■いかりや長介(いかりや ちょうすけ)
□肩書き
芸人 タレント 歌手 俳優
□所属グループ
ザ・ドリフターズ
□本名・旧芸名
碇矢長一
□生年
1931(昭和06)11.01(蠍座/A型)
□没年
2004(平成16)03.20(享年72)リンパ節がん
□出身地
東京都墨田区本所→静岡県富士市
□出身校
吉永高校中退
□略歴(満年齢)
64年(33歳)ザ・ドリフターズを結成。
69年(38歳)テレビ「8時だョ!全員集合」出演(〜85年)。
97年(66歳)ドラマ「踊る大捜査線」出演。
※他の主な出演:
舞台 「ありがとうサボテン先生」「恍惚の人」「ヴィクターヴィクトリア」
映画 「喜劇 右むけェ左!」「息子」「川の流れのように」
ドラマ「独眼流正宗」「イヴ」「取調室シリーズ」
テレビ「ドリフの大爆笑」
□趣味
海外旅行
□特技
ハーモニカ
■いかりや長介
□幼少時代〜
・父親は魚河岸の軽子(築地市場勤務)→軍需工場→製糸工場。
・弟と妹がいる。
・生まれ育った本所は典型的な下町。
・4歳の時、母親が結核で他界。
祖母が母親がわりだった。
・子供の頃、芸事好きの父親がよく映画や寄席に連れて行ってくれた。
浅草でコメディの実演を見た。
・子供の頃、ラジオの落語中継に熱中。
小学校に入る頃には好きな演目を暗唱できた。
・小学校時代、戦火を逃れる為に静岡県富士市に疎開。
・中学時代、喜劇映画に熱中。
・15歳の頃、幼児だった弟が自家中毒で他界。
・定時制高校に通っていた。
■いかりや長介
□私生活
・好物…しらす丼。パスタ。ジンギスカン。かつおのたたき。
匂いのきついチーズ。油揚げ(ひとくち大に切って焼いて食べる)。
・持病の痔を手術(=68年)。
・舞台稽古中に転倒して肋骨を骨折、肋膜炎を患った(=68年)。
・頚部リンパ節がんで緊急入院(=03年)。
・好きな俳優…アボット&コステロ。
・住んでいる所…東京都目黒区碑文谷(=98.03現在)。
・いきつけ…
ジンギスカン「だるま」(札幌)。
「つゆき」(学芸大学、毎日のように行く)。
「キーズイタリアン」(深沢)。
・アフリカが好き。
・飲んで若い人に説教するのが好き。
■いかりや長介
□人間関係
・立川談志…友人。飲み友達。
・志村けん、加藤茶、高木ブー、仲本工事、いかりや長介、荒井注
…ザ・ドリフターズのメンバー(年齢順、リーダーはいかりや)。
※荒井注脱退後に志村けんが加入
・桜井輝夫…前身グループのリーダー。
・小野ヤスシ、ジャイアント吉田、飯塚文雄、猪熊虎五郎
…前身グループから脱退してドンキーカルテットを結成。
・織田裕二…「踊る大捜査線」で共演。演技に関して織田から意見を貰った。
「ガキ」「ジジイ」と呼び合う。
・ハナ肇…芸名の名付け親。
・小泉孝太郎…事務所の後輩。
・釈由美子…いかりやのファン。
・コージー富田…いかりやのモノマネをする。
・元妻…?年結婚、78年離婚。
・恵津子…89年他界。
・義子…幼馴染み。93年結婚。
・子供:
長男…浩一。
長女。
次女。
※初孫…優希。99年誕生。
■いかりや長介
□エピソードなど
・高校中退後、静岡の製紙工場に就職。
夜はキャバレーのバンドの一員としてベースを担当。
・27歳の時、プロのバンドマンを志して上京。
・売れない頃、叔父の洋品店や楽器の倉庫会社でアルバイト。
・チョッパー奏法を日本人として初めてマスターした。
・「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」「クレージー・ウエスト」でベースを担当。
米軍キャンプで演奏した。
・「桜井輝夫とドリフターズ」に参加(=62年)。
・コントの研究の為に他の人が客にウケてないネタを見て「ウケない原因」を研究した。
ウケているネタは見ると自信をなくすのであまり見なかった。
・映画「踊る大捜査線」で日本アカデミー助演男優賞を受賞。
・自伝「だめだこりゃ」を出版(=01年)。
・情報番組「人生の楽園」のナレーションを担当。
・CM「キリンラガー」でウッドベースを演奏(=01年)。
・紅白歌合戦で「全員集合」の名物コーナー「少年少女合唱隊」が復活(=01年)。
凡例:19.01現在=2019年1月現在