■古田敦也(ふるた あつや)
□肩書き
野球選手(07年引退)
野球指導者
野球解説者
□所属
ヤクルト(89年〜07年)
□本名
古田敦也
□生年
1965(昭和40)08.06(獅子座/B型)
□出身地
兵庫県川西市
□出身校
川西市立加茂小学校
宝塚市立南ひばりガ丘中学校
兵庫県立川西明峰高校
立命館大学経営学部卒業
□略歴(満年齢)
89年(24歳)ドラフト2位でヤクルトに入団。
05年(40歳)大学・社会人を経た選手として史上初の2000安打。
06年(41歳)プレイングマネージャーに就任。
※入団、就任、引退は野球シーズン年度
※現役時代の通算成績:
2008試合、2097安打、.294、217本、1009打点
※主なタイトル・表彰:
首位打者1回、最多安打1回、MVP2回、ゴールデングラブ賞10回
※主な出演:
テレビ「すぽると!」「サンデーLIVE!」
□趣味
読書 パソコン 格闘技観戦 スキー
□特技
将棋アマ3段
□サイズ
180㎝ 80㎏
□特記事項
・妻は中井美穂
・捕手として首位打者(セリーグ史上初)
・オールスターでサイクルヒット(史上初)
・プレイングマネージャー
・通算守備率.997(捕手歴代1位)
■古田敦也
□幼少時代〜
・父親は宇部興産→いすゞ自動車。
・母親も働いていた。
・兄と妹がいる。
・自然が豊かな住宅街で育った。
・家は裕福ではなかった。
・両親が共働きだったのでお腹が空くと妹と一緒に簡単な料理をした。
・小3の時、少年野球チーム「加茂ブレーズス」に入団。
・小学校時代、将来プロ野球選手になりたいと思っていた。
父親に「僕にお金をつぎこんでも絶対損せえへん。
1億円持って巨人が向かえに来るから」と言っていた。
・中学時代、成績優秀だった。
・高3の時、親に買って貰ったコンタクトレンズを1週間で紛失、
親に言い出せなくて約半年間コンタクトを使っているふりをしていた。
・一般入試で立命館大学と関西大学に合格。
・入学を断るつもりで出向いた立命館大学で監督から歓待され、
先輩に京都の街に連れ出され、立命館大学野球部で野球を続ける事にした。
・大学時代、アルバイトをかけもちしてお金を溜めてクルマを買った。
買ったクルマは中古のジェミニ(30万円)。
■古田敦也
□私生活
・足りない栄養はサプリメントで補う。
・よく扁桃腺が腫れて高熱が出る。41.8℃の熱が出た事がある。
・持病の痛風の予防の為に月に1回血液検査をする。
・好きな作家…松下幸之助。盛田昭夫。
・好きなマンガ…「20世紀少年」。
・好きなアニメ…「名探偵コナン」が大好き(ビデオに録画)。
・好きな映画…「ユージュアル・サスペクツ」。
・通販で浄水器、電動ハブラシ、タンスなどを購入。
・オリンピックが大好き。
・メガネを多数所有。毎年最低1個購入。
シチュエーションによって使い分ける。
アイメトリクス社の特注眼鏡を愛用(重さは10円玉1枚分)。
乱視が強いのでコンタクトレンズ使用は考えた事がない。
・ジャガールクルトの腕時計を愛用(値段は200万円)。
・Tシャツ、ポロシャツ、コットンパンツ、チノパンツなどラフで楽な服が好き。
・愛車はセルシオ(=03年現在)。
・富士山に登頂して山頂で走り高跳びをやった事がある。
・乗っていた飛行機が悪天候で大揺れに揺れて、
いったん着陸しかけたが揺れながら急上昇、
これは落ちると思って手帳に妻あての遺書を書いた事がある。
・車場荒らしにクルマの中に置いてあった殆ど何も入っていないバッグを盗まれた。
壊されたドアの修理代が50万円かかった。
・妻と取材と通じて知り合った。最初は飲み仲間のひとりだった。
・友人と外食をしてそろそろ帰りたいが話が盛り上がっている時は
妻に「そろそろしめて」とメモを書いて見せる(見事にしめてくれる)。
・結婚当初の妻は料理が全然出来なかった。
料理本の「軽く◯◯する」「適当な大きさに」の「軽く」「適当な」に悩んでいた。
インスタント焼きそばを作るのにも失敗した事があった。
・夫婦喧嘩はしない。
■古田敦也
□人間関係
・高津臣吾…家族ぐるみのつきあい。
・石井一久&木佐彩子…家族ぐるみのつきあい。
・中山雅史&生田智子…家族ぐるみのつきあい。
・神田うの…友人。古田を王様、中井美穂をおきさきと呼ぶ。
・野茂英雄、新庄剛志…同期入団。
野茂とロサンゼルス五輪でバッテリーを組んだ。
・長谷川滋利、石井一久、高津臣吾…オフに一緒に自主トレ。
・落合博満…91年に首位打者のタイトルを争った。
・野村克也…プロ入団時の監督。
入団時に野村の著書を4冊読んだ。
元捕手の野村にID野球を徹底的に教え込まれた。
味方の攻撃中は野村のすぐ前がベンチの定位置で常に耳元で野村のぼやきを聞かされた。
現役時代に作った「野村ノート」をずっと保管している。
・高木美保、深浦加奈子、曲山えり…古田のファン。
・小泉今日子…憧れている芸能人(高校時代から大ファン)。
・大木凡人…いとこ。
・中村あずさ、南野陽子…交際を噂された。
・(テレ朝アナウンサー)…交際を噂された。
・中井美穂…95.12.10目黒サレジオ教会で挙式。
「中井さん」「古田くん」と呼びあう。
■古田敦也
□エピソードなど①
・ロサンゼルス五輪に正捕手として5試合に出場、打率.353で銀メダル獲得に貢献。
・大学4年の時、メガネ使用がネックでドラフト指名されず、
「意地でもプロになってやる」と思った。
・トヨタ自動車の社会人時代、新人研修で3ヵ月毎日一般家庭に飛び込み営業をした。
10日で嫌気がさして喫茶店でさぼって「ゴルゴ13」を読破した。
600人の同期の中でひとりだけ1台も売れなかった。
・ソウル五輪に正捕手として出場、銀メダル獲得に貢献。
・新人時代の愛称は「のび太」。
・91年オールスター第1戦で1試合3盗塁刺の新記録。
・セリーグ初の捕手で首位打者(=91年)。
・92年オールスター第2戦でオールスター史上初のサイクルヒット。
山本浩二監督の発案で野球人生初の1番バッターとして出場、
3打席目までにサイクルヒット王手をかけたので5打席目までチャンスを貰えた。
・捕手として史上4人目の30本塁打以上(=92年)。
・古田が活躍する前は「眼鏡をかけた捕手は大成しない」と言われていた。
・30歳の頃、なんとかメジャーに行きたいと思ったが手段がなかったので諦めた。
・4打席本塁打(=03.06.28広島戦)。
・プロ野球史上最高レベルの強肩。
1年目から13年連続で盗塁阻止率.400以上。
.400を越えれば一流と言われる盗塁阻止率で2回.600以上を記録。
93年の盗塁阻止率.644はプロ野球記録。
通算盗塁阻止率は.462。
※盗塁阻止率.600以上を記録したの古田のみ(=18.12現在)
・相手投手によって打撃フォームを微調整した。
・バッティングの調子が悪い時は無理に打ちに行かず、
フォアボール狙いで甘い球だけを打つつもりで打席に立った。
・オールスターのホームランダービーで10回以上投手を務めた。
■古田敦也
□エピソードなど②
・プロ野球選手会5代目会長(=98年〜05年)。
球界再編問題に際して史上初のストライキを断行(=04年)。
・シングル「Xeno 見知らぬ人」をリリース(=93年)。
・「古田敦也写真集」を出版(=94年)
・長野五輪聖火ランナー(=98年)。
・鳥居ユキファッションショーでモデルを務めた(=99年)。
・バラエティ番組で芸人に喋り負けると悔しい。
・右手人差指は骨折後に曲げ伸ばしが不完全になった。
現役時代は不調の原因と思われないように隠してした。
・試合中に脱臼した右手小指をベンチ裏で自分で治した事がある。
・選手会がスト決行を決断した日にフジテレビ「すぽると!」に生出演、
アナウンサーが読み上げるファンからの応援ファクスを聞いて涙を流した(=04年)。
・映画「キング・アーサー」のテレビCMのナレーションを務めた(=05年)。
・古田敦也公式ブログを開設(=05年)。
・大学出の社会人出身選手として初の2000本安打を達成(=05年)。
・ドラマ「役者魂!」に小学校の教師役で出演(=06年)。
・史上最大減額の75%ダウン(2億4000万→6000万)で契約更改(金額は推定=06年)。
・ニッポン放送でラジオパーソナリティーに初挑戦(=08年)。
・トライアスロンのアイアンマンレースを完走。
・野球殿堂入り(=15年)。
・テレビ「サンデーLIVE!」にコメンテーターとしてレギュラー出演(=17年)。
・テレビ「サンデーLIVE!」でスケルトンを体験(命の危険を感じた=17年12月24日放送分)。
・日本女子ソフトボールリーグ機構理事に就任(=21年)。
・ドラマ「DCU」にゲスト出演(=22年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在