太田雄貴
■太田雄貴(おおた ゆうき)
□肩書き
フェンシング選手(16年引退)
日本フェンシング協会会長
□本名
太田雄貴
□生年
1985(昭和60)11.25(射手座/O型)
□出身地
滋賀県大津市
□出身校
平安高校
同志社大学商学部卒業
□略歴
04年(19歳)アテネ五輪出場。
08年(23歳)北京五輪銀メダル。
15年(30歳)世界選手権優勝。
16年(31歳)リオ五輪出場。
※主な出演:
テレビ「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」「田舎に泊まろう!」
□趣味
音楽観賞 マンガ 食べ歩き
□サイズ
171㎝
□特記事項
・妻は笹川友里
・北京五輪銀メダル
・世界選手権優勝(史上初)
■太田雄貴
□幼少時代〜
・父親は小学校教師。
・母親は教師。
・父親は高校時代にフェンシングをやっていた。
・兄と姉がいる。
・比叡山中腹(京都と滋賀県の県境)の標高400mのニュータウンに住んでいた。
・習い事…習字。そろばん。ピアノ。英会話。体操。マラソン。水泳。スキー。
・毎日父親が食事を作ってくれた。
・小3の時、父親に「スーパーファミコンを買ってやる」と言われてフェンシングをはじめた。
父親がフェンシングをやっていた。兄と姉もやらされていたがすぐにやめた。
自宅の居間で父親にマンツーマンで指導されて毎日練習した。
・小5の時、自転車で2日かけて琵琶湖を一周した。
・小学校〜中学時代、フェンシングの全国大会で優勝。
・高校時代、インターハイ3連覇(史上初)。
・高2の時、史上最年少で全日本選手権優勝。
・中学〜高校時代、試合による公欠以外は無遅刻無欠席だった。
・中学〜高校時代、好きな学科は英語と体育だった。
・大学時代、1年2年4年でインカレ優勝。
■太田雄貴
□私生活
・好物…バッテラ。麺類。うどん。クラムチャウダー。ゴーヤチャンプル。生春巻き。
焼肉。酢豚。レバ刺し。数の子。このわた。チーズケーキ。
・嫌いな食べ物…ホルモン。ちくわぶ。漬物。梅干し。
・酒が好き。好きな酒はビール。ひとりでは酒を飲まない。
・ラジオが好き。
・好きなマンガ…松本大洋「ピンポン」。
・好きなテレビゲーム…「ドラゴンクエスト」。
・掃除、整理整頓が苦手。
・阪神ファン。
・座右の銘…継続は力なり。
・北京五輪の銀メダルを常にカバンにいれて持ち歩いている。
出会った人に頼まれると見せてあげる。
・実家の家のまわりに父親が作ったディズニーキャラクターのステンドグラスがある。
■太田雄貴
□人間関係
・渡部建…友人。よく一緒に食事。
・山添寛(相席スタート)…友人。小学校の同級生(家が隣)。
・田中浩康(野球選手)…友人。
・オレグ・マツェイチュク…北京五輪時のコーチ。元ウクライナ代表。
・市ケ谷廣輝…全日本選手権決勝の相手。
小学校時代から市ケ谷の指導を受けていた。
・竹内智一…平安高校フェンシング部顧問。
・田淵和彦…同志社大学フェンシング部監督。
・ユースケ・サンタマリア、津田篤宏(ダイアン)、内田有紀、優香
…フェンシング部出身。
・笹川友里(TBSアナウンサー)…17.12.01結婚。
・子供:
第1子…19.06.28発表。
■太田雄貴
□エピソードなど
・日本フェンシング史上最年少の代表選手としてアテネ五輪に出場。
・大学卒業後、フェンシングの練習に専念する為に就職も進学もしなかった。
・「京都クラブ」に所属する選手は太田1人だけ。
・8歳でフェンシングを始めた日から06年3月まで約12年間1日も休まずに練習した。
04年5月に左足首の靭帯を断裂した時も練習を休まなかった。
・北京五輪に向けた日本協会の500日合宿に参加(=07年2月〜)。
都内で初めてのひとり暮らしをして毎日9:00から21:00まで練習した。
遊ぶヒマもお金もなかったのでひらすら練習に没頭した。
・北京五輪に向けて出国する時に空港にいた記者の数は2人だけだった。
帰国した時に空港にいた記者の数は200人。
・試合の結果と内容をほぼ完璧に覚えている(小学校時代から)。
友人の試合の結果も覚えている。
・北京五輪で日本フェンシング史上初のメダルを獲得した。
・「ニートの銀メダリスト」と呼ばれた。
・フェンシングをメジャー競技にしたいと思っている。
・森永製菓に入社(健康事業本部ウイダー事業部に配属=08年)。
入社報告記者会見で感極まって涙を流した。
・2020年東京五輪招致アンバサダー。
・日本フェンシング協会会長に就任(=17年)。
・IOC選手委員に当選(=21年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在