■上條恒彦(かみじょう つねひこ)
□肩書き
歌手 俳優
□本名
上條恒彦
□生年
1940(昭和15)03.07(魚座/O型)
□出身地
長野県東筑摩郡朝日村
□出身校
朝日国民学校
朝日中学校
長野県松本県ヶ丘高校
□略歴(満年齢)
71年(31歳)「出発の歌」がヒット。
72年(32歳)「だれかが風の中で」がヒット。紅白歌合戦初出場。
86年(46歳)舞台「屋根の上のバイオリン弾き」主演。
※他の主な出演:
舞台 「ラ・マンチャの男」「マイ・フェア・レディ」「キャバレー」
映画 「男はつらいよ寅次郎の子守唄」「獄門島」「千利休 本覺坊遺文」
ドラマ「3年B組金八先生」「春よ、来い」「葵 徳川三代」
□趣味
畑仕事
□サイズ
176㎝
■上條恒彦
□幼少時代〜
・きょうだいが5人いた。
・2歳の時、父親が胃ガンで他界。
・子供の頃、川と家を何度も往復してお風呂の水汲みを手伝った。
・子供の頃から声が大きかった。
・中学時代、成績は抜群だった。
・高校時代、演劇部と文学部と応援団。
先輩に「君は声が良いので演劇をやるといい」と勧められ演劇部に入部した。
□私生活
・得意料理…みそ汁(大豆を育てて作る自家製みそを使用)。
・咽頭部の良性ポリープの為に舞台出演をキャンセルして療養(=08年)。
・住んでいる所…長野県富士見町(八ヶ岳の麓=14.05現在)。
・自宅はログハウス、自宅の中にブランコがある(=00.07現在)。
・無農薬有機栽培で野菜を作っている。
大豆、ナス、キュウリ、じゃがいも、ニガウリ、香菜、ブルーベリーなど。
・自宅の近くでクワガタやカブトムシがたくさん捕れる。
■上條恒彦
□人間関係
・小室等…六文銭のリーダー。
上條恒彦+六文銭でリリースした「出発の歌」を作曲。
・宮崎駿…宮崎の別荘が自宅の近所にある。
・杉田かおる…学生時代に上條の息子をシメていたらしい。
・崔洋一…顔が似ていると言われている。
・前妻…65年結婚、79年離婚。
上條が歌声喫茶で歌っていた時のファンだった。
※[68年結婚]とする媒体もある
・斉藤悦子…元女優。83年結婚。16歳年下。
・子供:
長男…恒(こう)。67年誕生。※[69年誕生]とする媒体もある
次男…契(けい)。68年誕生。※[70年誕生]とする媒体もある
三男…盟(めい)。83年誕生。
四男…太(たい)。85年誕生。
五男…響(きょう)。
六男…駿(しゅん)。90年誕生。
■上條恒彦
□エピソードなど
・高校卒業後、俳優を志して上京。
・荒物問屋、コンクリート工場、新聞配達、サンドイッチマン、
ダンプカーの運転手、旅館の下働き、歌声喫茶の歌手などの仕事をした。
・俳優座を受験して不合格(=62年)。
・歌声喫茶のマスターにすすめで歌手を志した。
営業中に店で歌って閉店後に楽器を勉強。
テナーサックス奏者としてキャバレーを廻った。
・テレビ「ステージ101」初期メンバー。
・デビュー曲「雨よふれ」は全く売れなかった(=69年リリース)。
・デビュー当時はレコーディングが苦手だった。マイクの前に立つと緊張した。
・第2回世界歌謡祭グランプリを受賞(=71年)。
・「だれかが風の中で」はテレビ「木枯らし紋次郎」の主題歌(最終回にゲスト出演)。
・「さよならの世界」で第4回世界歌謡歌唱グランプリを受賞(=73年)。
・「出発の歌」は音楽の教科書に採用された。
・声優としてウォルター・マッソー、ショーン・コネリーの吹き替えを担当。
・丸大食品ののCMソングを歌った。
・アニメ映画「紅の豚」に声優として出演(=92年)。
・アニメ映画「千と千尋の神隠し」に声優として出演(=01年)。
凡例:20.01現在=2020年1月現在