■木田優夫(きだ まさお)
□肩書き
野球選手(14年引退)
野球指導者
□主な所属チーム
読売ジャイアンツ(87年〜97年)
デトロイト タイガース(99年〜00年)
ロサンゼルス ドジャース (03年〜04年)
東京ヤクルトスワローズ (06年〜09年)
北海道日本ハムファイターズ (10年〜12年)
□本名
木田優夫
□生年
1968(昭和43)09.12(乙女座/A型)
□出身地
東京都国分寺市
□出身校
国分寺市立第五中学校
日大名誠高校
□略歴(満年齢)
87年(19歳)ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。
90年(22歳)最多奪三振(182奪三振)。
99年(31歳)FAでデトロイト タイガースに移籍。
※入団、移籍は野球シーズン年度
※通算成績:
日 516試合、73勝82敗 50S 50H、防御率3.91、1036奪三振(独立リーグを除く)
米 65試合、1勝1敗 1S 4H、防御率5.83、68奪三振
※主なタイトル・表彰:
最多奪三振1回(日本)
※主な出演:
テレビ「やじうまテレビ!」「となりのテレ金ちゃん」「明石家サンタ」
□趣味
読書 音楽観賞 絵画 イラスト モノマネ
□サイズ
188㎝ 靴のサイズ30㎝
□特記事項
・日米7球団に在籍
■木田優夫
□幼少時代〜
・兄がいる。
・高校まで野球をやっていた父親の影響で野球をはじめた。
・小3の時、軟式野球チーム・スネークスに入った。
・小学校時代、家の裏の国分寺高校で壁を使って野球の練習をした。
・小学校時代、父親の転勤で2年間札幌に住んでいた。
・中学入学時に身長が178㎝あった。
・中学は新設校で野球部がなかったので国立シニアリーグに入った。
・中2の時、台湾遠征で野球を通じて他国の人と交流する楽しさを知った。
・高校時代、電車とバスを乗り継いで80分かけて自宅から山梨まで通った。
・高1の秋からエースとして活躍。
・高校時代、甲子園に出場できなかった。
高3の時は春夏とも県大会決勝で敗退。
・高校時代、新田恵利のファンだった。
おニャン子クラブのファンクラブに入っていた。
■木田優夫
□私生活
・好物…カツカレー。
・禁酒中(=06.10現在)。
・持病…腰痛。
・右肘軟骨の除去手術を受けた(=97年秋)。
・19年オフに約2ヵ月半で15㎏以上減量(114㎏→99㎏以下)。
・20代から養毛剤を使っている。
・マンガ「ドカベン」のファン。
・東急ハンズが好き。
・子供の頃から巨人ファン。
・ジャイアンツ時代は銀座、
オリックス時代は三宮に毎日のように飲みに行っていた。
・家事が面倒なのでホテルが好き。
・バカ話をするのが好き。
・Mっ気がある。女性から怒られるのが好き。
■木田優夫
□人間関係
・明石家さんま…友人。お笑いの師と仰いでいる。
テレビ「明石家サンタ」に毎回トナカイの着ぐるみ姿で出演。
デトロイトタイガースの入団会見を羽織はかま姿で行なった(さんまのアドバイス)。
木田の引退試合でノーギャラで特別コーチを務めた(独立リーグ)。
さんまのアドバイスで左手でくじをひいて清宮の交渉権をひきあてた。
・大林素子…友人。
・長野智子…ニューヨークで一緒に食事。
・柏田貴史…ジャイアンツのチームメイト。
大リーグ行きを考えた時に一番意識した存在。
・槙原寛己…友人。現役時代にかわいがって貰った。
開幕戦の前に槙原の自宅で食事して一緒に球場に行った。
大リーグ行きに関して相談した時に
「もう俺は挑戦できないから俺の分も頑張ってきてくれ」と言われた。
・野茂英雄、長谷川滋利、佐々木主浩、イチロー、松井秀喜、松井稼頭央
…主な日本人メジャーリーガー。
・佐々木主浩、イチロー…ロサンゼルスで一緒に食事をする
・パリッシュ…デトロイトタイガースの監督。元ヤクルト→阪神。
・木田偽夫…木田のモノマネをする。
・松嶋菜々子…「身長が10㎝低い松嶋菜々子」が理想の女性。
■木田優夫
□エピソードなど
・絵画の個展を開催(=96年)。
・優勝がかかった試合中に東急ハンズに宴会グッズを買いに行かされた(現役時代)。
・メジャーへのあこがれは昔からあった。
・デトロイト・タイガースとの契約金・年俸は各100万ドル(金額は推定)。
・大リーグ行きを決めた時、年俸が下がるのを覚悟していたが逆にアップした。
・デトロイト タイガースの入団会見を羽織袴姿で行なった。
明石家さんまのアドバイスで日本から持って行った。
そのまま球場のマウンドにも立ち、「デトロイトでガールフレンドを見つける」と宣言。
・デトロイト タイガース1年目、新人の洗礼でバットマンのコスプレで移動した。
・28試合目の登板でメジャー初勝利(=99年)。
・左脇腹痛で15日間の故障者リストに登録された(日本人初の登録=99年)。
・武器は速球とフォークボール。
・雑誌にイラストを連載。
・「野球星」というオリジナル応援歌があった。
・八の字眉毛だったのでピンチの時は「泣きそうな表情」とよく言われた。
・アメリカの高速道路で飲酒運転で逆走してきたクルマと衝突事故(=03年春)
同乗していた通訳の塩川氏が脾臓摘出。
・プロ18年目でカーブを覚えた。
・北海道日本ハムファイターズのゼネラルマネジャー補佐に就任(=15年)。
・ドラフト会議で清宮幸太郎の交渉権をひきあてた(7球団競合=17年)。
・副業…日本食レストラン経営(シアトル郊外=22.12現在)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在