■大月みやこ(おおつき みやこ)
□肩書き
歌手
□本名
脇田節子
□生年
1946(昭和21)04.23(牡牛座/A型)
□出身地
大阪府八尾市
□出身校
八尾市立久宝寺小学校
八尾市立久宝寺中学校
大阪府立八尾高校
□略歴(満年齢)
64年(18歳)「母恋三味線」でデビュー。
86年(40歳)紅白歌合戦に初出場。
92年(46歳)「白い海峡」で日本レコード大賞。
※他の主なシングル:
「女の港」「恋ものがたり」「花しずく」
□趣味
クルマ
□特技
ゴルフ
□特記事項
・日本レコード大賞(92年「白い海峡」)
■大月みやこ
□幼少時代〜
・父親はサラリーマン。
・母親は専業主婦。
・ひとりっ子。
・子供の頃、内気で引っ込み思案だった。
・日舞を習っていた。
・小2の時から音楽教室に週3回通った。
童謡を3年間、歌謡曲を11年間習った。
歌手になりたいという気持ちはなく、先生が怖かったので続けていた。
・中2の時、初期の結核と診断されて運動と歌を禁止された。
・高校は府下有数の進学校。
■大月みやこ
□私生活
・好物…寿司。そば。
魚(大好物、あっさりした白身魚が好き、刺身・干物)。
イカ刺し。枝豆。
・酒が大好き。
好きな酒はビール(自宅に生ビール用サーバー、自宅にビール専用の冷蔵庫2台)。
自宅に居酒屋の個室風の部屋がある(しょっちゅうスタッフを呼んで飲む)。
・着物を多数所有。
・体を動かすのが好き。
・収集…グラス。
・ペット…犬3匹(名前はやっこ、みみ、ここ=03.05現在)。
・24歳の時に都内に一戸建ての家を購入(毎日家計簿をつけて貯金した)。
・自宅の庭は日本庭園風。本霧島(ツツジ科)を自分で植えた。
・いきつけ…「美登利寿司」(世田谷区梅丘=20.08現在)。
・ラーメン屋に行った事がない(ラーメンを食べた事がない=11.05現在)。
・若い頃にスポーツカーに乗っていた。
・ゴルフが好き。ベストスコア79。
ホールインワンを出した事がある。
第1回芸能人ゴルフ大会に出場。
芸能人ゴルフ大会女子の部優勝経験あり。
・時刻表で乗り換えを調べるのが好き。
・父親が他界後、母親と祖母の生活を支えた。
・母親が付き人をしてくれた。
・脳溢血で倒れた母親を自宅で介護した。
・ツアーの最中に母親が他界(=97年)。
・大勢でワイワイ騒ぐのが大好き。
スタッフを呼んでよくホームパーティーをする。
・温泉で芸者を呼んで遊ぶのが大好き。
・しつこく迫ってくる男性が苦手。
■大月みやこ
□人間関係
・小林幸子…「結婚しない会」の仲間。
・内海好江…酒の飲み方など遊び方を教えて貰った。
・小金沢昇司…デュエット曲「東京しのび逢い」をリリース(=99年)。
・春日八郎、三橋美智也…新人の頃に春日や三橋の前座で歌った。
・山田太郎…所属事務所・新栄プロの社長。
■大月みやこ
□エピソードなど
・高2の時、歌謡教室の先生の推薦で出場したテレビの勝ち抜き歌合戦で7週勝ち抜き。
・歌謡教室の先生が無断でレコード会社にテープを送り、
東京見物のつもりで受けたオーディションに合格してデビュー。
・芸名の由来…大阪の有名レコード店「大月楽器」と「ミヤコレコード」から命名。
・キングレコード専属歌手としてデビュー。
・新人時代、仕事がない時は毎日所属のレコード会社に「出社」した。
レコード会社に売り込みに来た若い作曲家の作品を参考の為に歌った。
・デビュー後3年間で24枚のシングルをリリースしたがヒットしなかった。
・神社の夏祭りでムシロが敷かれた砂場で裸電球1個の照明で歌った。
・「豊予海峡」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞(=87年)。
・デビュー17年目、116曲目で初めて曲がヒットした(「別れてひとり」)。
・デビュー22年目の紅白初出場は当時の最長記録。
・ブレス(息つぎ)の音を出さないで歌う方法を研究して身につけた
(息を吸う前にあらかじめお腹をふくらませておく)。
・「語る」ように歌えるようになる為にに芝居やシャンソンに挑戦。
・どの音階のどの音も裏声で出す事ができる。
裏声を駆使して歌うので「大月みやこの歌は難しい」とよく言われる。
・ディレクターの「5歳若く歌って下さい」という注文にすぐ応じられる。
・舞台「近松物語」で芸術祭賞(=92年)。
・英語の歌詞が入ったポップソング「愛いつまでも」をリリース(=98年)。
・ファイバースコープで声帯の写真を撮って喉の調子をチェックする。
白っぽいピンクが正常、赤く充血していると要注意。
・自宅を「素顔が一番」で公開(=04年6月12日放送分)。
・全国各地の老人ホームなどでボランティアらでチャリティーコンサート。
・紅白歌合戦に10回出場。
・春の叙勲で旭日小綬章を受章(=17年)。
・国立劇場大劇場でソロ公演を行う予定(=20.09.11)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在