柚希礼音

柚希礼音

関連項目:宝塚

■柚希礼音(ゆずき れおん)

 

□肩書き

 女優 

 

□所属

 宝塚歌劇団(99年〜15年)

 

□愛称 

 ちえ

 

□生年

 1979(昭和54)06.11(蟹座/B型)

 

□出身地

 大阪府大阪市福島区

 

□出身校

 四天王寺高校

 

□略歴

 99年(20歳)宝塚歌劇団に入団(→15年退団)。

 09年(30歳)星組トップスターに就任。

 15年(36歳)舞台「プリンス・オブ・ブロードウェイ」出演。

 ※他の主な仕事:

  舞台 「ロミオとジュリエット」「オーシャンズ11」

  ドラマ「TAKE FIVE 俺たちは愛を盗めるか」

  テレビ「水曜歌謡祭」「サワコの朝」「今夜くらべてみました」

  CM    「アパマンショップ」

 

□趣味

 ショッピング 温泉 海外旅行

 

□サイズ

 172㎝


■柚希礼音

 

□幼少時代〜

・兄がいる。

・毋親は若い頃に一時芝居に携わっていた。

・小学校時代、毎年家族で京都の嵐山に行って湯豆腐を食べた。

・小学校時代、よく家族でお墓参りに行った。

・小学校時代、父親に早朝(登校前)に寿司屋、夜中にラーメン屋に連れて行かれた。

 父親はおいしいものを食べるのが大好きな人だった。

・小学校時代、「将来酒で失敗しないように」と父親に日本酒を味見させられた。

・小学校時代、内気で恥ずかしがり屋だった。

 答えが判っていても絶対に挙手しなかった。

 授業中に本読みを指名されて赤面して泣いてしまった事があった。

・小学校時代、ダンゴムシを男子に服の胸元に入れられた。

・習いごと…ピアノ。学習教室。クラシックバレエ(9歳から8年間)。少林寺拳法。

 ピアノと学習教室は長続きしなかった。

 バレエは人と話さずに黙々と自分の体に向き合うのが性に合った。

 プロのバレエダンサーになる為の厳しい本格的なレッスンを受けていた。

・10代半ばで急激に身長が伸びた。

 ダンスの発表会でペアを組む男性パートナーが見つからなかった。

 身長が伸びて線が細いバレリーナ体型からどんどんかけ離れてしまった。

 牛乳を飲むのを控えていたがそれでも身長が伸びた。

・アメリカのバレエ団に留学するつもりだったが土壇場で両親に反対された。

・両親に「宝塚に入れば毎日踊れるよ」と勧められ、

 宝塚の舞台を初めて観てその日に宝塚音楽学校受験を決意した。


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□私生活

・好物…白米(大好物)。激辛麺。味噌汁(1日1回は食べる)。

 串かつ(70本食べた事がある)。辛いもの。

・宝塚歌劇団入団後5〜6年の間、プレッシャーでしょっちゅう胃腸炎になった。

 3ヵ月に1回ペースで倒れて救急車で病院に運ばれた。

・高い頬骨がコンプレックス。

・最低8時間は睡眠を取る。できれば10時間寝たい。

 睡眠時間6時間だとエネルギーが切れる。

・お風呂が大好き。休日は昼間からバスタブに浸かって好きな本を読む。

・虫が苦手。

・好きな映画…ラブコメ。

・リラクゼーション系の音楽をかけてアロマを立ててリラックスする。

・インテリアが大好き。

 現在の部屋はニューヨーク系モダンテイスト(=15.10現在)。

 思い立って夜中に自宅の部屋の模様替えをする事がある。

 インテリアコーディネーターの資格を取って内装の仕事をしようと考えた事がある。

 ※マンション(ジオタワー宝塚)のモデルルームをプロデュース(=08年)

・ペット…犬(ロングコートチワワ、名前はちょこ=15.10現在)。

・スパと温泉が大好き。ちょっとした空き時間に行く。

 雨の休日にホテルのスパに行ってラウンジで雨を眺めて過ごす事がある。

 源泉かけ流しの温泉が大好き。九州の温泉めぐりをした事がある。

・よくお墓参りに行く。

・3〜5日休みがあれば海外旅行に行く。2泊4日でハワイに行った事がある。

・ニューヨークに3ヵ月単身で滞在(=15年)。

 部屋を借りてスーパーマーケットで食材を買って自炊した。

 前半は語学学校に通い、ボイストレーニングを受けた。

 後半は舞台「プリンス・オブ・ブロードウェイ」の稽古に励んだ。

・Instagramをやっている(=15.12現在)。

・人見知り。

・父親は既に他界。

・母親から芸に対する姿勢やファンサービスに関して厳しくダメだしされた。


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□人間関係

・安蘭けい…宝塚の先輩。安蘭のトップ就任に際して2番手を任された。

 いろいろなアドバイスをして貰った。

・CHIHARU…メイクの師匠。宝塚の先輩。

・柚希礼音、はいだしょうこ、

 宮本真希、大和悠河、紺野まひる、真飛聖、遼河はるひ、

 檀れい、純名里沙、姿月あさと、紫吹淳、天海祐希、一路真輝、

 愛華みれ、真琴つばさ、真矢ミキ、黒木瞳、涼風真世、大地真央、 

 小柳ルミ子、麻実れい、鳳蘭、浜木綿子、朝丘雪路、扇千景、

 有馬稲子、寿美花代、八千草薫、新珠三千代、淡島千景、越路吹雪

 …宝塚出身(年齢順)。

・小池修一郎…宝塚の演出家。稽古で放心状態になるまで徹底的にしごかれ、

 入団10年目でそれまでは役の突き詰め方が甘かった事を自覚させられた。

・ハロルド・プリンス…舞台「プリンス・オブ・ブロードウェイ」の演出家。


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□エピソードなど

・「宝塚=踊れる所」という知識だけで宝塚音楽学校を受験した。

・宝塚音楽学校2次試験の面接でレオタード姿で特技の「ブリッジ歩き」を披露。

 父親に「つかみが大事」と命じられて渋々やった(見た者に強烈な印象を与えたらしい)。

・宝塚音楽学校の厳しい規則:

 下級生は廊下を曲がる時は直角に曲がる(上級生にぶつからないように)。

 先輩に話しかける時は「お願いします、失礼します」と切り出す。

 毎日2時間掃除、窓ガラスは鳩がぶつかってくる程まで綺麗に掃除する。

 先輩御用達の店は入店禁止。

 男性と一緒に歩いてはいけない。

 阪急電鉄(親会社)の電車におじぎをしないといけない。

 阪急電車に乗る時は下級生は上級生より後ろの車両に乗らなくてはいけない。

・宝塚音楽学校入学当初、歌や演技が苦手で中退する事を考えた。

・宝塚音楽学校入学当初、授業で陸上自衛隊を訪問して縦隊や敬礼の教練を体験した。

・優秀な成績で宝塚音楽学校を卒業。

・宝塚歌劇団85期生。

・宝塚時代の愛称…ちえ(本名)。

・赤ちゃんの命名辞典を参考に上級生とかぶらない名前を探して自分で芸名を考えた。

 「歌がうまくなりますように」と音に礼をする気持ちを「礼音」に込めた。

 「礼音」を先に決めて「礼音」とのバランスを考えてあとから「柚希」をつけた。

・宝塚歌劇団に入った当初は歌も演技も苦手だった。

 歌や演技はある時期までは自分を追い込む事を避けていた。

・新人公演初主演「王家に捧ぐ歌」の稽古中に毎晩夜通し歌の個人レッスンを受けた。

・5作連続で新人公演に主演。

・先輩に助言を参考にして何度も練習して次第にメイクがうまくなった。

 メイクの腕が上がりすぎて(?)整形を噂された。※宝塚はメイクは自分でする

・演じる事の本当の面白さに気付くまでに10年かかった。

・トップ就任直後にリーダーのプレッシャーで体重が10㎏落ちた。

・初のCD「夜空に眠るまで」をリリース(=11年)。

・「オーシャンズ11」で第37回菊田一夫演劇賞を受賞(=12年)。

・初の単独コンサート「REON!!」でコミカルな寸劇に挑戦。

・トップ3年目に「立派なトップ」を目指すのはやめて自分をさらけ出す事にした。

 ピンチの時に周囲に頼るようにしたら逆に周囲が以前より助けてくれるようになった。

・トップとして初めて挑んだ台湾公演が大盛況(=13年)。

 中国語の開演アナウンスを4時間練習してマスターした。劇中で台湾の歌を中国語で歌った。 

 観客の熱狂的な拍手と歓声に包まれた瞬間に「明日死んでもいい」と思った。

・日本武道館で単独コンサート(=14年)。

・トップに6年間在任して「レジェンド」と呼ばれた。

 トップ在任は通常2〜3年、6年以上は異例の長さ。

・バレンタインにチョコレートがトラックで届いた。

・退団公演は全国47ヵ所に生中継された。

・退団公演の千秋楽に12000人(過去最多)のファンに東京宝塚劇場前で卒業を見送られた。

・エッセイ集「夢をかなえるために、私がやってきた5つのこと」を出版(=15年)。

・「絶対できない」と思っていた事にひたすら挑戦を続けて達成した時に真の喜びを感じる。

 「これはムリ。絶対できない」と自分で決めない事を信条にしている。

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