■仰木彬(おおぎ あきら)
□肩書き
プロ野球選手(67年引退)
プロ野球指導者
□所属
西鉄ライオンズ(54年〜67年)※現役
近鉄バファローズ(88年〜92年)※監督
オリックス(94年〜01年, 05年)※監督
□本名
仰木彬
□生年
1935(昭和10)04.29(牡牛座/A型)
□没年
2005(平成17)12.15(享年70)
□出身地
福岡県中間市
□出身校
福岡県立東筑高校
□略歴(満年齢)
54年(19歳)西鉄ライオンズに入団。
88年(53歳)近鉄バファローズの監督に就任。
94年(59歳)オリックスブルーウェーブの監督に就任。
□趣味
美術観賞 散歩 ゴルフ
■仰木彬
□幼少時代〜
・父親はビルマで戦死。
・妹2人は赤痢で他界。
・高校は毎年約10人が東大に合格する県内屈指の進学校。
・高校時代、家から学校まで8㎞を走って通学。
・東築高校には「川筋者」と呼ばれる気性が荒い人がたくさんいた。
・高校時代、女子に大人気。他校に追っかけがいた。
高倉健(高校の4年先輩)よりモテた、という逸話がある。
・高校時代、九州大会開催中に大切にしていた腕時計を盗まれた。
母親がなけなしのお金をはたいて買ってくれた時計。
野球部の仲間が300円づつ出して新しい時計を買ってくれた。
・高校時代、主将兼エースとして甲子園に出場(初戦敗退)。
県予選で宿舎で食べたカレーライスにあたってお腹を壊したが、
痛みに耐えて決勝を投げ抜いて創部以来初の甲子園出場。
■仰木彬
□私生活
・好物…寿司。ワッフル。
・酒が好き。酒豪。
現役時代は試合前日に朝まで飲んだ事があった。
・住んでいる所…福岡県小倉市。
・子供はいない。
・妻は野球に全く関心がない。
優勝のハワイ旅行に行きたがらない。
・若い頃は女性が大好きだった。
■仰木彬
□人間関係
・金村義明…友人。飲み友達。
・高倉健…高校の4年先輩。
・野茂英雄…ドラフト会議で8球団競合で野茂をひきあてた。
・イチロー…変則的な振り子打法を認めて素質を開花させた。
・パンチ佐藤…芸能界の方が向いていると直感してパンチに転身をすすめた。
・森祇晶…犬猿の仲と噂された。
・長嶋茂雄、野村克也、杉浦忠、仰木彬…同学年。
・仰木彬、高倉照幸、中西太、稲尾和久、
豊田泰光、大下弘、川崎徳次、三原脩
…西鉄ライオンズ出身(移籍・引退・監督を含む)。
・頓宮裕真、頓宮裕真、山岡泰輔、吉田正尚、杉本裕太郎、
T-岡田、ディクソン、西勇輝、平野佳寿、金子千尋、
イチロー、長谷川滋利、星野伸之、パンチ佐藤、
福良淳一、西村徳文、テリー・コリンズ、仰木彬
…オリックス出身(移籍・引退・監督・前身を含む)。
・小宮悦子…憧れている芸能人。
小宮がゲストで来た時に試合中に放送ブースにあがって食事に誘った。
・妻…?年結婚。
※子供はいない
■仰木彬
□エピソードなど
・プロ入り後、セカンドに転向して2年目からレギュラー。
・西鉄ライオンズの黄金時代のメンバー。
球史に残る58年日本シリーズ(3連敗4連勝)を戦った。
・現役時代の打順は7番や9番が多かった。
・黒い霧事件で西鉄ライオンズのコーチを辞任(=69年)。
・自分が夜中に飲みにいくので選手に門限を課さない。
・一般サラリーマンに「上司にしたい男性」のナンバーワンに選ばれた。
・還暦祝いに選手から真っ赤なグラウンドコートを貰った。
・「球界の宣伝部長」を自認して様々な新しい試みにチャレンジ。
「イチロー」「パンチ」などの「グランドネーム」を導入。
オープン戦のスタメンをファン投票で決定。
・大胆な采配を「仰木マジック」と呼ばれた。
・選手の長所を伸ばすように心がけていた。
・日本シリーズに3回出場して1回優勝。
※近鉄監督として1回、オリックス監督として2回
・吉本新喜劇の舞台に出演(=05年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在