日馬富士公平

日馬富士公平

■日馬富士公平(はるまふじ こうへい)

□肩書き

 大相撲力士 第70代横綱 ※17年引退


□本名
 ダワーニャム・ビャンバドルジ

□旧しこ名
 安馬公平
 
□生年
 1984(昭和59)04.14(牡羊座/O型)

 

□出身地

 モンゴル ウランバートル

 

□出身校

 モンゴル イレドゥチョボル高校


□略歴(満年齢)
 01年(17歳)1月場所で初土俵。
 04年(20歳)11月場所で新入幕。
 08年(24歳)11月場所後に大関に昇進。
   12年(28歳)9月場所後に第70代横綱に昇進。

 ※通算成績:

  827勝444敗85休、優勝9回、殊勲賞4回、敢闘賞1回、技能賞5回、金星1個

 

□趣味

 映画観賞 絵画

□サイズ
 186㎝133㎏

□特記事項
・モンゴル出身
・第70代横綱

■日馬富士公平

 

□幼少時代〜

・父親は警察官(幹部)。詩人として詩集を出版。モンゴル相撲で名関脇として活躍。

・生まれた時の体重は5000グラム。

 突然産気づいて病院に行く事が出来なくて自宅で産まれた。

・3人きょうだい。兄がいる。

・柔道、バスケットボールをやっていた。

 朝青龍と同じ道場で柔道をやっていた。

・美術の専門学校(イレドゥチョボル高校)に通っていた。

 在学中(15歳の時)に絵画の個展を開催。

■日馬富士公平

 

□私生活

・好物…寿司(一番好きな日本食)。ラーメン。焼肉。魚(特にフグが好き)。フカヒレ。

・嫌いな食べ物…ネギ類(カツ丼などでタマネギを抜く)。

・酒が大好き。3時間で3升半飲んだ事がある。

 生粋の江戸っ子のように気風が良いらしい。

・タバコを吸う。

・健康法…コールドプレスジュース。

・持病…左肘の炎症(長期離脱を避ける為に手術を回避)。

・右肘の遊離軟骨、骨棘などを除去する手術を受けた(=15年)。

・韓流ドラマが好き。「オールイン」が好き。

・自宅ではパンツ一枚で過ごす。

・絵画の腕前はプロ級。

 雲がかった富士山を描いた絵(タイトル「孤高」)がテレビ番組で紹介された。

・いきつけ…モンゴル料理「ウランバートル」(両国=13.02現在)。

・カラオケの十八番…長渕剛。

・父親が交通事故で他界(享年48=06年)。※[享年50]とする媒体もある

・長兄は耳がよく聴こえない障害者。

・女性と遊ぶのが大好きらしい。

・妻には相撲の話はしない。


■日馬富士公平

 

□人間関係

・朝青龍、白鵬、鶴竜、旭天鵬、朝赤龍、時天空…モンゴル出身の主な力士。

 朝青龍…朝青龍の現役時代によく一緒に飲んだ。兄貴分的存在。

 白鵬…子供の頃から仲が良い。同学年。ライバル的存在。

 時天空…モンゴル時代に同じ柔道クラブに所属。

・稀勢の里…ライバル的存在。

・琴奨菊…苦手とする力士。

・伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)…師匠。

・初代貴ノ花(故人)…目標にしている力士。

 ビデオやDVDを20本以上所有、繰り返し見て取り口を研究する。

・勝俣州和、デーモン小暮閣下、やくみつる、磯野貴理子…大相撲好きのタレント。

・バトトール…11.11.10結婚披露宴。できちゃった結婚。

・子供:

 長女…ニャムジャガラガル。10年12月誕生。日本名は「美琴(みこと)」。

 次女…ヒシゲジャルガル。12年5月誕生。

   長男…バトエルデネ。13.06.14誕生。

 

□熱戦譜

・vs朝青龍(06年1月場所13日目)天覧相撲で朝青龍に勝利

・vs豪栄道(07年9月場所12日目)優勝争い単独トップの豪栄道を送り吊り落としで破る

・vs若ノ鵬(08年5月場所8日目) 空中で体をいれかえる豪快なうっちゃりで若ノ鵬に勝利

・vs白鵬(08年11月場所千秋楽)初の優勝決定戦で白鵬に破れて準優勝

・vs白鵬(09年5月場所千秋楽) 優勝決定戦で白鵬を下手投げで破って初優勝

・vs白鵬(12年7月場所千秋楽) 全勝対決を制して初の全勝優勝

・vs稀勢の里(17年3月場所13日目)新横綱稀勢の里に一方的に勝利(稀勢の里が左肩を負傷)

■日馬富士公平

 

□エピソードなど

・高校を中退して来日。

・来日した時の体重は73㎏程度だった。

 体重を増やす為に1回の食事に1時間以上かけてどんぶり飯5杯を強引に胃に入れた。

 毎日プロテイン飲料を1ℓ飲んだ。

 当初は魚と野菜が苦手だったが体重を増やす為に克服した。

 食べる事が嫌いになってストレスになった時期があった。

 ある程度体重がふえてからは量よりも好きなものを食べる事を心掛けている。

・関取になるまでの約3年間は稽古漬けの毎日だった。

 泣くまで稽古を終わらせて貰えない日が続いた。

   激しい稽古でよく記憶が飛んだ。

 三段目の頃に稽古で1日107番取った。

 親方に言われた事を100%信じて稽古をした。

 強くなりたいという気持ちより「親方を喜ばせたい」という気持ちが強かった。

・序ノ口、三段目、十両で優勝。

・伊勢ヶ濱の稽古時間は7:30〜11:30(他の部屋に比べて朝が少し遅い)。

・障害者を支援するアバザン財団をモンゴルに設立(=04年)。

 エコバッグやティッシュケースを制作・販売。給料の一部を日馬富士が負担。

・得意技…右四つ。突っ張り。寄り。押し。

・軽量のハンデを補う為に常に激しいけいこをする。

・常に客を喜ばせる激しい相撲を全力でとりたいと思っている。

 正攻法の真っ向勝負が信条。負けん気が強い。

・自分では「自分は体が小さい」と思っていない。

・禁煙の支度部屋で喫煙して師匠から厳重注意された(=08年)。

・大関昇進と同時にしこ名を安馬から日馬富士に改めた。

・2場所連続全勝優勝で横綱昇進を決める(12年11月場所)。

 大関での2場所連続全勝優勝は双葉山、貴乃花に継ぐ史上3人目。

・けいこ場でのガムや飲酒に関して横綱としての品格を懸念された。

・横綱昇進伝達式で「横綱の自覚を持って全身全霊で相撲道に精進します」と口上を述べた。

・横綱土俵入りは不知火型。不知火型の横綱が複数人同時に在位するのは大相撲史上初。

・新横綱場所(12年11月場所)は9勝6敗。

 終盤の5連敗は横綱が番付に載った1890年以来初。

 新横綱の10勝未満は87年九州場所の大乃国以来25年ぶり。

・体重133㎏は幕内最軽量(=13.01現在)。

・法政大学大学院政策創造研究科に入学(=14年)。

・9月場所で右眼窩内壁を骨折(=14年)。

   骨のかけらが眼球方向に散っていたら失明する可能性があった。

 人工骨を装着する手術を受けると現役続行は厳しい、と診断されたので手術を選択しなかった。

・金星を4個配給して史上初の優勝(=17年9月場所)。

・1場所15日制定着以降史上初の10日目で星の差3から逆転優勝(=17年9月場所)。

・貴ノ岩に対する暴行問題で17年11場所終了直後に現役引退。

・ウランバートルに小中高一貫教育の学校(新モンゴル日馬富士学園)を設立(=18年)。

凡例:19.01現在=2019年1月現在