■三木谷浩史(みきたに ひろし)
□肩書き
楽天社長
□本名
三木谷浩史
□生年
1965(昭和40)03.11(魚座)
□出身地
兵庫県神戸市
□出身校
私立岡山白綾中学校→明石市立朝霞中学校
兵庫県立明石高等学校
一橋大学商学部卒業
□略歴(満年齢)
88年(23歳)日本興行銀行に入行(→95年退行)。
97年(32歳)株式会社エム・ディー・エム(楽天の前身)を設立。
04年(39歳)ヴィッセル神戸、楽天イーグルスのオーナーに就任。
□趣味
ワイン サッカー観戦 ゴルフ
□特技
テニス
■三木谷浩史
□幼少時代〜
・父親は経済学者。
※現在は神戸大学名誉教授(=05.10現在)
・母親は元貿易会社勤務。
戦前のニューヨークで生活した帰国子女だった。
・3人きょうだいの末っ子。5歳年上の姉、3歳年上の兄がいる。
・小学校時代、運動神経抜群で外で遊ぶのが大好きだった。
・小学校時代、授業中に騒いでしょっちゅう先生に怒られた。
・小学校時代、成績は良くなかった。
・小2から2年間、父親の仕事の都合でアメリカで過ごした。
・中2の時、私立の全寮制で規律が厳しい進学校を中退して公立校に転校。
・中3の時、生徒会長。
・中学時代、部活に硬式テニス部がなかったので明石ローンテニスクラブに通った。
・高校時代、テニス部。
高2の時に県大会で準優勝。
・大学時代、テニス部(キャプテン)。
□私生活
・好物…太打ちそば。ウェンディーズのハンバーガー。
・銀座でロマネコンティを3本空けて一晩で500万円飲んだ事がある。
・ペット…犬(名前はチロ=04.12現在)。
・いきつけ…そば屋「更級堀井」(元麻布、週に2回行く)。
・人生の信条は「常に挑戦」。
・父親がすい臓がんで他界(享年83=13年)。
・妻がレストラン「hAru」を経営(広尾=05.01現在)。
■三木谷浩史
□人間関係
・つんく♂…友人。
・神田うの…友人。飲み友達。
・田尾安志…東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督。
・モーニング娘。…楽天イーグルスの公式応援歌「THEマンパワー!!!」をリリース(=05年)。
・堀江貴文…ライバル的存在。プロ野球参入を争った。
・孫正義…ライバル的存在。
・マーティー・キーナート…楽天イーグルスの初代GM。
・田中将大、岩隈久志、磯部公一…東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
・ポドルスキ、イニエスタ、ビジャ、三浦知良…ヴィッセル神戸所属。
・姉…医者。
・兄…バイオテクノジーの研究者。
・晴子…91年結婚。日本興行銀行の同僚だった。元楽天の副社長。
・子供:
長男…04年3月誕生。
■三木谷浩史
□エピソードなど
・ハーバード大学でMBAを取得。
・阪神大震災で親戚や友人が他界したのをきっかけに日本興行銀行を辞めてベンチャーに転じた。
・独立当初、自宅マンション(賃貸)の6畳間をオフィスとしてコンサルタント業を行い、
1年間で約2000万円の利益を上げ、それを資本金に楽天の前身会社を設立。
・設立当初、1ヵ月で1000社の契約を見込んでいたが、
約1000社に営業して契約してくれたのは10社、その殆どは身内のような会社だった。
・1ヵ月5万円固定という破格の出店料金で次第に契約数を増やした。
・「楽天」は織田信長が開いた「楽市楽座」から命名。
・1年間で2000〜3000社と契約して事業拡大、ジャスダック市場に上場(=00年)。
・積極的なM&Aで事業を多角的に拡大。
00年に検索サイト大手インフォシーク
03年にマイトリップネット(ネット旅行業大手「旅の窓口」運営)
03年にネット専業証券大手DLJディレクトSFG証券
・毎週月曜日に朝6:30から役員会。
・楽天グループの目標は「世界一のインターネットサービス企業」。
・楽天グループの5つのコンセプト:
1常に改善、常に前進
2Professionalismの徹底
3仮説→実行→検証→仕組化
4顧客満足の最大化
5スピード!! スピード!! スピード!!
・オフィスを六本木ヒルズに移転(=03年)。
・アメリカの経済誌フォーチュンに「世界の注目される新人」として掲載された(=03年)。
・第33回ベストドレッサー賞(政治経済部門)を受賞(=04年)。
・11年に経団連を離脱、翌年ネット企業中心の経済団体「新経済連盟(新経連)」を発足。
・スペインの名門サッカークラブ・バルセロナFCとスポンサー契約(4年約286円=16年)。
・光免疫療法によるがん治療法開発を目指す楽天アスピリアンのCEOに就任(=18年)。
・雑誌「週刊文春」にコラムを連載。
※凡例 20.01現在=2020年1月現在