■大仁田厚(おおにた あつし)
□肩書き
プロレスラー タレント 俳優 政治家
□本名
大仁田厚
□生年
1957(昭和32)10.25(蠍座/A型)
□出身地
長崎県長崎市
□出身校
長崎市立桜馬中学校
駿台学園高校(定時制)
明治大学経済学部経済学科
□略歴
73年(16歳)全日本プロレスに入門。
89年(32歳)プロレス団体FMWを旗揚げ。
01年(44歳)参院挙に自民党比例区にから立候補して当選。
※主な出演:
映画 「ダンカン教師」「ソクラテス」「モスラ3」
ドラマ「秀吉」「ひと夏のプロポーズ」「私の青空」
テレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」「ぶらり途中下車の旅」「ここがヘンだよ日本人」
CM 「山之内製薬 マキロン」
□趣味
料理 映画観賞 アウトドア 釣り スキューバダイビング
□資格
ホームヘルパー2級 普通自動車免許 船舶免許
□サイズ
181㎝
■大仁田厚
□幼少時代〜
・実家は100年続いた「大仁田風呂敷店」(祖父が創業)。
・へその緒が首に巻ついて仮死状態で生まれた。
・生まれた時の体重は4700グラム。
・妹がいる。
・父親は身体が大きくて力が強かった。
中学卒業の頃まではケンカをしても全然かなわなかった。
・家は超裕福だった。
家の敷地面積は1880坪(裏山を入れると3万坪)。
門から建屋まで徒歩10分。お手伝いさんが7人いた。
庭でカップルがデートをしている事があった。
・子供の頃、おとなしい泣き虫だった。絵を描くのが好きだった。
ケンカをした事がほとんどなかった。
・子供の頃、蝶ネクタイをして外食してマナーを仕込まれた。
・小学校時代、少年合唱団でソプラノを担当。
・小学校時代、運動は全部苦手だった(体育の成績は1か2)。
・小学校時代、学校を休んで泊まり掛けで釣りに行った。
・小3の時、両親が離婚して父親に引き取られた。
・小3から小6まで東京に住んでいた。
・中学時代、野球部。
・中学時代、自作した大リーグボール養成ギブス、自作したバーベル、
通販で買った鉄ゲタで体を鍛えた。
※大リーグボール養成ギブスは「巨人の星」、鉄ゲタは「柔道一直線」の影響
・中学時代、学校をシキって番長制度を廃止した。
・中学時代、カーペンターズの曲をよく聞いていた。
・高校は3日で自主退学した。
・高校中退後、徒歩で日本一周に挑戦。
県庁所在地でスタンプを押して貰いながら1日60㎞歩いた。
神戸で所持金がなくなって梱包のアルバイト。
神戸から実家に電話すると実家が火事で全焼していたので途中でやめて帰った。
「アドベンチャー少年」として新聞に掲載された(「スポニチ」73年4月6日号)。
■大仁田厚
□私生活
・好物…吉野屋の牛丼。ラーメン。カツカレー。ハンバーグ。チャンジャ。
ピータン。きんぴらごぼう。アップルパイ。
・嫌いな食べ物…なめこ。
・得意料理…手打ちうどん。パン(粉から練って焼く)。パスタ。
・酒は一滴も飲めない。
・2年間で50㎏のダイエットに成功(127㎏→77㎏=06年〜08年)。
・健康法…ウコン、ドクダミ、センブリのドリンク(物凄く苦い)。
・湯舟につかるのが苦手(子供の頃に湯舟につかると蕁麻疹が出たトラウマ)。
・髪の毛が伸びるのが早い。
・怖がり。お化け屋敷が苦手。
・好きな映画監督…リュック・ベッソン。
・ペット…犬(シェットランドシープドッグ、名前はアッシー)。
・住んでいる所…東京都品川区西五反田(4階建てのビル、1階と2階は母親がオーナーの店、
3階は妹の住居兼オフィス、4階が自宅、露天風呂と屋上庭園がある=08.10現在)。
屋上庭園でライム、レモン、キウイなどを栽培。
・いきつけ…ラーメン屋「龍王」(台東区松が谷)。
・ベントレー、ベンツ、ボルボを乗り継いだ。
・体に鉄板とワイヤーが入っているので空港の金属探知機に必ず反応する。
・寂しがり屋で電話魔。月の電話代が数万円になった事がある。
・40歳を過ぎてから高校に通い直した(駿台学園高校定時制)。
制服(ブレザー、ネクタイ)をで登校。習字の時間に「邪道」と書いた。
中間テストの政治経済で満点。遅刻して熱血教師に殴られた。
沖縄の修学旅行に参加、宿舎でプロレスごっこをやった。
クラスメートと一緒に日本テレビ「全国高等学校クイズ選手権」の関東予選に出場。
卒業式で泣いている同級生につられて泣いてしまった。
※エッセイ集「高校生日記」を出版
・母親が老人介護施設で料理長をしている(=14.09現在)。
・15歳の時、全日本プロレスの遠征先の沖縄でセックスを初体験。
挿入して30秒でフィニッシュして何が何だかよく判らなかった。
・9年間同居の愛人と選挙の為に別れたと報じられた(=01年)。
■大仁田厚
□人間関係
・大槻ケンヂ…友人。大槻はプロレスファン。
・朝丘雪路…友人。
・吉村明宏、桑野信義、田中義剛、森末慎二、栗田貫一
…「昭和32年会」の仲間。
・原口一博…親交がある。原口の選挙応援をした。
・森裕子…政治仲間。党派を超えて互いに選挙応援。
03年にイラク関連法案の強行採決でもみあいになったが、後に森の政治姿勢に賛同。
・中島啓江、田中昌之…ユニットを組んで「この胸おいで…」をリリース(=99年)。
・ジャイアント馬場…入門当時馬場の付き人をしていた。トイレでウンコを拭いてあげた。
初めて馬場に会った時に大きすぎて塗り壁かと思った。
・上島竜兵…大仁田のモノマネをする。
・滝沢秀明…FMWの大ファン。大仁田の追っかけをしていた。
本気でプロレスラーをめざしていたが体が小さかったのであきらめた。
・森脇和成…大仁田のファン。
・渡哲也、松井秀喜…憧れている人。
・妻…?年結婚。長期間別居生活。離婚訴訟中(=04.06現在)。
・子供:
長男…高校生(=04.06現在)。
■大仁田厚
□エピソードなど
・全日本プロレスの練習生第1号として全日本プロレスに入団(=73年)。
・新人時代、ボディスラムをされた瞬間に鼻からお昼に食べたスパゲティが飛び出た。
・修業時代、ヨーロッパとアメリカをひとりで約6年間廻った。
プロモーターへの売り込みやギャラ交渉を全部自分でやった。
・NWAジュニアヘビー級タイトルを獲得(=82年)。
・ヘクター・ゲレロとの防衛戦でリングから転落して左膝を粉砕骨折(=83年)。
この負傷を理由にプロレス引退を宣言して全日本プロレスを退団。
・不動産投資による利益がピーク時に4億円あった(その後失敗)。
・生活費を稼ぐ為に工事現場の肉体労働やデパートの宅配をした。
全財産が350円という日があった。
・FMWを旗揚げした時の資本金は5万円。
友人から3万円借金をして電話をひいた。
・FMW旗揚げ当初は観客が数人しかいなかった。
・FMW時代、数々の「邪道」なデスマッチで名を馳せた。
ストリートファイトタッグマッチ(=89年)
ノーリングマッチ(=90年)
ノーピープルノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ(観客なし=92年)
フャイヤーデスマッチ(ロープが燃えていてリング上は酸欠状態=92年)
監獄リング時限爆破デスマッチ(15分後にリングが自動的に爆発=93年)
水上機雷爆破タッグマッチ(水上に浮かんだリングから水面に落ちると爆発=94年)
4000万円争奪バトルロイヤル(=95年)
※膝の怪我で正統派のプロレスは出来なかった
・MAX年収は約1億7000万円(30代前半)。
・傷口から菌が入って急性肺炎、敗血症、腎不全などを併発して38日間入院(=93年)。
8日間昏睡の危篤状態だった。
報道を控えようとしたマネージャーに血圧計を投げつけて
「たとえ死んでも俺は商品なんだからパブリシティーしなきゃ駄目だ」と怒った。
・体中にプロレスの傷がある。
傷が1000針を突破して「1000針突破パーティー」を開催(=94年)。
「世界一傷が多い人」としてギネスブックに掲載された。
開いた傷口を瞬間接着剤で止血した事がある。
麻酔をかけずに傷口を縫った事が何度かある。
・試合後の泣きながらのマイクパフォーマンスにより「涙のカリスマ」の異名を取った。
・決め台詞は「ファイヤー!」。
・エイズ撲滅フォーラムに参加。
・映画「ソクラテス」に主演(=97年)。
・小説「村にヤクザがやってきた」を出版(=97年)。
・FMWの選手4人と結成したユニット・なんじゃ!で「ロンリーバス」をリリース(=98年)。
・映画「ダンカン教師」に主演(=95年)。
・エッセイ集「オレはマザコン」を出版(=95年)。
・法務省の広報ビデオ「オヤジのひとこと」に出演(=01年)。
・詰め襟の学生服姿で国会に初登院(=01年)。
・アフガニスタンで復興支援プロレス興行を開催(=02年)。
・国会議員として文教委員会に所属。
・毋・巾江、妹・恵子、甥・良が「あんグラ」に出演(=04年3月10日放送分)。
・大仁田バンドとしてシングル「もうひとつの土曜日」をリリース(=05年)。
浜田省吾の曲のカバー。名付け親の小泉純一郎に毛筆でバンド名を書いて貰った。
・自宅を「2時っチャオ」で公開(=08年10月10日放送分)。
・長崎知事選に立候補(落選=10年)。
・神埼市挑選に立候補(落選=18年)。
凡例:18.01現在=2018年1月現在