■宮崎美子(みやざき よしこ)
□肩書き
女優
□本名
宮崎美子
□旧芸名
宮崎淑子(91年〜00年)
□生年
1958(昭和33)12.11(射手座/A型)
□出身地
熊本県熊本市
□出身校
熊本市立健軍小学校
大分大学教育福祉科学部附属中学校
大分県立大分上野ヶ丘高校→熊本県立熊本高校
熊本大学法文学部法学科卒業
□略歴(満年齢)
81年(23歳)ドラマ「2年B組仙八先生」出演。
90年(32歳)映画「男はつらいよ 寅次郎の休日」出演。
15年(57歳)ドラマ「プラチナエイジ」主演。
※他の主な出演:
舞台 「雪国」「冬の旅」「頭痛肩こり樋口一葉」
映画 「乱」「めぞん一刻」「雨あがる」
ドラマ「元気です!」「精霊流し」「のだめカンタービレ」
テレビ「クイズダービー」「Qさま!!」「ごきげんよう」
CM 「ミノルタカメラ」「新ケラチナミンコーワ」「ライオン 薬用ハミガキ」
□趣味
ウクレレ 鉱物の採集・研究 天体観測 ガーデニング
ボルダリング スキューバダイビング
□特技
新体操
□資格・免許
漢字検定1級 潜水士
■宮崎美子
□幼少時代〜
・父親は銀行員。
・習いごと…バレエ。
・新体操をやっていた。
・子供の頃、おこづかいやお年玉は銀行振込だった。
通帳とカードは持たせて貰えなかったので自由に使えなかった。
・中学時代、太めの体型がコンプレックスだった。
・中学時代、剣道をやっていた。
・中2の時、サッカー部のマネージャー。1年先輩のGKに初恋。
・中学〜高校時代、放送部。
将来アナウンサーになりたいと思っていた。
訛りをなくす為に常にアクセント辞典で発音を調べた。
高校の先生に「九州の人間はアナウンサーにはなれんたい」と言われた。
・大分県トップの進学校にトップの成績で入学。
・高校時代、演劇部(すぐに辞めた)と放送部(アナウンサー)。
・高校時代、映画「エマニエル夫人」を「補導されるかも」とドキドキしながら観た。
・高校時代、友達と遊ぶより勉強を優先していた。
・学生時代、学校では典型的な優等生だったが、家ではこっそりタバコを吸っていた。
・大学時代、30分かけて自転車通学。
・大学時代、写真部(ほとんど幽霊部員)。
・大学時代、政治史を専攻。
・大学時代、医学部の男性と交際。自然愛護や地球環境について語り合った。
・学生時代、アグネス・ラム(当時人気絶大だった水着モデル)に似ていると言われた。
■宮崎美子
□私生活
・好物…梅干し(自分で漬ける)。甘いもの。いきなり団子(熊本名物)。
・得意料理…ジャコ御飯。
ミルごのみ(お好み焼きを何種類も焼いてミルフィーユのように重ねる)。
・酒が強い。
・健康法…エアロバイク(自宅にある)。加圧トレーニング。
・身体が柔らかい。
・犬が苦手。
・本や新聞を声を出して読むのが好き(子供の頃から好きだった)。
・テレビに話しかけてしまう。
・テレビの占いコーナーを毎朝チェックする。
・手書きのノートと単語帳を作って漢字を勉強した。
・蘭を育てている。
・ハムスター、クリオネを飼った事がある。
・キルトを習った事がある。
・色々な習い事に手を出すがたいてい長続きしない。
・万歩計を持ち歩いている。
・鉱物好き。
結晶を顕微鏡で観察する。
毎年ミネラルフェアに行く。
・自然保護の為に北海道の土地を共同購入して植林する活動に参加。
・大の阪神ファン。
・好奇心旺盛。
・ネガティブ志向。
・人の名前をよく忘れる。
・立食形式のパーティが苦手。どこにいればいいか判らなくなる。
・好きなタイプ…自分でパンも焼けて大工仕事もできる男性。
・8年間交際して結婚した元夫と約1年で離婚した。
英魂原因は生活のサイクルが合わなかった事。
離婚後は友人として交際。一緒に旅行に行く。
■宮崎美子
□人間関係
・桜田淳子、中井貴恵、萬田久子…親友。
・星野仙一…友人。
星野のファンで阪神ファンだったので阪神の監督に就任した時に狂喜した。
・江本孟紀…友人。
・深津絵里…大分大学教育福祉科学部附属中学校の後輩。
・斉藤慶子…熊本大学の3年後輩。
・三田寛子、薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和
…ドラマ「2年B組仙八先生」で共演(宮崎は教師役、4人は生徒役)。
最後に生徒役のひとりひとりに手紙を書いた。
・寺尾聰…映画「雨あがる」で夫婦役で共演。
・木の実ナナ…家が近所(=00.09現在)。
・山口百恵…山口百恵が引退する年に一度だけスタジオで会った。同い年。
・志村けん…CM「ミノルタカメラ」の宮崎をギャグにしていた。
・宮崎緑…よく間違えられる。
・岡英生(Jリーグ・ロアッソ熊本社長)…高校の同級生、部活仲間(放送部)。
・桂小枝…宮崎のファン。
・トムル・バートル…「なるほど・ザ・ワールド」のロケでモンゴル行った時に一目ぼれ、
帰国後に手紙を書いたら返事が来た。
・上川伸廣…テレビ制作会社イースト勤務。89年9月結婚、90年12月離婚。1歳年下。
■宮崎美子
□エピソードなど
・大学在学中、雑誌「週刊朝日」表紙モデル(篠山紀信撮影=80.01.25号)。
「プロのカメラマンに撮って貰えばお見合い写真に使える」と思って応募した。
発売後に実際に大学の学生課に見合いの問い合わせが来た。
・Tシャツとジーンズを脱いで水着になるCM「ミノルタカメラ」が話題になった(=80年)。
CMソング「いまのキミはピカピカにひかって」は斉藤哲夫の曲。
CM撮影で着た青い水着は今もタンスの中にある(=03.06現在)。
ノーブラにTシャツで水をかけられるバージョンの撮影は、
ニップレスの存在を知らなくて実際にノーブラだっだ(お蔵入り?)。
・デビュー当時、ドラマの仕事が終わったら熊本に帰るつもりだった。
部屋に電話をひかず家具は大道具さんから借りて生活していた。
・上京して初めて原宿に行った時、あまりの人の多さに「今日はお祭りだ」と思った。
・デビュー当時、「三段腹アイドル」と呼ばれていた。
大日本肥満者連盟主催の第2回大ピ連賞を受賞して授賞式に出席した。
・シングル「NO RETURN」で歌手デビュー(=81年10月)。
・日本テレビ「第4回24時間テレビ」パーソナリティー(=81年)。
・女優を一生の仕事にしたいと思ったのは20代後半になってから。
・離婚を機に芸名を「淑子」にしたが評判が良くなかったので「美子」に戻した。
・テレビ「生きもの地球紀行」ナレーター兼リポーター。
・長野五輪聖火ランナー(=98年)。
・映画「雨あがる」の役作りの為に、
自宅の洋風家具を捨ててちゃぶ台で生活して着物の所作を身につけた。
・エッセイ集「『生きもの』への礼儀」出版(光文社=00年)。
・テレビ朝日「Qさま!!」などクイズ番組に多数出演。
・デビュー20周年記念にCM「ミノルタカメラ」のフィギュアを発売(=00年)。
・マネージャーを付けずにひとりで現場に行く。
・地方ロケの仕事が好き。
・テレビ「クスクス」でコスプレに挑戦。
・仕事場に自分で作ったお弁当を持って行く。
・小さなメモ帳に台詞を書き写して常に持ち歩いて台詞を覚える。
・四万十川大使、熊本の親善大使を務めた。
・デビュー40周年カレンダー&フォトブックで40年ぶりにビキニ姿を披露(=20年発売)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在