三枝成彰
■三枝成彰(さえぐさ しげあき)
□肩書き
作曲家
□本名
三枝成章
□生年
1942(昭和17)07.08(蟹座/A型)
□出身地
東京都
□出身校
和光学園小学校
和光学園中学校
和光学園高校
東京芸術大学作曲科
東京芸術大学大学院
□略歴
73年(31歳)朝ドラ「北の家族」音楽。
86年(44歳)テレビ「11PM」司会。
97年(55歳)オペラ「忠臣蔵」作曲。
※他の主な音楽担当作品:
舞台 「竜恋譜」「千の記憶の物語」
映画 「二十四の瞳」「優駿」「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」
ドラマ「はね駒」「太平記」「花の乱」
※他の主な出演:
テレビ「CNNデイウォッチ」「OH!エルくらぶ」「ザ・ワイド」
CM 「TDK ビデオテープ」「CASIOTONE」「明治安田生命」
□趣味
読書
■三枝成彰
□幼少時代〜
・父親は教員→NHK音楽部勤務。「NHKのどじまん」を考案。
・3歳年下の弟がいる。
・子供の頃、身体が弱かった。
・4歳の頃、父親の勧めでピアノをはじめた。
・「つき指をしてはいけないから」と野球は禁止だった。
・男の子と遊ぶのは苦手だった。
女の子と着せ変え人形やままごとをして遊んだ。
・父親に学校を休まされてクラシックやオペラのコンサートに連れて行かれた。
・不良の音楽(ジャズなど)を聞かないようにと家にラジオがなかった。
・小学校時代、父親のすすめで長髪に赤いセーターで登校してよくイジメられた。
・和光学園は欧米風の自由な校風だった。
制服なし、宿題なし、教科書をロッカーに置いて帰ってOKだった。
・中学時代、新聞部(編集長)。
炎天下で取材して日本脳炎になって入院した。
・高校時代、女の子にふられてヤケ酒を飲み急性アルコール中毒。
・高3の時、学生運動に参加して国会議事堂の前で夜を明かした(60年安保)。
先生が生徒より先にデモに行ってしまう学校だった。
・東京芸術大学を首席で卒業。
■三枝成彰
□私生活
・好物…口吹コロッケ。さつまいも。トマト(原産地農法)。
・食べるスピードが速い。
・食べると眠くなるので仕事する時はほとんど食べない。
・酒が好き。
・20代の頃は毎日たくさん飲んでいた。
酒屋で立ち飲みして下地をつけてからバーに行った。
ゴールデン街、2丁目、ションベン横丁の安い店によく行った。
朝まで飲んでそのまま大学に行って教壇で吐きそうになった事が何度もあった。
・健康法…ビタミン剤。漢方薬(10種類以上飲む)。青汁。
・高血圧(毎日薬を飲む)。
・検査マニア。しょっちゅう病院に行く。
・万が一倒れた時に備えて主治医の連絡先を入れたUSBを携帯の鎖につけている。
・夜型。6:00〜7:00頃に寝る。睡眠時間は4〜5時間。
部屋に日光が射し込んでいると集中出来ない(昼間仕事をする時はカーテンを閉める)。
・自分でデザインした特注のバッグを愛用。
・住んでいる所…東京都港区(=97年)。
・自宅ビルの中に事務所がある(=04.03現在)。
・バブル絶頂期に購入した事務所の価格が4分の1まで下がった。
・いきつけ…
ダイニングバー「月光庵」(港区西麻布、開店資金を一部出資、20年通っている)。
・新宿ゴールデン街によく行く。
・120歳まで生きたいと思っている。
・六本木男声合唱団を主宰。
・40歳頃まではよく殴りあいのケンカしていた(勝った事はない)。
鼻が曲がった傷が残っている。
寿司屋の大将とケンカして角膜剥離で両方の目が見えなくなった事がある。
■三枝成彰
□人間関係
・奥田瑛二…親友。
・林真理子…友人。よく一緒に食事(多い時は週3回)。
ダイエット仲間(一緒に何度か断食道場に行った)。
「いい男だけで林真理子さんをお祝いする会」を三枝が音頭をとって開催。
・島田雅彦…オペラ「忠臣蔵」を一緒に制作(=97年)。
・つかこうへい…つかが演出したロックオペラ「サロメ」の作曲を担当。
・蜷川幸雄…蜷川が演出した舞台「オイディプス王」の作曲を担当。
・羽田孜、ダニエル・カール、辰巳琢郎…六本木男声合唱団のメンバー。
・元妻…70年結婚、80年離婚。
・亀田祥子…91.06.18入籍。22歳年下。
・子供:
長女…30歳(=04.03現在)。
次女…24歳、ニューヨークに留学中(=04.03現在)。
■三枝成彰
□エピソードなど
・19歳の時に作曲した「木管五重奏曲」で音楽之友社作曲賞を史上最年少で受賞。
・現代音楽のイベントのプロデュースに失敗して1500万円借金。
・30歳の頃から10数年間作曲に悩んで仕事に行き詰まっていた。
・作曲が好きになったのは50歳近くになってからだった。
・モーツァルト研究に従事しモーツァルテウム国際財団の依頼で、
「バイオリン、ビオラ、チェロのための協奏交響曲イ長調」を完成させた(=91年)。
※モーツァルトが遺した未完曲
・東京芸術大学非常勤講師、東京音楽大学客員教授を務めた。
・3年に1本のペースでオペラを書いて83歳までに10本の代表作を残したい(=02.01現在)。
・主な著書:
「男の観感楽学」「人間グラフィティ—三枝成彰対談集」
「男が女を嫌いになった日」「知ったかぶり音楽論」
「三枝成彰のオペラの楽しみ方」「譜面書きの遠吠え」。
凡例:20.01現在=2020年1月現在