■仲代達矢(なかだい たつや)
□肩書き
俳優
□所属
劇団俳優座(79年退団)
無名塾
□本名
仲代元久
□生年
1932(昭和07)12.13(射手座/B型)
□出身地
東京都目黒区→東京都世田谷区
□出身校
都立重機工業電気科
都立千歳高校(定時制)
□略歴
72年(40歳)大河ドラマ「新 平家物語」主演。
80年(48歳)映画「影武者」主演。
85年(53歳)映画「乱」主演。
※他の主な出演:
舞台 「ハムレット」「オセロ」「どん底」
映画 「人間の条件」「椿三十郎」「天国と地獄」
ドラマ「樅ノ木は残った」「大地の子」「世界の中心で、愛をさけぶ」
テレビ「この人 仲代達矢ショー」「SMAP×SMAP」「スタジオパークからこんにちは」
CM 「トヨタ自動車 クラウン」「シチズン エクシード」「サッポロ生ビール黒ラベル」
□趣味
映画観賞 野球観戦
□特記事項
・長女は仲代奈緒
■仲代達矢
□幼少時代〜
・父親はバスの運転手。
・姉、弟、妹がいる。
・小2の時、父親が肺結核で他界。
・家は裕福ではなかった。
母親、姉、弟、妹と5人で一間だけの長屋に2年半住んでいた。
壁の穴から隣の部屋が覗ける程のボロい長屋だった。
遠足のお弁当が白い御飯だけでおかずが入っていなかった事があった。
・子供の頃、人見知りの弱虫でイジメられっ子だった。
泣かされて帰ってくると母親が泣かせた相手の家に文句を言いに行った。
・小学校時代、北多摩郡仙川に2年間集団疎開。
毎晩のようにおねしょをしてこっそり裏の墓地に墓石に布団をかけて乾かした。
・小学校時代、空襲で死んだ死体がゴロゴロ転がっている横を通って登校。
毎日「明日は死ぬかもしれない」と思っていた。
・小学校時代、先生に「貧乏人」と蔑まれた。
・8歳の時、父親が結核で他界。
・12歳の時、渋谷付近で米軍の空襲に遭遇、
近所の小さな女の子の手をひいて一緒に逃げた。
ふと気づくと女の子は焼夷弾の直撃を受けて腕だけになっていた。
※怖くなって腕を捨てて逃げた事を後悔している
※大人になった後も夢に見る
・終戦後に大人が急に親米派に変わったを目の当たりにして強烈な人間不信になった。
・父親が長く肺病を患って死んだ為、母親の口癖は「勉強より健康が大事」だった。
勉強をしていると「そんな事するより掃除をしろ」と言われた。
・18歳頃まで極貧生活だった。
弟と一緒に家計を支えた。
アルバイトで家計を支えて定時制の高校に通った。
常に飢餓状態で毎晩食べ物の夢を見た。
甘いものが欲しい時は歯磨き粉を舐めた。
お金が欲しくて銀行強盗を夢想していた。
・高校時代のアルバイト:
学校の給仕。大井競馬場(切符切り、もぐりの予想屋の摘発)。
・高校時代、食事代や電車代を削って年間300本映画を観た。
・学生時代、太宰治の作品を愛読、作家になる事を考えた。
・アルバイト先の先輩に「お前は少し顔が変わっているから」と役者になる事を勧められた。
・学歴に関係なく通用する職業としてプロボクサーか俳優になる事を考えた。
ボクシングジムに2ヵ月通ったが、殴られるのが嫌だったのでプロボクサーはあきらめた。
■仲代達矢
□私生活①
・好物…そば。ところ天。黒豆甘煮。抹茶白玉ぜんざい。和菓子。
・妻に「(飲酒運転で事故を起こさないように)酒をやめるか、免許を取らないか、
どちらかにして」と言われ、酒はやめられないので運転手を雇った。
最初は稼ぎが少なかったので運転手の給料と自分たちの生活費が同程度同だった。
・健康法…玄米。水中ウォーキング。
・自宅で食事する時はよく自分で作る。包丁を使うのが苦手。
・酒が大好き。好きな酒はビール、日本酒、焼酎。
・喉の他為に70歳の頃に禁煙。
・持病…気管支ぜんそく。
・健康法…ストレッチ(毎日1時間)。ウォーキング。ジョギング。
・80歳になるまで頻繁にプールで水中ウォーキングをしていた。
・役作りの為に2ヵ月で8㎏ダイエットした(=10年)。
・水泳が苦手。水泳シーンがある作品は断る。
・好きな映画…「ダンス・ウィズ・ウルブズ」。
・結婚した時の荷物はトランク1個、中身はほとんどが本だった。
・住んでいる所…東京都世田谷区岡本(土地200坪建物100坪の豪邸、
67年落成、茶室・稽古場があるがある=03.11現在)。
■仲代達矢
□私生活②
・いきつけ…
「京うどん 葵」(用賀、毎日のように行く、酒の肴がおいしい=15.10現在)。
鍋料理「すだち」(神奈川県横浜市、のれんの文字を書いた)。
イタリア料理「イル・ピアット」(奥沢、25年通っている)。
居酒屋「ぱぱげぇの」(ニ子玉川、さば寿司がおいしい)。
玉川高島屋(週に最低1回は行き、ひとまわりして地下食で食品を買う)。
・コンビニ、100円ショップをよく利用する。
・忘れ物をする事が多い。
・子供の頃から熱烈な巨人ファン。
・映画館で最前列で映画を観るのが好き。好きな映画は5〜10回見る。
・無名塾を始める時にゴルフをやめた(ハンディ12の腕前だった)。
引退後に再開するつもり。
・地下鉄が好き。パスネットを愛用。
・毎年海外旅行に行く。
・ニューヨークが好き。ニューヨークでよくミュージカルを観る。
・ロストバゲッジが半年後に発見された事がある。
・好きなタイプ…優しい女性。
■仲代達矢
□人間関係
・萬屋錦之介…友人。
よく一緒に飲んで演劇論を戦わせるケンカをしては仲直りした。
お互い顔が腫れる程の殴り合いのケンカになった事があった。
・宇津井健、佐藤慶…俳優座の同期生。
・役所広司、益岡徹、若村麻由美、中原果南、田中実…無名塾出身。
・北島三郎…無名塾の生徒と北島の弟子が交歓。
・原節子…映画で恋人役で共演してキスシーン。
・宍戸一夫…学校の後輩。玉川高島屋にあるアヴァン電器の社長。
しょっちゅう店に遊びに行ってコーヒーを御馳走になる。
※「素顔が一番」にVTR出演(=03年11月15日放送分)
・弟…シャンソン歌手。
・宮崎総子…義理の妹。キャスター。無名塾のプロデューサー。
・宮崎恭子…57年結婚。1歳年上。俳優座の2年先輩。
96年に膵臓癌で他界(享年65)。
「無名塾だけは続けてほしい」と書いた遺言のようなメモを残した。
妻の他界後しばらくは自殺願望があった。
・子供:
長女…仲代奈緒。73.12.11誕生。歌手、女優。※養子(妻の妹の娘)
■仲代達矢
□エピソードなど①
・俳優座養成所4期生(=52年入所)。
・養成所時代、夏は裸に近い格好、冬は夏物を重ね着するだけだった。
・養成所時代、いつもぼんやりしているので「モヤ」というあだなを付けられた。
・養成所時代、収入が少なくてバレエの授業に使うタイツが買えず、
姉から貰っていた月謝代もときどき食費に化けた。
・アルバイト歴…
大井競馬場で切符のモギリやヤミの予想屋の摘発。
ボーイ。パチンコ屋店員。
・人前に出るのが苦手な自分を改造する為に、
電車の中で「私は俳優の卵です。これから芝居の稽古をします」
と宣言して詩や小説を朗読した。
・1年の前半を映像の仕事、後半を舞台の仕事と振り分けていた。
・20代半ばの頃、小林正樹、黒澤明、成瀬已喜男などの巨匠の作品に出演。
・29歳で初めて老け役をやった時「これで50過ぎまで役者で食える」と思った。
・30代前半頃まで好んでアウトローを演じた。
・映画「七人の侍」の通行人役で何も判らずに適当に歩いたら、
黒沢監督に「武士の歩き方はそんな歩き方じゃない」と6時間演技指導された。
・40歳の頃、自分の演技を見つめ直す為に安部公房スタジオに参加。
・舞台の面白さがわかってきたのは40歳を過ぎてから。
・映画「影武者」の撮影中に落馬して肋骨を4本骨折。
・シングル「男の涙」(テイチク)をリリース。
■仲代達矢
□エピソードなど②
・俳優養成の私塾・無名塾を開校(=75年)。
毎年何百人もの志望者を全員面接する(採用は多くて年に5人程度)。
当初は月謝を取っていたが面倒なのでやめた。
塾生は毎朝できるだけ早く稽古場に来て掃除をする。
基礎的な事を3年間徹底的にやる。
役者として見込みがありそうな人は卒業させず「留年」させる。
・自宅の一部を改築して稽古場を作り「仲代劇堂」と名付けた(=94年)。
・舞台の稽古に3ヵ月かける。
単に台詞を運ぶだけでなく精神から作っていく。
・石川県中島町の演劇専用ホール・能登演劇堂をプロデュース。
舞台正面奥の大扉が観音開きになっている(扉を開放すると外の自然風景が借景になる、
合戦の場面で外から本物の馬が走り込んで来る)。
無名塾のほとんどの舞台は能登演劇堂から地方巡業を開始する。
・他の役者の分を含めて全ての台詞を半紙に書いて暗記する。
・映画「金融腐食列島 呪縛」で役所広司(無名塾出身)と初の本格共演(=99年)。
・舞台「セールスマンの死」の役作りの為に髪の毛を茶色に染めた(=00年)。
・舞台の上で台詞を忘れる事がしょっちゅうある。
・劇場の楽屋にいると落ち着く。夜の公演でも朝9:00に楽屋に入って安心して仮眠する。
・喉飴を勘違いして消しゴムを飲み込んでしまった事がある。
・「役になりきる」ことはそもそも不可能な事だと思っている。
・自宅を「素顔が一番」で公開(=03年11月12日放送分)。
・台詞覚えが苦手。
台詞を筆で書いた書いた紙を家中の壁に貼って懐中電灯で照らして読んで覚える。
凡例:20.01現在=2020年1月現在