(=06.07現在)。
※別荘の広大な庭に1000人の客を入れて独演会を開催
・阪神大震災で神戸の自宅が半壊した。
・いきつけ…
「うどん本陣山田屋」(香川県)。
「馬渕製麺所」(香川県高松市、セルフサービス)。
理容室「アン」。
・ハーレーに乗っている(=02.07現在)。
・ロールスロイス、フェラーリ、ポルシェを所有。
・飛行機が大好き。
41歳の時に自家用航空機操縦士免許の免許を取った。
夜間・悪天候など視界が悪い時でも操縦できる資格を持っている(計器飛行証明飛行資格)。
事務所がトリプルブッキングした仕事を自分の操縦で廻った事がある(広島、宮崎、長崎)。
ドイツ製の自家用小型飛行機を所有(=06.12現在)。
自家用飛行機で1日で日本全国を仕事で廻る。
・温泉が好き。
・宇宙旅行に興味関心がある。アメリカに行くとNASAや航空機工場に足を運ぶ。
・脳血栓で倒れて認知症を患った父親が他界(享年84=07年)。
・娘と一緒にゴルフや海外旅行に行く。
・売れない頃に妻がクラブホステスとして働いて家計を支えてくれた。
■桂文珍
□人間関係
・甲斐よしひろ、中島みゆき…若い頃からの友人。
・桂南光、笑福亭鶴瓶…3人で共演する落語会を毎年開催。
・立川談志…落語を始めた頃、談志の著書「現代落語論」をバイブルにしていた。
・桂きん枝、月亭八方、林家小染(故人)
…「ヤングおー!おー!」の企画でザ・パンダを結成(74年結成、76年解散)。
・酒井ゆきえ…「地球丸かじり」「ウェークアップ!」で共演。
・山田誉子(C.C.ガールズ)…桂が運転するフェラーリに片足をひかれた。
・桂三枝…兄弟子。「ヤングおー!おー!」で共演。
・桂珍念、桂分福、桂楽珍…弟子。
・5代目桂文枝(3代目桂小文枝)…師匠。桂三枝の紹介で弟子入りした。※05年他界
・千原浩史…芸人として桂文珍を目標にしている。
・萌子…一般女性。74年結婚。2歳年上。
・子供:長女。
■桂文珍
□エピソードなど
・5代目桂文枝に弟子入り(=69年)。
・新弟子時代、昼間は師匠の付き人、夜はキャバレーで司会のアルバイトをした。
・「ヤングおー!おー!」で様々な体を張った企画に挑戦した。
目隠しタッチでライオンに触った。
・30歳の時にニューヨーク旅行でガイドに言われた「この街では自分で売り込みをしなければ
死ぬまでただの人で終わる」という言葉を芸能界で成功する鉄則として肝に命じている。
・シンセサイザー、ロボット、巨大テレビ、オーケストラとジョイントした前衛的な落語を創作。
・一番多い時のレギュラーは17本。
・「老婆の休日」「バーチャル・ママ」など数多くの創作落語を作った。
・第12回上方お笑い大賞を受賞(=83年)。
・関西大学文学部国文学史の非常勤講師を務めた(=88年〜03年)。
・雑誌「潮」で内外文化人との対談を連載。
・聴覚障害者600人をなんばグランド花月に招いて「字幕寄席」を開催(=97年)。
・古典落語のCDを10年計画で毎年1枚リリース(=98年〜)。
・高野山大学客員教授を務めた。
・慶応義塾大学文学部特別講師を務めた(=99年)。
・年間約600本の高座に上る。
・47都道府県をまわる落語ツアーを行った(=07年〜08年)。
・なんばグランド花月で10夜連続公演(=08年)。
・テレビ「笑点」初出演(三遊亭円楽の代役=22.02.13放送分)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在