■杏子(きょうこ)
□肩書き
歌手 女優
□所属グループ
バービーボーイズ
□本名
関原杏子
□生年
1960(昭和35)08.10(獅子座/A型)
□出身地
長野県松本市→千葉県千葉市
□出身校
千葉県立長生高校
大妻女子大学文学部英語英文科
□略歴(満年齢)
84年(24歳)バービーボーイズとしてシングル「暗闇でDANCE」でデビュー。
90年(30歳)舞台「マランドン」に出演。
92年(32歳)シングル「DISTANCA この胸の約束」をリリース。
※他の主な出演:
舞台「SHIROH」「アニー」「輝け! 主婦バンド FOUR RIVERS」
映画「海猿」
ドラマ「雨と夢のあとに」「神はサイコロを振らない」
ラジオ「サタデーホットリクエスト」「杏子のAre you O.K?」
CM「ハウス食品 ウコンの力」
楽曲「なんだったんだ? 7DAYS」「目を閉じておいでよ」
*楽曲はバービーボーイズ
□趣味
ジョギング 水泳
□サイズ
156㎝
■杏子
□幼少時代〜
・父親は会社員。
・3歳年上の兄がいる。
・3歳の時、父親の転勤で長野県から千葉県に引っ越した。
・大自然に囲まれている一軒家に住んでいた。
近所の野山を駆け巡って遊んだ。
兄が土を掘って作った基地で遊んだ。
・夏休みを長野県松本市で過ごした(父親の故郷)。
・小学校時代、雑誌「明星」「平凡」の付録の歌本を見ながらギターを弾いた。
・小学校時代、天地真理のモノマネを母親に「下手ね」と言われて歌を歌うのが嫌いになった。
・小学校時代、大人っぽい顔がコンプレックスだった。
・小5の時、洋楽を聴き始めた。
・中学時代、叔父から貰ったガットギターを弾き始めた。
・中学時代、ビートルズ、エルトン・ジョン、山崎ハコが好きだった。
・中学時代、友人とデュオを組んで学園祭で歌った。
・高校時代、学園祭でギターの弾き語り。
・高1の時、男の子と初交際。
・大学時代、寮生活(4人一部屋)。
・大学時代、美大に通っていた男性と交際。
彼氏の美大の学園祭にロックバンドのボーカルとして参加。
・大学時代、レゲエバンドを結成。顔を真っ黒に塗って活動。
・学生時代、成績優秀で親や先生の前では良い子していたが、心の中で不良に憧れていた。
■杏子
□私生活
・好物…カレーライス。魚豆腐。
・暴飲暴食が好き。
・酒が大好き。食事の後でデザートがわりにビールを飲む。
・身長は小5から伸びていない。
・食器が好き。
・自宅に大きなトーテムポールがある。
・モノを自分で作ったルールで整理して並べるのが好き。
・ハンガーが大好き。約2000本所有。服の種類ごとにハンガーを使い分ける。
・縄文時代に興味関心がある。
・ロックが生まれた時代、反体制の時代に興味関心がある。
・ペット…猫(=96.03現在)。
・よく財布をなくす。
・クルマで出かけた事を忘れてタクシーで帰って来た事がある
(駐車場に自分のクルマがないので「盗まれた」と思った)。
・夢によく有名人が親友の設定で出て来る。
・空想するのが好き。
・飛行機、空港が好き。
・未確認動物に興味関心がある。
ネッシーを探しにスコットランドに3回行った。
※ネッシー探しの旅を綴った著書「伝説の水路ーネッシーを探して」を出版(=93年)
・水族館でイルカと一緒に泳いだ事がある。
・ニュージーランドでホームステイして乗馬をやった事がある。
・バービーボーイズ時代の詞が攻撃調なので激しい性格と思われがちだが実際はのんびり屋。
・父親が趣味で縄文式土器を作っている。
・両親と一緒によく小旅行に行く。
・ゲイの友人がいる。
・大人数の合コンをプロデュースした事がある。
■杏子
□人間関係
・深沢敦…友人。
・錦野旦…子供の頃錦野の大ファンだった。
初めて買ったレコードはにしきのの「空に太陽がある限り」。
某番組の企画で錦野から貰ったコインは宝物。
・コンタ(近藤敦)…元バービーボーイズ(ボーカル)。
※コンタと杏子のかけあいのツインボーカルがバービーボーイズのウリだった
・杏子(バービーボーイズ)、仙波さとみ(SHOW-YA)、中村美紀(SHOW-YA)、
中山加奈子(プリンセス・プリンセス)、MITSUKO(GO-BANG'S)
…ユニット・ミレニアムイブとしてCDをリリース(=97年)。
・杏子、スガシカオ、山崎まさよし
…ユニット・福耳としてCD「星のかけらを探しに行こうAgain」をリリース(=99年)。
・宮本亜門…ミュージカル「マランドン」の演出家。
・斎藤哲也…TBSアナウンサー。好きなタイプ。
■杏子
□エピソードなど
・大学卒業後1年間商社に勤務(総務部)。
バンド活動を続ける為に残業がなくて週休2日で有給が多い会社を探した。
合コンで率先して場を盛り上げた。
ライブの時に上司や同僚にチケットを買って貰った。
歌いながら会社の制服を脱ぎ捨てるパフォーマンスをしていた。
・男性4人組だったバービーボーイズにボーカルとして参加。
・「でも!しょうがない」のPVが過激な描写で一部地域で放送禁止になった(=85年)。
・バービーボーイズが売れていた頃はバンドブームの最盛期。
88年のコンサートはチケットが1時間で売り切れた。
・バービーボーイズ時代、8年間で8枚のアルバムをリリース。
アルバムの総売り上げは300万枚以上。
・バービーボーイズ解散後、簿記学校で資格を取って働くをするつもりでワープロを購入。
・「伝説の水路ーネッシーを探して」出版(角川書店=93年)。
・思いついたフレーズをメモに書いて箱に入れてストックしておいて作詞する時に漁る。
・ドラえもん、クレヨンしんちゃんのモノマネができる(ライブでやる)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在