いっこく堂

いっこく堂


■いっこく堂(いっこくどう)

 

□肩書き

 服話術師

 

□本名

 玉城一石

 

□生年

 1963(昭和38)05.27(双子座/A型)

 

□出身地

 神奈川県高座郡寒川町→沖縄県コザ市

 

□出身校

 コザ教育区立中の町小学校

 沖縄市立コザ中学校

 沖縄県立北谷高校 

   横浜放送映画専門学校中退

 

□略歴(満年齢)

 92年(29歳)独学で腹話術をやりはじめる。

 95年(32歳)テレビ「ポンキッキーズ」出演。

   00年(37歳)世界腹話術フェスティバル出演(ラスベガスで開催)。

   ※他の主な出演:

      舞台 「兵士の物語」「くしゃみ」

  テレビ「笑点」「はなまるマーケット」「徹子の部屋」

   ※他の主な出演:

      舞台 「兵士の物語」「くしゃみ」

  テレビ「笑点」「はなまるマーケット」「徹子の部屋」

 

□趣味

 映画観賞 野球観戦 ジョギング 野球

 

□サイズ

 175㎝

■いっこく堂

 

□幼少時代〜

・父親の出稼ぎ先の神奈川県で生まれた。

・兄と弟がいる。

・5歳の時、家族で沖縄に戻った。

・父親が開店したサンドイッチ店は客に金を盗まれて1年で閉店。

 借金返済の為に父親はタンカーのコックになり、母親は那覇の飲食店で働いた。

 父親は年に数回しか家に帰ってこなかった。

・家は裕福ではなかった。

 家の中を下水が流れる小さな借家に住んでいた(元倉庫?)。

 家に風呂、洗濯機、テレビがなかった。

 ケンタッキーフライドチキンを食べ終わると骨でダシを取ってスープを作った。

   友人の家をローテーションでまわってテレビを見せて貰っていた。

・小学校時代、兄と一緒に新聞配達をした。

・小5の時、鉄棒にぶつかって前歯がかけた。

   ※腹話術をやる上で欠けた前歯の隙間が役立っている。

・中学時代、野球部。

 将来プロ野球選手になりたいと思っていた。

・中2の時、学校の2階から落ちて頭を強打して救急搬送、医者に激しい運動を禁じられた。

   それをきっかけに勉強をするようになり成績が急上昇した。

・中2の時、交通安全キャンペーンで婦人警官の腹話術を見てやってみたいと思い、

 警察に電話して「どこで人形を買えますか?」と訊いたが教えてくれなかった。

・中学時代は暗い性格でイジメられっ子だった。

・高校時代、自分を鍛える為に意識的に明るくふるまい、先生のモノマネをした。

・高2の時、ドラマ「池中源太80㎏」の西田敏行を見て俳優に憧れた。

・高2の時、NHK沖縄「ふるさと訪問」に出演。

・高校時代、文化祭で田原俊彦のモノマネをした。

 

■いっこく堂

 

□私生活

・好物…ボルシチ。ひつまぶし。豚まん(福岡・太平閣)。

 杏仁豆腐。沖縄ぜんざい。辛いもの。

・嫌いな食べ物…豚の脂身。

・酒は飲めない。

・健康法…ビタミンのサプリメント。

・喉の違和感を感じた時に吸入器を使う。

・自宅で転倒して顔面を強打して緊急搬送(脳挫傷・脳出血=16年)。

 迷走神経反射による突然の意識消失で転倒した。

・手先は不器用。

・住んでいる所…東京都板橋区(一戸建て=11.06現在)。

・いきつけ…

 沖縄そば「海人のいえ」(板橋区、家族で毎週行く)。

 焼肉「炭焼工房 朱雀門」(板橋区、家族でよく行く)。

・訪問販売で運勢が良くなる印鑑を70万円で購入。

・集団行動が苦手。

・子育てを熱心にやった。

 子育て教室に積極的に参加した。

・長女は2歳の頃から腹話術の真似をしていた。

・長女と仲が良い。

 毎年誕生日にカードをくれる。

 一緒に東京ドームで巨人戦を観戦。

・長女はカンボジア在住(カンボジア人と結婚=23.12現在)。

 

■いっこく堂

 

□人間関係

・江波杏子…友人。

・日高のり子…子供が同じ小学校。

・高田文夫…高田主宰のお笑いのチャンピオン大会で優勝して名前と顔が売れた。

 いっこく堂のシングル「傷だらけの私鉄沿線」を作詞。

・青島幸男…いっこく堂の腹話術コントの台本を執筆(=03年)。

・米倉斉加年…劇団民芸の先輩。

 劇団を休団してピンでやる事を応援してくれた。

   喋りの特訓の為に毎日米倉の前で漫談をやった。

・小久保裕紀(プロ野球選手)…小久保の弟はいっこく堂のマネージャー

 (「いっこくぼ」と呼ばれている=03年現在)。

・ロン・ルーカス…アメリカの腹話術師。

   テレビ番組の企画で対面、ロンのショーにゲスト出演(=00年)。

・薫子…劇団民芸の舞台スタッフ。91年結婚。

・子供:

 長女…夢弓(ゆめみ)。23歳(=19.06現在)。

 

■いっこく堂

 

□エピソードなど

・高3の時、素人参加番組にモノマネで出演。

 「笑ってる場合ですよ」「欽也のそっくりベストテン」など。

 田原俊彦、谷村新司、野口五郎、西城秀樹、五木ひろし、ハクション大魔王など。

・高校卒業後、タレントを目指して上京。

・横浜放送映画専門学校を3ヵ月で中退。

・モノマネタレントとして地方のホテルの営業などをしていた。

・無名塾のオーディションに最終選考まで残るが、

 始発から終電まで稽古があるから仕送りがないとやっていけない、と言われて諦めた。

 仲代達矢に「君はスジが良いからどこが入り口でも大丈夫だよ」と言われた。

・劇団民芸を受けた理由は月謝がタダだったから。

・劇団民芸時代、高田馬場の3畳ひとまのアパートに7年間住んでいた。

・劇団民芸時代、7年間で台詞がある役を貰えたのは1回だけ。

・劇団民芸時代、深夜喫茶でアルバイト。

・現在も劇団民芸の座員(休団中=01.07現在)。

・アルバイト歴…

 築地の青果市場。宴会場のお膳運び。高田馬場の深夜喫茶「白百合」。 

 日本テレビの大道具(「夜もいっしょうけんめい」「おしゃれ30・30」などを担当)。

・売れない時代の主食はもやし炒めだった。

・図書館で借りた本「誰にもできる腹話術」で独学で腹話術を勉強。

 その本には「マ行・バ行・パ行は腹話術ではできません」と書いてあったが、

 3年間独自の方法(企業秘密)で練習してマスター。

・腹話術を練習中にボランティアで老人ホームを慰問した時、

 職員に「あなたはアガってたわね」と言われて発奮してプロを目指すようになった。

・自分で売り込んでテレビ番組に出るようになった。

・「OWARAIゴールドラッシュ」で優勝(=98年)。

・紅白歌合戦にゲスト出演(腹話術師として初出演=99年)。

・シングル「傷だらけの私鉄沿線」をリリース(=02年)。

 西城秀樹人形と野口五郎人形を従えて腹話術で歌った(レコーディング時も腹話術で歌った)。

・口が動いた少し後で声が出てくる「宇宙中継」はいっこく堂の代表的なオリジナル技。

・普通の腹話術は人形を1体しか使わないがいっこく堂は同時に2体を使う。

 人形2体を持ち続ける筋力をつける為にスポーツジムに通った。

・人形によって10種類以上の声を使い分ける。

・人形は形が崩れない様にそれぞれ専用のトランクで運ぶ。

・人形の衣装を自分で作る。

・アメリカの観客は日本の観客に比べてすぐに笑ってくれる。

・世界各国でボランティア活動をしたいと思っている。

・沖縄サミットでG8のメンバーの人形を使って余興を披露。

・げんみつには「玉城一石と人形達」の一座の名前が「いっこく堂」。

・映画「キャッツ&ドッグズ」吹替え版に声優として出演(3役の声を担当=02年)。

・アメリカ・ロスほか4都市で初の単独海外公演(=03年)。

・「いっこく堂ボイス・イリュージョンツアー2003人間VS人形」で人形30体の腹話術に挑戦。

・腹話術で使う人形を30体以上所有。高いモノの値段は数百万円。

・腹話術でモノマネをする。

 主なレパートリーは秋川雅史、井上陽水、西城秀樹、武田鉄矢、野口五郎、前川清、松山千春。

 丹下段平。マンモス西。ハクション大魔王。丸尾君(ちびまる子ちゃん)。

・海外公演を多数行っている。ネタを現地の言葉に翻訳して丸暗記する。

・第6回中国上海国際芸術祭にて中国語で上演(=04年)。