■宇崎竜童(うざき りゅうどう)
□肩書き
歌手 俳優 作曲家 音楽プロデューサー
□所属
ダウンタウンブギウギバンド(73年〜81年)
竜童組
□本名
木村修史
□生年
1946(昭和21)02.23(魚座/O型)
□出身地
京都府京都市→東京都渋谷区代々木上原
□出身校
渋谷区立上原小学校
明治大学付属中野中学校
明治大学付属中野高校
明治大学法学部法律学科卒業
□略歴(満年齢)
73年(26歳)ダウンタウンブギウギバンドを結成(→81年解散)。
75年(28歳)「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がヒット。
84年(37歳)映画「上海バンスキング」主演。
※他の主な出演:
映画 「駅 STATION」「曾根崎心中」「任侠ヘルパー」
ドラマ「阿修羅のごとく」「北条時宗」「非婚家族」
CM 「トヨタ ハイエースレジアス」「サッポロビール ドラフトワン」
□趣味
映画観賞 陶芸 ボクシング観戦 キャンプ
バイク スキューバダイビング ウィンドサーフィン ヨット
□特技
ギター トランペット
□特記事項
・妻は阿木燿子
■宇崎竜童
□幼少時代〜
・父親は船舶関係の会社を経営。元外国航路の船員(機関長)。
・8人兄弟の末っ子。姉が2人いる。
・豪邸に住んでいた。運転手付きの自家用車があった。
・3歳の時、姉にふざけて電柱に縛り付けられ、犬にズボンを引きずり降ろされた。
それがトラウマになってその後しばらく姉に「犬」と言われると泣いていた。
・父親の躾はとても厳しかった。
・泣き虫の甘えん坊だった。
母親か姉に幼稚園の送り迎えをして貰っていた。
・子供の頃から低いかすれた声だった。
子供のキーで歌えなかったので音楽の成績は1だった。
声変わりをしないまま大人になった。
・子供の頃、毎週有楽町の映画館に連れて行って貰った。
西部劇が大好きだった。
・音楽を聴き始めた頃、エルヴィス・プレスリーやカントリー&ウエスタンに熱中。
・小学校時代、6年間クラス替えがなかった。
・小学校時代、学級委員長。
・小学校時代、声が低かったので子供用のキーで歌えず、音楽の成績は「1」だった。
・小学校時代、渋谷区主催の絵画コンクールで入賞。
・中学校・高校は男子校。
・中3まで代々木上原まで住んでいた。
近所に大きな森や沼が残っていた(ザリガニを採って遊んだ)。
・中学・高校時代、ブラスバンド部。トランペットを担当。
運動会や卒業式で立っているのが嫌だったのでブラスバンド部を選んだ。
・中学時代、映画をたくさん観た。
製作年・監督・出演者などを細かくノートにつけていた。
将来映画評論家になりたいと思っていた。
・中3の時、父親の会社が倒産して豪邸から小さな家に引っ越した。
引っ越しの際にそれまで集めた大量の映画パンフレットを親が勝手に処分。
・高校時代、仲間とバンドを結成。
・中学校・高校は男子校。女の子に全然縁がなかった。
・学生時代、運動が大嫌いだった。
・学生時代、ノートに何かを書くのが好きだった。
テスト前夜にノートを明け方まで清書した。
・大学時代、軽音楽部。
ジャズバンドでトランペットを担当。
・大学時代、アルバイトで購入した中古のエレキギターで4年間で約400曲を作曲。
何の根拠もなしに「絶対に売れるプロの作曲家になれる」と思っていた。
自分で書く詞はワンパターンなので親や知人に書いて貰った(その中に妻がいた)。
・大学時代、土曜日にオールナイトで映画を観た。
・大学4年の時、デザイナー養成の塾に通った。
■宇崎竜童
□私生活
・好物…中トロの握り。坦々麺。
大福もち。明治の板チョコ。和菓子。甘いもの。
・1日4〜5回おやつを食べる。
・食事は1日2回(朝と夜)。
・外食時も20種類以上の食材を食べるように心掛けている。
・酒はほとんど飲めない。ビール3㎝でいい気分になる。
酒を飲む人と一緒にいるのは好き。
ウーロン茶で盛り上がって朝までハシゴする事がある。
・何度も禁煙に挑戦して何度も失敗。
・健康法…日田天領水(大分から取り寄せる)。
・持病…首から肩の神経麻痺(ロック歌手の職業病)。
・小腸を切除する緊急手術を受けた(=22年)。
・血糊が爆発するシーンの撮影で耳栓を付け忘れて両耳が難聴になった(30代半ば)。
高性能の補聴器を愛用。ライブでバンドの音を控えめに設定。
野外フェスなどで共演する時に他のバンドの大音量で不調になる。
・野良猫に目のあたりをひっかかれて目頭から紐のようなものが出てきた事がある。
・3:00に寝て10:00に起きるのが基本パターン。
・機械類の操作が苦手。
携帯電話の留守番電話の設定ができない。
ビデオの留守録画が10回のうち2回しか成功しない。
妻も機械類の操作が苦手。
・結婚後25年間は一切家事をしなかったがだんだんやるようになった。
猫のトイレの世話、夕食後の皿洗い、ゴミの分別&ゴミ出しなどをやる。
ゴミの分別を間違えて何度も妻に怒られた。
・映画が大好き。一番観ていた時期は1年間で約300本観た。
・関連本を買い込んで黒澤明監督作品を研究した事がある。
音楽の使い方に関する指示をノートに書き写した(後に映画音楽をやる時に役立った)。
・雑誌を見て気になった服、靴、小物などの記事をスクラップする。
・自宅のガレージにエルビス・プレスリーに関する品々を飾ってある。
・アジア雑貨が好き。
・ネイティブアメリカンが好き。さまざまなグッズを多数持っている。
テレビの企画で一緒に生活して「カミナリと一緒に歩く男」という名前を付けて貰った。
・ペット…猫3匹(名前は青山ササミ、赤坂トロロ、赤坂オボロ)。
猫が大好き。猫の事を考えると早く家に帰りたくなる。
猫に話しかける時は猫なで声になってしまう。
猫のパンチが目に入って眼球を怪我した事がある。
・住んでいる所…東京都港区赤坂(一軒家、02年にリフォーム=03.09現在)。
・自宅に夫婦各々の仕事部屋がある。
・いきつけ…
「ルイ プリマ」(赤坂、ビーフカツレツ=22.08現在)。
中華「涵梅舫」(赤坂、北京宮廷料理)。
・35歳の時にクルマの免許、30代後半でバイクの免許を取得。
ダウンタウンブギウギバンドの全盛時代は自転車に乗っていた。
・スポーツが嫌い。
高い会費のスポーツクラブに入会したが5年間で一度も行っていない(=02.11現在)。
・何をやっても4〜5年で飽きる。
・「坂」に興味関心がある。
・方向音痴。
・年に数回国内外にキャンプに行く。釣りやカヌーで遊ぶ。
・6人乗りのヨットを仲間と共同で購入。
・妻(阿木)は初めて交際した女性。
明治大学軽音楽部の勧誘で初めて見た時に「僕の妻が歩いて来る」と感じた。
・3回目のデートで「君は僕と結婚する事になってますのでよろしく」とプロポーズ、
その後8年間口説き続けて結婚した。
・新婚旅行で屋久島に行った。
・夫婦の会話が多い。毎日夜中まで話をする。
・夫婦ともメカに弱い。
携帯電話の留守番電話の設定ができない。
ビデオの留守録画が5回に1回程度しか成功しない。
・映画観賞は夫婦共通の趣味。
・妻は料理が得意。
カロリーやバランスに配慮した野菜中心の惣菜を1日に7品以上作ってくれる。
3:00に寝ても7:00に起きて朝食を作ってくれる。
小鉢がたくさん並ぶ食卓を「家庭懐石」と呼ぶ。
■宇崎竜童
□人間関係
・うじきつよし…友人。宇崎がスカウトしてプロデビュー。
・時任三郎…友人。
・西沢ヨシノリ(プロボクサー)…友人。試合を観に行く。
・内田裕也…芸能界の兄貴分。
内田から電話が来るとすぐに駆け付ける時期が7〜8年間あった。
・根津甚八…バイク仲間。
・風間深志…バイクの師匠。
・松崎しげる…松崎が組んでいたバンド「ミルク」のマネージャーを宇崎が担当。
・所ジョージ…デビュー前に宇崎の前座をやっていた。
芸名「所ジョージ」は宇崎の命名。
・篠原ともえ…ユニット・篠龍でCD「キャラだもん」をリリース(=01年)。
・水谷豊…ジョイントライブを開催(=11年)。
・柳ジョージ、坂本冬美…ジョイントコンサートを開催。
・ヒロミ…ヒロミがテレビの企画で作ったバンドに曲を提供。
・山口百恵…阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲で約70曲を山口に提供。
「横須賀ストーリー」「イミテーション・ゴールド」「美・サイレント」「プレイバックpart2」など。
「プレイバックpart2」はプレス工場の都合で一晩で作った。
・内藤やす子…「想い出ぼろぼろ」で日本レコード大賞作曲賞。
・研ナオコ…「愚図」を作曲。
・高田みずえ…「硝子坂」を作曲。
・鈴木雅之…よく間違えられる。
・高倉健…憧れている芸能人。映画「駅 STATION」で共演。
・いしだあゆみ…宇崎の大ファン。
・薬丸裕英…ダウンタウンブギウギバンドのファン(レコードを多数所有)。
シブがき隊のアルバムの宇崎が曲を提供。
・阿木燿子…作詞家。71.12.10結婚。明治大学軽音楽部の同期。
■宇崎竜童
□エピソードなど
・大学卒業後、商品取引会社・内田洋行に就職(1ヵ月で辞職)。
・「宇崎竜童」という芸名は阿木と一緒に易者につけて貰った。
・義兄がやっていた音楽プロダクション(大橋プロダクション)に4年在籍。
裏方として新人歌手のスカウト、著作権の管理、ブルーコメッツの付き人、
松崎しげるのロックバンド・ミルクのマネージャーなどを担当。
・ミルクのマネージャー時代:
R&Bの曲をやる時は松崎しげるに呼びこまれてステージに上がってトランペットを吹いた。
バンド名のミルクは宇崎の命名(夏は「アイスミルク」、冬は「ホットミルク」と称していた)。
・マネージャー時代から自作の曲をあちこちに売り込んでいた。
・大橋プロダクションを退社後、横浜本牧のクラブで弾き語り。
・ダウンタウンブギウギバンドを結成に際して、
何の根拠もなく「絶対に有名にしてやるから」といってメンバーを集めた。
・ダウンタウンブギウギバンドとしてデパートの屋上のショーや熱海のホテルの金粉ショーに出演。
・ダウンタウンブギウギバンドはサングラス、リーゼント、つなぎの作業着がトレードマーク。
当初はタキシードを着ていたがお金がなくて1着しか作れず、痛んできたのでつなぎに変えた。
・ダウンタウンブギウギバンドのコンサートの客は暴走族が多かった。
ステージに向けてタバコや爆竹が飛んで来た。
ステージに勝手に登ってきて踊る客、緞帳に火をつける客がいた。
・ダウンタウンブギウギバンド時代、不良キャラを演じていた。
常にサングラスをかけてた。先輩歌手に挨拶をしなかった。
・「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は男性口調の歌詞だった為、
本当は宇崎が書いたのを税金対策で阿木名義と疑われた。
・映画「トラック野郎」の主題歌「一番星ブルース」を作曲。
・映画「社葬」で日本アカデミー賞音楽賞を受賞(=89年)。
・11人編成のバンド・竜童組を結成(=84年)。
和太鼓を使った和風ロックに取り組んだ。
日本のロックバンドとして初の中国公演。
・映画「魚からダイオキシン!」を監督(=91年)。
・トーク番組「アバウト30/50」の司会を務めた。
・東京23区の各区をまわる「23区ライブ」を開催(=96年)。
・年齢にちなんでギター1本で東海道五十三次弾き語りツアーを開催(=99年)。
東京の日本橋でスタートして約3ヵ月後に京都の三条大橋で終了、
通常のホールほかストリートや能楽堂や江戸時代の本陣跡などで歌った。
・一晩で一気に作った曲の方が良い曲が多い。
・若い頃は詞先だったが妻の要望で90年代から曲先になった。
・作曲した曲を妻にダメ出しして貰う。意見が食い違った時は妻に従う。
過去作や現存する曲から無意識にメロディを借りて作った曲はOKが出ない。
OKが出るまでに15曲作った事がある。
・デビュー以来1週間以上の休みをとったことがない。
・若い頃から毎日最低1曲は作曲する。
・曲作りの幅をレゲエ、ラテンにまで広げた時期もあった。
・赤坂にスタジオ、事務所、ミーティングルームが入っているビルを持っている。
・歌詞を覚えられないので営業の時は看板の裏がそのままアンチョコになっている。
・アムネスティー支援コンサート、山梨県で自然塾を開催などの社会活動をやっている。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=03年)。
・自作の絵と詩をコンサート会場で販売して売り上げを寄付。
・飼い猫のパンチが目に入って眼球に怪我をした事がある。
・赤坂のフレンチレストラン「november-eleventh」を夫婦で経営(=11.11現在)。
おすすめメニューはキャベツステーキ(=03.08現在)。
・舞台「Ay曾根崎心中」を01年からほぼ毎年公演。
「曾根崎心中」をフラメンコと和楽器で表現する官能的な作品。
阿木が作詞とプロデュース、宇崎が音楽監督と作曲を担当。
・作曲総数は歌が約4000曲、映画や演劇用の音楽を加えると10000曲以上(=19年現在)。
・著書…「ブギウギ脱どん底ストーリー」「あいつの言葉の杜切れ間に」。
凡例:20.01現在=2020年1月現在
関連人物:阿木燿子