■山川豊(やまかわ ゆたか)
□肩書き
歌手
□本名
木村春次
□生年
1958(昭和33)10.15(天秤座/B型)
□出身地
三重県鳥羽市
□出身校
南伊勢総合職業訓練校
□略歴
81年(23歳)「函館本線」でデビュー。日本レコード大賞新人賞。
86年(28歳)紅白歌合戦初出場。
98年(40歳)「アメリカ橋」がヒット。
※他の主なシングル:
「ときめきワルツ」「流氷子守歌」「逢えてよかった」
※主な出演:
テレビ「徹子の部屋」
□趣味
ギター ギャンブル 社交ダンス 釣り スポーツ全般
□特技
ボクシング
□資格
アーク溶接技能者 ガス溶接技能者 板金免許 社交ダンス1級
プロボクシングC級ライセンス
□サイズ
178㎝
□特記事項
・兄は鳥羽一郎
■山川豊
□幼少時代〜
・父・伝蔵は漁師。
・母・春枝は海女。
・6歳年上の兄(鳥羽一郎)、姉、妹がいる。
・生まれ育った石鏡(いじか)は小6の時に道路が通るまでは陸の孤島だった。
鳥羽の町に出る方法は1日3便の定期船だけだった。
・父親は大のギャンブル好きだった。
家を賭けて負けて一家全員納屋で寝て、勝ってまた買い戻した事があった。
・母親は朝暗いうちから海に出て午後は畑仕事をしていた。
村全体がそういう生活だったので授業参観に誰もこなかった。
・親に遊んで貰った記憶はない。
父親と一緒に写っている写真は競輪場で撮った1枚だけ。
・父親が出稼ぎに行っていた時は兄(鳥羽一郎)が父親がわりだった。
・家は裕福ではなかった。
1000円の給食費が払えない事があった。
早くお金をかせいで母親を楽にさせてあげたいと子供の頃から思っていた。
・子供の頃、海に潜ってアワビを採っておやつがわりに食べていた。
・小学校時代、大きな台風で家がふきとばされそうになった。
・高校時代、真珠のピアスをしていた。
・高校時代、彼女がいた。
■山川豊
□私生活
・好物…めかぶメシ(故郷の料理)。ラーメン。赤いウインナー(大好物)。
あんこ(大好物)。
・酒は飲めない。
・健康法…青汁。ハチミツ。
腕立て伏せ、腹筋、スクワット(30代から続けている)。
・腹筋が8つに割れている(=01.10現在)。
・常に心技体のバランスを取るように心掛けている。
・1年以上五十肩の痛みに悩まされた。
・平和島競艇場と大井競馬場の近所に住んでいる(=99年現在)。
・いきつけ…ラーメン屋「温洲軒」(新宿区若葉)。
・シングル「港のブルース」リリースを機に03年から社交ダンスを始めた。
・電車が好き。
夜行寝台で北海道に行った事がある。
仕事で地方に行く時にできるだけ電車を利用する。
・ボクシングが大好き。
ボクシングのビデオを大量に所有。
妻が試合のビデオを録り忘れると夫婦喧嘩になる。
・年齢制限ぎりぎりの30歳でボクシングのプロテストを受けて合格。
テスト受験前の約1年間は旅先でもロードワークをした。
・ボクシングのトレーナーとして選手育成に携わっている(=16.03現在)。
休日に朝から1日選手につきっきりで指導する事がある。
・休日はボクシングジムか試合場か競馬場か競輪場にいる事が多い。
・クルマのちょっとした傷は自分で直す。
・兄と一緒によく競馬に行く。
有馬記念で手持ちの現金を全額つぎこんで負けて一文なしになった事がある。
レースとステージが重なってステージの開始を少し遅らせた事がある。
・兄と一緒に女性がいる店に行くと、兄が話をしてさんざん場を盛りあげて、
山川はいつのまにか女性と一緒にいなくなっている事が多かったらしい。
・長女の幼稚園の卒園式の謝恩会で歌を歌った。
・長男をプロボクサーにしたいと思っている。
■山川豊
□人間関係
・佐々木主浩…友人。飲み友達。
・吉幾三…友人。飲み仲間。「途中下車」を作詞作曲(=94年)。
・正司歌江…友人。「おっかあ」と呼ぶ。
山川の実家近くの海で釣りをする(釣り船の船頭は山川の同級生)。
・香西かおり…友人。
・山本譲二、城之内早苗、細川たかし、角川博、香田晋、神田利則…
カラオケ仲間。
・森脇健司…ボクシングの弟子(所属ジムの練習生)。
・渡哲也…銀座のクラブで遭遇してピアノの伴奏で一緒に歌った。
・平尾昌晃…「アメリカ橋」の作曲家。
「アメリカ橋」のデュエットバージョンをリリース(=99年)。
・山口洋子…「アメリカ橋」の作詞家。
・田川寿美…デュエット曲「終電 何時?」をリリース(=99年)。
・水森かおり…事務所の後輩。
デュエット曲「思い出運河」をリリース(=05年)。
・沖田浩之、近藤真彦、竹本孝之、堤大二郎、ひかる一平、山川豊
…歌手デビュー同期生。
・鳥羽一郎…兄。演歌歌手。
・五木ひろし…中学時代に五木ひろしが歌っているのを見て歌手に憧れた。
・元妻…92年結婚、02年離婚。
・子供:
長女…奈津美。94.07.08誕生。
長男…隼也(じゅんや)。97.07.11誕生。
■山川豊
□エピソードなど
・中学卒業後、自動車整備工を目指して職業訓練校に通った。
・職業訓練校で溶接の実習中にタンクが爆発して全身を火に包まれた。
※白目の部分に傷(直径5ミリの斑点)が残った
・職業訓練校卒業後、鈴鹿の自動車会社に板金工として1年間勤務、
プロボクサーになる事を真剣に考えて夜はジムに通っていた。
・名古屋のキャバレーのキッチンで働いていた。
・東海4県のカラオケ大会で美川憲一の歌を歌って優勝、
東芝EMIに「本気でやる気があるなら東京に来い」と言われて上京。
・上京後デビューまで4年間レコード会社の社員として下積みを積んだ。
東芝EMIの宣伝部員としてキャンペーンでチラシ配りを2年、
その後プロダクションに入って赤坂のスパゲティハウスやクラブで1年歌った。
・デビュー曲のレコーディングは1年かけて何度もやり直した。
・「函館本線」のレコーディング時点では北海道に行った事がなかった。
・デビュー後2年間、連日キャンペーンで全国をまわった。
朝から夜中まで様々な所を飛び込みで廻った(主にキャバレーやスナック)。
無許可で警察署の隣で歌って事情聴取された。
真冬の北海道で気温マイナス20度の野外でコートを着ずに10日間歌った。
客が全員ヤクザで「レコード買うから歌え」と朝まで歌わされた。
ヤクザ数人に事務所に拉致されて「挨拶がなかった」と問い詰められた。
・芸能人水泳大会で初めてプールで泳いだ時、
海とは勝手が違って全然うまく泳げなかった。
・平尾昌晃と山口洋子との初打ち合わせの時、3人だけでカラオケに行き、
「何でもいいから歌って」と言われ、五木ひろしからSMAPまで30曲歌った。
・副業…惣菜店(埼玉県川口市=97年開店)。
・自然保護運動に携わっている。
・新宿コマ劇場で鳥羽一郎と初の兄弟公演(=05年)。
・新曲「螢子」のキャンペーンでカラオケスナックを1日限定で開店(=15年)。
・鳥羽一郎とヒルトン東京でチャリティーディナーショーを開催(=16年)。
・紅白歌合戦に11回出場。
・デビュー時から所属していた長良プロダクションから独立(=20.12.31)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在