大竹一樹 | 1967(昭和42)12.08(射手座/O型) | 東京都墨田区 | 私立東海大学附属高輪台高校 |
三村マサカズ | 1967(昭和42)06.08(双子座/A型) | 東京都墨田区 | 私立東海大学附属高輪台高校 |
□略歴
89年(22歳)バカルディを結成(→00年にさまぁ〜ずに改名)。
04年(37歳)テレビ「笑っていいとも!」に出演。
07年(40歳)テレビ「モヤモヤさまぁ〜ず2」に出演。
※他の主な出演:
舞台 「ハンブン東京」「こどもさんかん日」「エルダーソルジャーズ」
映画 「ピーナッツ」「かずら」「劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス」
テレビ「アッコにおまかせ!」「新・諸国漫遊記」「Qさま!!」
ラジオ「ちはるとバカルディーのスーパーギャング」「木曜JUNK さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?」
CM 「プロミス」「ヤマダ電機」「アットホーム」
□趣味
大竹…競馬 相撲観戦 野球
三村…競馬 野球 ジョギング サーフィン
□特技
大竹…匂いかぎわけ 剣道 水泳
三村…フラッシュ暗算 水泳
□特記事項
・妻は中村仁美(大竹)
■さまぁ〜ず
□エピソードなど
・アルバイト歴…
チェーン店のレストラン(高校卒業後)。
レストラン「マ・メゾン」(渋谷109)。
与論島の民宿「おふくろ荘」(19歳の夏に2ヵ月間)。
・ホリプロのオーディションは友人に誘われて3人で受けた。
・デビュー前、風呂無しトイレ共同のアパートに住んでいた。
銭湯に行けない時は台所のシンクで身体を洗った。
・無名時代、渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で開催された新人コント大会に頻繁に出演。
・顔が似ていると言われるので大竹が眼鏡(度は入っていない)をかける事にした。
・デビュー5年目の頃、レギュラーが7〜8本で休みがほとんどなかった。
・少し売れて生活レベルを上げた後、4年間売れなかった。
モチベーションを維持する為に借金して高い家賃の広い部屋に住み続けた。
見栄を張って後輩におごった後で自宅まで何時間も歩いて帰った。
・売れない時期も笑いの要素がない仕事は断っていた。
・売れない時期もライブのチケットは完売だった。
・大袈裟な三村のツッコミ(「〜かよ」「〜だよ」)はもともと若い頃からの口癖だった。
・ロケで乗ったジェットコースターが脱線して死ぬかと思った事がある。
・コンビ仲が良い。地方に泊りの時に三村が大竹の部屋にいりびたる。
大竹は出来ればひとりでいたいと思っているらしい。
・CM「ヤマダ電機」の「やまーだでんき」というフレーズは、
収録の合間にくちずさんでいたのが採用された。
・「新ウンナンの気分は上々」の企画でコンビ名を「さまぁ〜ず」に改名(=00年)。
・ネタ本「悲しいダジャレ」が25万部のヒット(宝島社=03年)。
・コントライブの仕事が好き。毎年コントライブを開催。
・ネタはふたりで一緒に作る。ネタ作りに電子辞書とボイスレコーダーを活用。
・服やインテリアのセンス、女性の好みが似ている。
偶然同じラックを買ってしまった事がある。
凡例:17.01現在=2017年1月現在